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【日々】あのカフェはなぜまた行きたくなるのか

あるカフェを訪れたあとに、

"立地に内観にメニューどれも良かった"
"けど、2回目行こうとは、あまり……"
"もし行くなら、他のお店に行きたいな"

と思うのは、自分自身なぜ? と。

===

たとえば友だちに、
人に勧めるならどこのカフェ?と聞かれたら、フィルターになるのはこの2つだろうか。

 ①居心地の良いレイアウト/映える空間
 ②うわっおいし!と驚きがあったメニュー

そこに追加の質問で、そのなかで自分がまた行きたいのは?と聞かれたら。
①②にプラスして思ったのは、

 ③推して応援したい、店員さんの人柄

お客さんとして、ってよりは、
ひとりの人として接してくれた印象というか、

お店が空いているタイミングで店員さん自身の心持ちに余裕があったから、店員さん自身のプライベートで良いことがあったから、といったような、条件が揃ったからの理由だけでは滲み出ない雰囲気というか、、、

===

逆に①空間,②メニューが揃っているのに、
また行きたい?で即答できないお店の、
③人柄はどうだったのか。

可もなく不可もなく、注文したから商品が出てきた感覚というか、機械的な対応だったところかもしれない。

さらに、"あのお店には2回目行きたいと思わん…!"と嫌悪感込みで思い出すのは、

・店員さんとお客さん(常連さん?)の会話が盛り上がっていて合間合間の接客だったお店

・初めて行ったら「今日貸し切りなんすよねー」と、あしらわれたお店(以前に告知あったのかもだけれど、前日当日の告知なく……)

共通するのは、ないがしろにされた感覚。
いうなれば、自分の場違い感。

いやお店にも事情はあるだろうし、
求めすぎでは??
と言われると、、、確かに、、、_('ω')_

ただ、
お金を払う"モノ"として扱われたような印象がなかなか抜けないのも事実、、、

===

おそらく、③人柄が良いお店の、
"ひとりの人として接してくれた"感覚は、
執事のような仕える姿勢でも、ご近所のおばちゃん的に踏み込んでくる姿勢でもなく、

いつ行っても自分に戻れる、居られる、
いつも受け入れてくれる安心感がある。
傾聴の姿勢、に近いものがあるからだろうと。

だからこそ、しんどいわ…癒されたい…
と思った時に真っ先に思い出すのかもしれない。

この店員さんあってのこのお店、
このお店あってのこの店員さん。
だから、
"あのお店にまた行きたい"に繋がる。

===

安心感のある人柄って、
その人自身の先天的なものなんだろうか。

そんなときに訪れた、西国分寺にある、
『クルミドコーヒー』
◾️Instagram :
https://www.instagram.com/kurumed?igsh=am51dXdiM2pkNG40
◾️X(旧Twitter)
https://x.com/kurumed?s=21&t=kq-g9Ooc_l-SaD8dFKn-_g

これがまた、①空間,②メニュー,③人柄
まんべんなく揃っていまして、、、('ω')

なかでも、これは初めてかもと思ったのは、
お会計までの流れ。
他のお店だと、事前会計また伝票を渡されることが多いけど、ここでは小さな置き物(青い鳥🕊️)

これは発明だなと、、、
事前会計だと、払ったから居れるだけ居ようと、元を取りたい自分本位になりかねない。
また、伝票が視界にあると、会計して退店した後はどうしようかの連想ゲームが始まって、今そのときに没頭しにくい。

その点、この置き物。まず可愛い(正義)。
視界に入っても、写真撮りたい欲に駆られる。
お会計の時はこれを持っていくのね、とラフな気持ちだけが残る。
さらには、次回は何の置き物だろう(隣のお客さんはキコリの人形だった(可愛い))と遊び心もあるし、この配慮なぁ。。。

ご自由にスタイルのクルミ🐿️


クルミドコーヒーを訪れる前に考えていた、
"人柄"について。

結論、店員さんの人柄の良さは、
お客さん想いの"積み重ね"なのでは、と。

お客さんのこと、が常に念頭にあって、
それを考える習慣で、お客さん側が"接客されている"と感じない自然体のレベルになり、
その日々の積み重ねで、"人柄がいいなぁ"と安心する域に昇華していくのかもしれない。

見返りや感謝のあるなし関係なく、
まずは自分から相手を大切にする。
次第に相手も、応え始めてくれる。

また行きたいカフェから、
利他の精神を感じたお話。

また浸りに行きたい oO

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