パンクな人、ロックンロールな人。
嗜好する音楽ジャンルによっては、ファッションやライフスタイルにも影響を及ぼすことは少なからずある。
HIPHOPやR&Bなど、ブラックミュージックを好む人はオーバーサイズな洋服を選び、横ノリな喋り方、友達やファミリーを大事にする。
(※一つの歴史的根拠のパッケージとして)
と言うのは、ある種の音楽的な背景込みで、あくまでも表面的、パブリックイメージの話だ。
必ずしもそう言う人ばかりではないし、最もピュアに自国の文化でないからこそ、独自の解釈で発展した過程もあるだろう。
そこう言う歴史的な背景を重んじたところで、文化的な齟齬が大きいので
割と滑稽になりがちだ。
では本質的に、この国でこう言う音楽を好む人はパブリックイメージとは別に、属性としてこう言う人多いよねっていう偏見を語りたい。
一般的に「パンクな人、ロックンロールな人」として形容した場合、
多くの人はこう言うイメージを持っていると思う。
・破天荒で乱暴な人(ポイ捨て、唾吐き、器物破損など)
・過激なファッションを好む人(ボロボロな服、タイトな服など)
・長いものに巻かれない人(自分の主義主張を曲げない)
こう言う人を見たら「パンクだなぁ〜」「ロックだなぁ〜」と、一言で形容されてきた。なんなら、そのスタイルをブランディングしたタレント/歌手もいた。
しかし僕の思うロック、そしてパンクな人というのはこういう人だ。
・柔和で誰に対しても腰が低い
・とりあえず、ニコニコ主義
・人の多いところから避ける(人見知り)
・色々ぎこちない(喋るのが下手)
実は社会の歯車にうまく身を"潜めて"、虎視眈々と社会の疑問や矛盾に対して思考を巡らせ、より良い、美しい未来を願っている。
そして今夜も直アン/フルテンでちいさなビッグバンを起こしているのだ。
簡単に言えば、パブリックイメージの真逆だ。
この国でロックやパンクが、社会全体をレボリューション的に作用することはないという前提を理解しつつ、それを受けた"ただ一人の何者"かの感情が共振し、マイノリティとしての相互理解を創る。
ある種、理解者が一人でもいれば成立する、それはロック/パンクと言う本来内包してきた社会的な思想、メッセージが表面的なコーティングとして施された「ラブソング」の最終形態なのだ。
ロック/パンクが救うのは世界でも日本でもなく、何者でもないあなただけに捧ぐ不器用なラブソング(それも偏愛的な)なのかもしれない。
※ごく一部の個人的な見解を大きく含みます。