有名人の訃報が苦手だ

 私は有名人の訃報が苦手だ。もちろん訃報が苦手でない人なんていないと思うが、そういうことではなくて。よくテレビに出ていたりする、ある一定のライン以上に有名な人なら亡くなった時に報じられて多くの人から悼まれる、あの社会的雰囲気が私は苦手だ。

 素朴すぎて嫌になるが、国民的に人が悼まれるのを見ていると、ほかに何人が同じ日に亡くなったんだろうと思う。国民的に悼まれる人とそうでない人がいるという事実に対峙するのは、どことなく居心地が悪い。
 だからって有名な人の訃報を報じないべきとか、亡くなったすべての人についてライフヒストリーを報じるべきとかそんなことが言いたいわけではない。人によって悼んでくれる人数に差ができることが常に不正義だとも思わない。多くの人に悼まれることが必ずしも喜ばしいわけでもあるまい。ただ、差を実感する瞬間は居心地が悪い。

 あの居心地の悪さは、自分に手を振られたと思って反応したら後ろの違う人だった時みたいな、そんな感じがする。何が共通しているのかはわからないけど、似ている居心地の悪さだ。年をとったら慣れるんだろうか。なんとなく慣れなさそうな気がする。居心地の悪さと付き合っていくのもまぁ人生なんだろうか。

 居心地の悪い話なだけに全然書けない。こんな話を書いていると椅子にもうまく座れていない気がしてきた。ここまでにしよう、おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?