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憧れは理解から最も遠い感情である
昨年末からジャンハオさんを好きになった理由を考え初めて、いつの間にか正月ムードも薄れる時期になってしまいました。
お餅を食べて部屋でぬくぬくしながらじっくり考えてみたけれど、やっぱり一番大きいのはなりたいと思ったからかな。
ジャンハオさんに憧れを抱くポイントはいくつかあるけど、最初は冷静かつ現実的であることでした。
実はボイプラでなかなか1pickを決めらなかったんですが、KTLの練習風景(ボイプラ第3話)をきっかけにジャンハオペンになりまして。
全員がキリングパートに挑戦してパートを決定したが、パートが少ない悔しさから「もう一度キリングパートに挑戦したい。それでダメなら諦める」と涙ながらに話すチームメイトのミンくんに対するこの一言。
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し、辛辣〜!!!!
当時はまだほんわかした印象だったのであまりに率直な物言いに驚きました(韓国語の実力の問題もあるかもしれないけど)。
この時は私もジャンハオさんと同意見だったし、ミンくんに共感しつつもチームの状況から冷静な判断をしたジャンハオさんに一気に惹かれました。
冷静な人って良くないですか?
クールで落ち着いてて現実的な男の人ってドキドキしちゃう←ガキ?
私は落ち着きがなくて現実から目を背けまくって生きているので、冷静且つ現実的な人に憧れてしまうのは必然なのですが………まあでも、正直ただ冷静な判断ができる人なんて他にもいるわけですよ。
では何故、ジャンハオさんなのか?
ジャンハオさんは、当時の私にとってイレギュラーな存在だったんです。
というのも、もともと冷静で現実的な人=夢がない人だと考えていたからなんですが、ジャンハオさんに出会ってその考えが変わりました。
昔から夢や希望ってワードを聞くと聞いたらなんか、バイタリティーがあってエネルギーに満ち溢れた人(松岡修造とかアンミカみたいな)を連想しがちで…私の中に夢や希望を持ってる=熱血、ポジティブっていう偏見が出来上がっていたわけです。なんなら体育会的なソレに苦手意識すらありました。
だからこそ、冷静で現実的かつ夢を持っているジャンハオさんの存在がかなり衝撃的でした。
だって私の中で相反するはずだった概念が共存してるんだもん。そりゃ気になりますよ。気になって目で追ってたら好きになっちゃいますよ。
あとこれはめちゃくちゃ個人的な意見だけど、ジャンハオさんが持ってる夢とか希望って全然暑苦しくなくない?しっかり熱量あるし本気度も高いはずなのに重たくないというか。
人が本気になればなるほど感情はある程度煮詰まって濁っていったり粘度が高くなるものだと思ってるんだけど、ジャンハオさんの場合むしろ爽やかであっさりしてる感じ。
ドロドロしてなくて、カロリーも低くて、透明感があって後味もサッパリしてるゼリーみたいな?
ジャンハオさんは、そういうゼリーみたいな欲望をどんどん消化しているような気がする。
心のどこかで夢とか希望ってもっと大きくて立派じゃないといけないと思ってたから、「私はそんな大層なもの抱えきれないわ…」と敬遠してた身としては目からウロコ状態。
それでいいんだ?!みたいな。
もちろん夢を叶えられたのはジャンハオさんの弛まぬ努力の賜物であり、そんな簡単なものじゃなかったことくらい想像容易いのですが。
それにしては飄々としているというか、こちらが感心している間に本人はケロッとした顔で次の夢を掴みに行ってるというか。
夢を叶えるってもっとこう、身体的にも精神的にも疲弊するものだと思ってたけど、私が思ってたより夢って現実的で身近なものなのかも…と感じるようになりました。
現実的というより実現的なジャンハオさんの生き方を見て感銘を受けました。
また、大学の後輩に向けたメッセージの中で「もし毎日自分が嫌いなことをしていたらそれは魂が抜けたような無気力な人間です。」と話していたのを聞いた時も、自分とは根本的なマインドが全然違って眩しくて。
私も嫌いなことはできるだけしない主義なのですが、私の場合は好きなことが出来るより嫌なことをしなくていい方が大事だし、大きな幸せがあるよりは不幸がない平凡な人生がいい。
でも、ジャンハオさんの場合は嫌なこと・不幸を避けるだけじゃなくて自分の好きなことができるように行動していて幸せになることに素直で積極的な印象。
なんかこう、ちゃんと人生を幸せにするつもりで生きてるんだなって。
ただ生きて幸せになれる日を待つのではなく自分の足で幸せな未来に向かって歩いていくジャンハオさんを見てると「私も歩き出さなければ!」と思う。
今までの私は不幸にならないこと、失敗しないことに敏感で幸福や成功に対して鈍感……というか、幸せになろうとはしてこなかった自覚があって。
自分より恵まれている人を見て羨ましく思ったり卑屈になることもあったけど、家庭環境も、容姿も、その他諸々の才能も全部自分はこんなもんだろうって諦めてた…と思う。
さっきも書いたけど、夢のない人間=現実的な人間だと思ってた節があったんですよね。
子供の頃はもっといろんな希望に満ち溢れてたけど、成長するにつれてどんどん高望みせず、将来を悲観するようになって……そしてそれが堅実で現実的になるということだと。
こういう思考になったのはもう宙ぶらりんの子供ではなく地に足のついた大人だからだと思っていたけど、そうじゃなかった。
改めて考えてみれば、地に足をつけてから随分経つけどまだ何処にも行けてない気がする。
ジャンハオさんに出会って、私は現実的なんじゃなくてただ悲観的なだけだったんだと気が付きました。
自分自身を信頼せずになんとなく成り行きで生きるよりも、自分の力で夢を現実にしていく方がよっぽど現実的な生き方なんだと。
私はよくジャンハオさんを春の人だと表現するのですが、単純に春が似合うという意味は勿論、春そのものの様だとも考えています。
捻くれた感性で申し訳ないけど、個人的に
「ありのままの自分を好きになろう!」
「自分に自信を持って!」
「ポジティブで肯定的なマインドを持とう!」
みたいな風潮がちょっとだけ苦手で。
その風潮を非難するわけではないんだけど、強すぎて正面から食らうと押し負けちゃうというか。
そんな感情にピッタリの歌詞があるので引用させて下さい。
どんな溜め息も見逃さないと
社会の空気が言い出した
正しさの矛 たまに痛いよ
マジで最近これなんだよね。
自分に自信を持って自己肯定感を高めるのってすごくいい事だし、正しいことでもあると思う。
でもそれを義務付けられると話が変わってくるというか。
適度な日差しは気分が良いけど、真夏日みたいに照り付けられると参っちゃう感じ。
ジャンハオさんもかなり自己肯定感が高くて自分に自信がある、自分を愛せるタイプの人だと思うけどそこに押し付けがましさは感じない。
心地良い暖かさで照らしてくれる春の日差しのような、そっと背中を押して小さな勇気を与えてくれる春のそよ風のような。
春に草木が芽吹き蝶が舞うように、私はジャンハオさんに照らされて、憧れて、動き出そうとしている。
いつの間にか私は陽だまりの中にいて、前よりも穏やかで小さな幸せに敏感な人間になれた気がする。
貴方が春だから、蝶が舞うんですね。
ジャンハオさんに出会ってから、私もあまり難しく考えずにゼリーみたいな夢をサクッと消費しちゃおうじゃないか!なんて思ってみたりして。
「私も歩き出さなければ!」というこの気持ちは焦りではなく期待や高揚感に近い。
これから私はどこにだって行けるし、そうすれば今よりもっと素敵な自分になれるだろうしね。
ちなみに以前「ジャンハオさんは刹那的な一面があるというか、良くも悪くも目の前のことに集中しちゃう感じがあるよね。今を生きてるって感じ。しっかり者で大人びた印象なのにふとした瞬間めちゃくちゃ子供みたいに思えるのはこれが原因かも」みたいなことを書いたんですが、それにも繋がる気がします。
なんていうか、
現実的で冷静→大人びた印象
目の前の願望に素直で忠実→子供っぽさ
この相反する2つの要素が上手く組み合わさってジャンハオさんの“掴めなさ”を生み出しているんだろうな〜と。
ジャンハオさんに沼落ちしてる人はこのギャップにやられてる人が多い気もします(笑)
あと、たまに「教師の夢を諦めてアイドルになってくれてありがとう😢」みたいなハオペン見るけど、あれは同意出来ないですね(そういう見方もあるだろうから批判するつもりは無い)。
ただ直近の目標が移行しただけで、諦めたというネガティブな表現はしっくりこない。
もっと前向きなエネルギーを感じるというか。
ジャンハオさんは欲しいものは全部手に入れようとする人だと思うし、実際に手に入れることができる人だと思うんです。
何かを諦めて、代わりにして…なんてことはしない。そういう健康的な貪欲さが彼の魅力の一つでもあるんじゃないかな。
そういう欲に対する純粋さを感じるとジャンハオさんは人間としてすごく真っ当で健全な生き方をしている気がするんだよな〜…。
常に等身大で無理に自分を着飾らないから親しみやすく愛らしくも思えるけど、そう生きるのが難しいからこそ高尚で手が届かない存在にも思えるというか。
ハンビンと喧嘩したことあけすけに話してくれたりとか、深夜テンションのカラオケbubbleライブとか、普通の人が見せたくない、隠したいと思いがちな部分を素直に自分の一部として認めて消化出来る人間としての強さ、美しさを持っていると思う。
……まあ全部個人的な意見ですけどね!幻想だと言われればそうかもしれないし。
もしかしたら「お前はジャンハオのこと全然分かってない!」と言われちゃうかもしれない。
でもそれでいいんです。
私はジャンハオさんに憧れているわけであり、それが続く限り私はジャンハオさんのことを理解することはできないでしょうから。
憧れというのは距離を置く行為なので。
距離を置いて、遠くから眺めて、理解なんて出来るはずがない。
なりたいと言っても、ジャンハオさんにピッタリ重なるような人間になりたい訳じゃないんです。
だから、100%彼を理解するつもりは最初からない。
誤解を恐れず言えば、ジャンハオさんが本当はどんな人なのかよりも私から見えるジャンハオさんがどんな人なのかだけが大事。
私から見えるアイドルとしてのジャンハオさんが尊敬できるものであれば、プライベートな所はなんでもいい。
(私が推しに認知されることや接触イベにあまり魅力を感じないのは、推しと距離を置きたがっているからかも…)
ジャンハオさんを見てると私も希望を持ちたくなるんだよね。
今まで夢を持ったことも叶えたことも無いけれど、私もキラキラした宝石みたいなゼリーを手に入れてみたい。
もちろんジャンハオさんのビジュアルも好きだしパフォーマンスも好きだけど!他にも好きなところいっぱいあるけど!!
やっぱり、私のマインドに肯定的な影響を与えてくれたのが大きいなと思う。
私はジャンハオさんに憧れているけれど、彼に成り代わりたいわけでも、彼に近付きたいわけでもない。
きっとこの距離感は変わらないと思うけれど、これからは貴方と一緒に素敵になりたい。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
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