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『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(1)

『百年の孤独』は、ラテンアメリカ文学入門の最初の一冊としてはどうなのか、という話題に移る前に、「ラテンアメリカ文学とわたし」について少し書いておきたい。これは典型的な「ラテンアメリカ文学が苦手になる」パターンだと思うのです。

出会いは、学生の頃、「新潮・現代世界の文学」シリーズとして出ていた『百年』を古本屋で購入したときにさかのぼります。

今から思えばこれが間違いの始まりだった。まあ、今ハードカバーで出ている「ガルシア=マルケス全小説」バージョンの『百年』はまだなく、当時はこれしか選択肢がなかったから仕方ないんだけども。ここについては後でまた書く。

軽いノリで読み始めたものの、当然のように挫折し、その後も時折マルケスの作品を読もうとするがだめで、20年近くに渡って「ラテアメ苦手意識」があった。

これが、ある作品との出会い(これも後に書きます)がきっかけで、すっかりその世界に魅了されてしまい、今ではすっかりラテアメ好きになってしまっている。

専門的に詳しい、というのではもちろんないけれども、普通の人(というのがどういうものかわからないけれど)に比べると、ラテンアメリカ文学を好きなほうだと思う。手に入りやすい文庫で出ているものはほぼ読んでいるし、「コレハ!」と思うものは頑張ってハードカバーも買っている。

しかし、ラテアメの魅力がわかってからもしばらく『百年』は読まなかった。「まだ時期が早い」「もうちょっと後にとっておきたい」。昨年(2023年)の12月に1か月弱くらいかけて読んだ。凄い読書体験ではあったが、やはり「これは大学時代の自分には無理だったな」とも思う。

というわけで、前おきがあまりにも長いが、次回から『百年』に関して書いていこうと思う。内容的な話は(ほぼ)まったくしません。なんというか「入山時の注意事項」みたいなものです。

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