248. ナンパをするようになって女・子ども・老人に席を譲らなくなった私
こんばんは、梅田王子です。
今回は、反感を買う可能性がありますが、ナンパをするようになってから電車などで自分から他人に席を譲らなくなったというお話をします。
反感を買うといっても、そもそも風当たりの強いナンパという出会い方を愛用している私なので、いまさら好感を狙ってそれっぽいことを書く必要もないのでしょうが、ナンパという強靭な精神力を使う出会いの方法を愛用していくと、なんというか「自分から他人に席を譲る必要なんてどこにあるんだ?」と思うようになってくるんですね。
電車に乗ると、「お年寄り、妊婦の方、小さなお子様をお連れの方などがいらっしゃいましたら、座席をお譲りください。」というアナウンスを大きな駅を通過するごとにアナウンスされます。
しかし、このアナウンスには重要な部分を知ってか知らずか抜かしています。それは、「あなたから、座席をお譲りください。」という、「あなたから」の部分です。
はっきり言います。席を譲って欲しいなら、「席を譲ってください」と、自分から言うべきです。自分から頼むべきです。
お年寄りといえば、人生の大先輩でしょう。それなのに、自分から「足腰が弱いので座席を私に譲っていただけませんか?」ごときの声かけ、お願いすらできないのでしょうか。
妊婦の方といえば、これから人の親、しかも母親になる人でしょう。それなのに、自分から「妊娠しているので胎児の安全のために座席を私に譲っていただけませんか?」ごときの声かけ、お願いすらできないのでしょうか。
小さなお子様をお連れの方?これこそすでに人の親、もしくはその子供を守る責任のある人でしょう。それなのに、、、
私は、仕事帰りにあまりの頭痛でおかしくなり、塚口を通過したあたりで仕方なく目の前に座っている他のお客さんに、眉間を押さえながらか細い声で「すみません、ちょっと座らせていただけますか?」とお願いしたら、一区切りの座席(阪急では横椅子を(3人|2人|3人)で座れるように座席に仕切りを設けています)に座っている3人が同時に立ち上がり、まるでモーセ並みの魔力で3人分の座席をあけたことがあります。
このときは本当に気持ち良くて、なんとか西北(西宮北口駅)まで行きフレッズで水をもらいロキソニンを飲んでことなきを得たのですが、このフレッズでもらった水も、事情を説明していただいた水で、ご好意で椅子まで貸してもらえたのです。
こういう経験は一度ではなく、私は自分に何かトラブルが起きたとき、「自分から」お願いすることで多くのご好意をいただいて、助けられてきました。
確かに私は世間的には評判の悪いナンパという行為を異性との出会いに使ってはいますが、それだって自分から勇気を出して「これから一緒に遊ぼう!」と、自己の欲求のためにある程度のリスクを冒して、傷つく覚悟もした上で、社会的に失礼のない方法で、誰かの力や善意に依存することなく、全て自己の責任において行っている正々堂々とした行為だという自負があります。
その点、「誰も自分に席を譲ってくれなかった」と怒る人間や、「席をあなたから譲ってあげてください」とお願いする事業者というのは、一体何さまのつもりなのでしょうか。
たかが席を譲って欲しい。その期待を叶えるだけの「すみませんが私に席を譲ってはいただけないでしょうか?」の一言も自分からお願いできないとか、「いい歳して他人の好意に甘えるのもいい加減にしろ!」というのが私個人としての意見です。
私だって、「腰が弱いので座席を私に譲っていただけませんか?」と見ず知らずの老人に頼まれたら、別に老人でなくても見るからに元気そうな高校生でも、きちんと譲りますよ。
でも、ちょっと痛いふりをすれば自分から何の行動も起こさなくても周りがどうにかしてくれる、周りが何もしてくれなければそれは何も行動を起こしてくれないそいつらが悪いんだ!と言わんばかりの態度には付き合っていられません。
冷たいですか?
別に冷たくても非常識でも世知辛くてもいいのですが、「すみません、ちょっと座らせていただけますか?」とお願いしたら、前に座っている他のお客さま3人が同時に立ち上がり、モーセ並みの魔力で3人分の席が空く。
これが現実ですし、自分からきちんとお願いができる大人が増えれば、「座席をお譲りください」というアナウンスを馬鹿の一つ覚えのようにいう必要もないし、それこそ冷たい、非常識、世知辛いなんて罵り合いや下品ないがみ合いもそもそも無くなっていくと思うんですよね。