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16.日常に潜むワル

あのさ 私
最近ずっと気になることがあるの

リアルって
すごい酷いと感じることあるよね

ずっと
悪って悪だと思ってたの
犯罪の範囲外も全てひっくるめて



でもね最近おもうの


悪って悪じゃないのかな とか。


こけたから
ここ気をつけよう とか


そんな単純な悪から
もっとしんどいものに対しても。

みんなどう思う?


あの人酷いこと言われてる!
と思っても
そこの文化の人はみんな
冗談として捉えてて、
ただの感覚の違いだったり


お腹空くと
どうしても
誰かに話しかけられると
カリカリしてしまう体質だったり


アリをわざと踏んづけた
幼い子供とか。


生き物の命が関わると
とっても許せないとか

酷いと思うツボが
みんなあると思うの

それが肉親だったら
なお悲惨だ とか。


幼少期
生きづらかった時
助けてくれないやわい大人
になるもんかって

善い人にならないと
自分を許せない時があったの



そうしたらね
いいことしようと心がけるけど
人間だから
本来そうできてないの。

生存するために
邪なことを考えて失敗して

そういうたびに
自分の評価を下げてしまう

そうするたびに
余裕がなくなって
周りに当たる。



それにね

簡単には離れられない人が
例えば酷いことをして

それに
「酷いことした!」
って訴えても

感覚の違いで
解決せず

良くない雰囲気に
こっちが限界になっても
永遠にヒリつくときもある


だから
「酷いことした」って認識
あんま役に立たないんだなって


そう思うようになったの


だから
悪って悪じゃないのかなって。




だからね
代替え案として

うーんと。

「自分にも他人にも期待しない」
って
するようになったの

期待しないって落胆するって
意味じゃないの。

想像を作らないって事なの。


そりゃ想像通りにはいかないさって


期待しないと
あまり心が揺れ動かされなくて

「じゃあこうしましょう」
ってよりよくなる提案に目が向くの


そうしてるうちに
カリカリする感情をどうしようと
しなくても
そのままサイズが小さくなって
鎮火する。


その上で
1番心地いいところに
行きたいなって。

善い空間って
善悪が存在するんじゃなくて

ただそうしたいだけ。



そう思うようになったの。









--盆地に住むお山の日常--

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