「対決より解決」の底が知れた前原騒動
国民民主党のスローガンである「対決より解決」に実は私も共感する向きがある。対決って疲れるし。ただ、少し違和感を覚えてもいた。
対決より解決
違和感の理由は、対決がない「政治」など存在するのか、という思いだった。「政治」とは結局のところ資源配分を決めることであって、それなら「あちらを立てればこちらが立たない」という対決の構図は、避けられないと思うのだ。疲れるけど。
積極財政と言ったって対決を避けられるわけではない。その分だけ物価は上がるわけで、賃金を物価上昇に追いつくだけ上げようと思えば「対決」は避けられない。積極財政といえば何にでもお金を使ってよくなるわけでもない。
自民党政治に、生活をぶち壊されている人はたくさんいる。ケアワーカーは不当な低賃金・人手不足を放置されている。自民党が流布してきた「家制度」の言説で子ども時代に苦しんだ人は多い。子は親に従うものだという「親権」制度は虐待の温床でもある。
有事にはサツマイモを作ろうだの、軍需産業を支援しようだの、自衛隊基地を核攻撃に耐えられるようにしようだのと法律を作っているが、この政策が「リアルに」有効になる局面で、大半の人の生活は破壊されているはずだ。
さて、その状況に対して「対決より解決」と述べることは果たしてどうなのか、と私は思っていた。
前原騒動
国民民主党の国会議員だった前原誠司氏が離党して新党を立ち上げるらしい、という騒動が起きた。それも、数日前の離党しないという言葉を翻して、新党の党名も他党(維新)の代表から出るという順序で。言葉を選ばずに言えば国民民主党からすれば「裏切り」に値する行いと言っていいように私には見えた。
この騒動を受けて、国民民主党の「対決より解決」のスローガンについて議論が巻き起こっていたらしい。前原さんに対しては対決するべきじゃないか?という。
前原騒動と「対決より解決」
私は前原騒動を受けて「対決より解決」についてこういう論争が起きたことに少し失望している。
日本で暮らしている一人一人の窮状については「対決より解決」があっさり通って、自分たちの党組織のことになれば「対決すべきでは?」というのは、私は筋が通らないと思う。結局、日本で暮らす人の窮状は他人事で、前原騒動は自分たちのことだから真剣さが違うんじゃないですか、と私の目には映った。
意図的に自分たちを害してくる相手に対しても「対決より解決」なのか、というのは、自民党と自民党政治に虐げられる側の人々の構図でも全く同じだ。だからその議論は前原問題よりもずっと前に、真剣に尽くされて整理されているものだろうと私は思っていた。前原問題を経てようやくその議論がされているというなら、国民の立場に立つというのは嘘か、好意的に見ても「国民の暮らしへの真剣度は党組織のことほどではないです」ということになろう。悲しい……
私の立場について
立場を示さずに論評だけするのは卑怯だと思うので、私の立場をある程度明かしておきたい。私は国民民主党は全く支持していない。一方で、知り合いが期待をかけていることもあり、注視しようという立場だった。
私は私で今の日本の状況を変えるために、国民民主党以外の経路で、主として対面で、自分の生活の場で一市民として活動している。
「対決より解決」というスローガンについては、やはり政治をやる以上対決は避けられないのではないかと思っている。対決って疲れるけど、そもそも疲れずに人生を送りたいとか、疲れずに社会を変えたいとかは、少し虫が良すぎる。そんな甘い話はないと思う。