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【みちしるべ#7】西村徳真さん~プロのマッパーになるまで、そしてその先へ ~(前編)

はじめに

 こんにちは、みちしるべのお時間です。この企画は、学生オリエンティアが社会人の先輩オリエンティアとの対談を通じて、自分なりのオリエンテーリングに向き合う企画となっております。今回のゲストは西村徳真さんです。


インタビュアープロフィール

柴田日向
名古屋大学2年(2022年入学)
所属クラブ:名椙OLC/OLCルーパー


岩崎壮馬
大阪大学2年(2022年入学)
所属クラブ:阪大OLC/OLC東海

ゲストプロフィール


西村徳真さん
兵庫県出身。京都大学卒業。在学中にインカレミドルで優勝している。卒業後は個人事業のNishiPROを立ち上げて、プロのマッパーとして地図作製に携わっている。日本ランキングやJapan-O-entrY(以下、JOY)の開発など、数多くのオリエンテーリングの発展に寄与されている。

オリエンテーリングに出会ったきっかけ

―まずはオリエンテーリングに出会ったきっかけを教えてください。

 小学校か中学校の林間学校みたいな、ああいうところでグループで回る学校教育のオリエンテーリングがあったんですよね。そのときのすごく面白いなっていう感覚をずっと持っていました。大学に入って、本当はテニスとか違うスポーツを考えていたのですけど、どれもうまく合わなくて、5月半ばまでしぶとく新歓をやっていた、オリエンテーリングクラブのビラを見てちょっと行ってみようとなったのがきっかけになりますね。

―大学でオリエンテーリングに出会わなかったら今のような形になっていなかったですね。

 スポーツにはまって競技をバリバリやるのは想像していませんでした。スポーツに対して、苦手意識は持っていたのですけれど、オリエンテーリングは、ここだったら勝負ができるな、という感じもあって、ずいぶんはまりました。最初はスポーツのサークルに入るのは運動不足解消ぐらいに考えていたんです。転機になったのは、今京都で取材を受けていますけど、東山の新歓体験会で地図読みに自信があるから1人で行きますよとか言っていたら、途中迷って谷底に落ちて、まったく現在地がわからなくなってしまったんですね。それでも何とか全部回って帰ってきたんですが、それでこれ面白いなって。地図に自信があったのに迷ってしまった、でもそれを楽しいと思えたし、本気でやってみようと思いましたね。

学生時代の競技との関わり方

―そこから学生時代、どういうふうにオリエンテーリングに向き合ったのか、大会の参加頻度や、目標などあったら教えてください。

 あまり大学に馴染めなくて、大学では出席も取られないし、クラスメイトとの繋がりもなく、すごく孤独感を感じてしまったんですよね。そういったこともあってオリエンテーリングのサークルが唯一の居場所みたいになって、どんどんのめり込んでいきました。インカレロングは当時10位まで新人表彰してもらったんですけど、それで8位 で表彰されてから春インカレに向けて本当に一生懸命やっていましたね。自分の居場所を確保したいみたいな、そういった気持ちもあって週1で大会や練習会は当たり前に行っていたし、インカレで活躍するぞという気持ちを持っていました。

―大学生の頃から大会運営はされていたんですか。

 大会運営は結構好きだったんですよ。きっかけは1年生のときに部室に、過去の京大大会の大会報告書が、分厚い冊子で置いてあって、それを読んだことですね。そこにパートマニュアルが全部載っていて、こうやっているんだ、自分でもやってみたいなと思って、1年生で大会をやってみようとなりました。

―そのときは地図調査もされたんですか。

 京都の阿弥陀ヶ峰という、京都女子大学の裏に小さい山があるんですけど、そこの地図を調査しました。それが初めての作品で、そのときのものがいまだに使われているからびっくりですね。最初は現地に行っても現在地の確定すらわかりませんでした。GPSもない時代ですからコンパスと歩測であの道を取ってくるんだよと言われるけど、当然ずれるし、斜面のところ歩測は合うわけがないから、苦労しましたね。原図もどうやって揃えたらいいのかわかりませんでした。今は国土地理院の基盤地図情報というシステムがあるんですけど、当時はなかったので、本屋さんに行って、地理院が発行している市街地の地図を買ってきて、これを元図にスキャンして取り組んでみようみたいな感じで、誰に教えられたわけでもなく試行錯誤していました。

―インカレ後はどのように競技に向き合っていたんですか。

 さっき言ったように、大学生活は馴染めなかったので2年留年しているんですよね。学生の期間はインカレが終わってからも2年間あったんです。インカレが終わったときに、日本で一応チャンピオンにもなったし、次は世界大会を目指そうと4年生ぐらいから考えていたんですけど、実際行ってみると、海外のテレインに結構打ちのめされて、ちょっと戦えないなという気持ちが芽生えてしまいましたね。インカレはみんなが応援してくれるから頑張れる部分があると思うんですけど、世界大会となると、必ずしもそういうわけにはいかないんです。だから今いいなと思っているのが、世界選手権の時期にGPSトラッキングとかでTwitterが盛り上がるでしょう。みんなの応援でタイムラインが埋まるみたいな感じがいいなというか、時代が変わったなと思うんですけど、当時はそういうこともあまりなかったので難しくて、競技的なモチベーションがしぼんでしまいました。

―当時のオリエンテーリングとの関わりについて教えてください。

 大会運営は自分がつくった大会で、みんなが来て楽しんでもらえることに、それはそれでやりがいを感じていたので、インカレの実行委員長もやらせてもらったりして、大会の運営では、ずっと関わっていこうかなと思っていました。一方で、全日本大会に挑戦することも考えていたんですけど、いざやってみると、会社が忙しくてなかなか思う通りにいかなかったのが現実でした。僕らのころは全日本大会のブランドがあまりしっかりしてなかったんです。だから社会人と頂上決戦するみたいなモチベーションがそもそもなかったですね。あと当時は日本のエリートがすごく強くて、少なくとも学生のころはそこに対して、戦っていけるような感じには思えなかったのもありますね。そういうことで競技よりも運営の方にシフトしていき、地図作製 をメインとしていこうと移っていきました。

個人事業への転機

―個人事業への転換を考え始めたのはいつ頃ですか。

 会社の仕事があまり楽しくなかったというか、先行きに希望が持てなくなってきて、社会人をやりながらオリエンテーリングをやっていくのがしんどくなってきたんですよ。会社に入って1年目はまだ楽しかったんです。結構、自分はできる側の社員と見られて、1年目にしては、ある程度は案件を任せられると信頼も得て、期待に応えられるのがすごく楽しかったんですけど、2年目ぐらいになってくると、本当にこの会社がやっていることに人生を捧げられるんだろうかとか、この上司の働き方を自分もやっていくだろうかとか、疑問を感じ始めました。具体的に言うと、企業理念では働く人を幸せにしていこうという経営コンサルティングの会社なんですけど、自分の働き方が全然幸せじゃない。僕らはリーマンショックが就活に直撃した世代で、社畜系というかそういうのが幅を利かせていた時代でした。上司も家に帰れずに隣にあるビジネスホテルに泊まって出社していて、そういったやり方もしんどいなと思って。

 あともう一つが山川さんがそのとき、ほぼ唯一のプロだったんですけど、地図作製 のペースがはっきりと落ちているなと感じていました。2011年度に春インカレの実行委員長をやった際、もう一人そのときマッパーが居てその方に地図作製をお願いしていたのですけど、その方もすごく時間がかかって、本当に出来上がってこなかったんです。最終的に僕が社会人なのに入って、何とか完成させたみたいな感じなんですよね。そういう状況もあって、もうこれ、僕がやるしかないなって気がしてきたんですよね。だから、会社で満足していたら決断できなかったかもしれないですけど、会社でこのまま働くのもしんどいし、明らかにオリエンテーリング業界も人材不足だし。そういう状況で、やるかという感じで、退職したんですけど、リスクとか考えてなかったんだろうな。そんなことよりもつまらない人生がつまらないことが耐えられなかった。将来性なんて全然考えてなかったので、最初の1年はお仕事がなかったらどうしようとそわそわしていましたね。トレランとか違う業種のイベントを主催もしていたし、何とか稼がないとみたいな焦燥感が、1年目はすごくありました。

―JOYの整備に着手され始めたのはいつ頃ですか。

たしか2015年ぐらいだったかな。一つには、子供ができたのがありますね。子供ができたことである程度、家で育児する時間を取らないといけなくなり、外に行って仕事するわけにもいかなくなりました。家でできる仕事があるといいよねというのがきっかけで、そのときTwitter上で、申し込みをもっと簡単にできないかみたいな話があったんですよ。そもそも競技者登録してあるなら、エントリーの必要事項とかいちいち入力させずにできたらいいのにみたいな、そんな話がいっぱいあってこれは需要があるなと思っていたんです。それでやってみようかと始めたのがきっかけです。

―当時の申し込み形態について教えていただけますか。

 当時は、郵送の申し込みは窓口に、メールの場合は、氏名やふりがななどの情報をカンマ区切りでメールに打ち込んでもらって、それで送ってください、送る前に郵便局から口座に振り込んでくださいみたいな感じでした。団体の人向けにはエクセルシートが用意される場合があって、Excelに打ち込んで送ってもらったら、受け取った側は全部それを手で集計していくという今聞いたらすごい作業ですよね。そんな時代でした。

―当初のJOYは、今とはだいぶ違ったものだったんですか。

 そうですね。機能面がやっぱ絞られていますよね。プロトタイプで始めたので、まずチーム競技に対応していませんでした。個人競技にしか申し込みできなかったんです。今では主催者が使える機能はだいぶ増えていますけど、当時はオプションもあまりつけられず、〇×と数値オプションぐらいしかなかったんですよ。でも、そうやって、全然機能としては貧弱でまだ信頼もないけど、西村がこんなん作ったということで、早速主催イベントで使ってくれる大会が出てきてくれて、使ってもらえたおかげで、今こうやって広がっていることはありがたい話ですね。

―今の大会申し込みのようにJOYが普及し始めたのはいつ頃ですか。

 2・3年目ぐらいでいい感じに普及していましたね。売り上げの推移を見る限りでは、コロナ禍を経て明らかに増えました。オンラインでできるだけ完結していこうよという時代の流れもあったし、大きかったのはコロナ禍で中止とかがすごく増えて、あのタイミングで大会中止になったときに、参加者に対して返金する仕組みを用意したんですよ。マラソン大会とか、他の業界を見ていると、中止しといてなんで返金しないのかといった意見もちらほら見えていたので、そういったところでオリエンテーリング業界の信頼を保ったまま、コロナ禍を超えることができたのが結構大きいかなと思っています。

次回予告


後編は、7月22日(土)に公開予定です。
後編では、西村さんの地図調査に対する思いや、今後の事業の見通し、ナイトOについてなど、様々な話題について深堀りしていきます。
 お楽しみに!

インタビューの続きはポッドキャストにて先行配信中です。

 感想お待ちしています!

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