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【みちしるべ#10】粂早穂さん~オリエンテーリング界のキャプテン!?(前編)

2021年10月。長野県。筆者が初めて参加した全日本大会で、私は思いました。

「オリエンテーリング、てぇてぇ(尊い)。」

老若男女が、生き生きと、きらきらと、走り、笑い、喜び、悔しがる。そのまぶしさに、心をうたれ、オリエンテーリングが神スポーツであることを思い知らされたのです。

今年の全日本オリエンテーリング選手権大会も今週末に迫ってまいりましたね。みなさん準備はいかがですか?

今回は、全日本大会の実行委員長を務めるなど、選手としても運営としても、第一線でオリエンテーリング界を盛り上げてきた、粂早穂さんにお話を伺いました。


ゲストプロフィール

粂早穂(くめさほ)
ES関東クラブ・トータス所属(取材時)。立教大学2012年度入学。JOA理事、2021年度、2022年度全日本選手権大会実行委員長。
家族の影響で幼少期からオリエンテーリングに。小学校3年生の時にES関東Cへ入会。高校1年生で、JWOC(ジュニア世界選手権)初出場。その後JWOCへ5度出場。
2012年、立教大学へ入学し、東大OLK(東京大学オリエンテーリングクラブ)の門を叩く。1学年上の稲毛選手と切磋琢磨する。大学1年次、インカレロング準優勝。2年次には、インカレミドル優勝を果たす。同年、WOC(世界選手権)に日本代表として初出場。4年次には再びインカレミドル優勝、リレー2位。
大学卒業後、病院向けの営業業務に従事。2017年には再びWOC代表。2019年、JOA理事に就任。アスリート委員会の立ち上げや、全日本大会での活動を開始し、全日本選手権大会(ミドルロング)の実行委員長を務める。今年10月より、旦那さんのお仕事の都合でイタリアへ。

インタビュアープロフィール

牧依瑠香
早稲田大学2年、早大OC/入間市OLC
アルバイト:特許事務所・矯正歯科

木口瑞穂
慶應義塾大学4年、KOLC/トータス/渋谷で走る会
アルバイト:マーケティング系雑誌編集社

オリエンテーリング歴20年! 早穂さんとオリエンテーリング

お母様とのお写真

ー競技との出会いはどのようなものでしたか?

 私は、母も父もオリエンティアで、おじいちゃんもオリエンテーリングをしているので、3世なんです。3世で今も競技を続けているのは、山岸選手(筑波大学卒業)と私のたった二人なのですが。

 母は、日本代表として長く活動していて、父は、高校生のころからオリエンテーリングをしていて、インカレでも活躍し、選手生活後も、JOAや強化委員会系の活動をしていました。

 私は、小さい頃、そんな両親に連れられてよくオリエンテーリング会場に足を運んでいました。はじめは、オリエンテーリングを沢山教えてもらったというより、会場で缶蹴りをして遊んだりして、「オリエンテーリングの会場楽しい♪」といったような感じでした。

 初めて一人でオリエンテーリングをしたのは、ジュニアチャンピオン大会の、W10クラス(女子10歳以下)。でも、迷いすぎて、多摩OLのおじさんに、ガン泣きしながら「ここどこですか。」って聞いていました。(笑)

ー10歳で、女の子一人で森の中に入るってすごいですね。

 完走すると、母がご褒美にキティちゃんのご当地ストラップを買ってくれました。箱がいっぱいになるぐらいまで集めていて、それがモチベーションになってオリエンテーリングを楽しみながら続けていました。

2005年 愛知県で開催されたWOC

ーそれが、2003年頃ということは、オリエンテーリング歴は20年くらいになるんですね。競技志向に切り替わっていったのはいつ頃なんですか。

 2005年に、愛知県で、世界選手権が開催された頃です。

 私は、小学5年生のときに、お手伝いのような形で参加していました。その時に、日本代表の選手たちが未来の選手たちに向けてと寄せ書きをくださいました。次はさほちゃんみたいな感じで書いてくれたのが、すごく思い出に残って。実際に現地で応援してたのも含めて、いつかここで走ってみたいなって思ったことが、大きなきっかけになっています。

 そこからしばらくはES関東Cが楽しくてオリエンテーリングに行きつつ、高校1年生のときにJWOC選考会に初めて通って、初めてイタリアのJWOCに参加して、というような流れです。

ーそこから競技的なギアが入っていって、大学在学中は稲毛選手(練馬OLC所属、お茶の水女子大学卒業) とトップを争い、社会人でも第一線でご活躍されていったんですね。

2014年 WOC middle

ー現在は、競技以上に、オリエンテーリング界を盛り上げる、運営するといった面で大活躍されているイメージがあります。そのようにシフトされていったのはいつ頃なのでしょうか。

 JWOC、WOCと、世界大会へ何度も出場する中で、出したい結果を出すためには、もっと人生をかけて準備をする必要性を感じていました。ただ、そのタイミングでは仕事をまだ頑張りたいという思いがあって。それで、競技する側から、支える側に変わりたいなと思っていました。

 そしてちょうど、最後にWOCへ行った1年半後、現JOA副会長の村越さんから、JOAの理事をやらないかと声をかけていただきました。そのあたりから、支える側にシフトしていきました。

 2017年〜2019年の間では、東大OLKのオフィシャルとしての活動も頑張っていて、それもすごく楽しかったんです。支える楽しみ、自分が培ってきたものを伝える楽しみも知りました。

2019年 オフィシャルとしてラストの春インカレ w/マイナー校

ーイタリアに、渡られるとお聞きしていますが、今後はどのようなご予定なのですか。

 そうです。10月1日に羽田から飛び立ちます。旦那さんについていく形です。

ーイタリアへ行った後は、どのようにオリエンテーリングに関わっていくのか、イメージはありますか?

 うーん、未定ですね…。ぶっちゃけすごく悩んでいて。自分は、眼の前で楽しんでくれる人がいることが、すごくモチベーションになっているなとすごく思っていて。大好きな稲毛さんだったりとか、思い入れがあるのは1個下の前中くん(練馬OLC所属、東京大学卒業) だったりとか、そういう現役時代、一緒にオリエンテーリングを頑張っていた人たちが、今でも、毎日、自分の時間・人生をかけて、オリエンテーリングのトレーニングをしているのを支えたいと強く思っていたので。

 それがこう、離れてしまうと、そういう人たちの顔が見えなくなるから、自分のそのモチベーションがどこに行くのかなというのが、かなり不安です。

 でも、生まれてからほとんどずっとこの世界にいたので、オリエンテーリングはほんとに大好きだから、オリエンテーリングという軸で、全く違う世界を見てみたい気持ちもあれば、少し体調が悪いので、ただただ休みたい気持ちもあるし、でも、日本と関わっていたい気持ちもあったり。いろんな感情の途中です。

ー帰国のご予定はありますか?

 とりあえずイタリアにいるのは2年なのですが、その後もまだ海外にいたいという希望が彼はあるので、続く限り応援したい、ついていきたいと思っています。

 遊びに来てください!

ーいきます!!!!!

インカレを走りたくて~稲毛選手と切磋琢磨した学生時代~

ー学生時代のことについてお聞きしていきます。

2014年 2年次 インカレミドル優勝🏆

ー小学生、中高生の頃から様々な大会に参加されていたと思いますが、大学へ入って、同期ができたり、周りの人の環境が変わったことで、モチベーションやオリエンテーリングへの向き合い方に変化はありましたか。

 自分の中で、高校生のときはJWOCが大きな目標でしたが、その一方で、「インカレを走ってみたい」という気持ちが強くありました。大学に行くモチベーションも、「インカレを走りたい」からでした。

 それで頑張って勉強して、立教に入って。

 5つ上の先輩が1人いらっしゃって、その人が東大OLKに入っていたのと、当時稲毛さんがものすごく強かったから、その2つの理由で東大OLKに入りました。

 やっぱりインカレを目指すのは想像していた以上に楽しかったです。

 私は当時強気で、こんなにオリエンテーリングもやってきたし、インカレではミドル、ロング全部優勝して、8勝したいと思っていました。結局2回しか勝てなかったのですが。

 それくらいに、やっぱりインカレをすごくモチベーションにしていましたし、2回しか勝てないってことは、それだけ周りに競う女子選手がいたということで。そのような環境はすっごく幸せだったし、楽しかったと思います。

 それでも、勝ちたいという気持ちはずっとあったし、やっぱり稲毛さんがすごく強かったから。それに立ち向かう楽しさがありました。当時はもう勝てなくて悔しいばっかりだったけど、今思えば、本当に楽しい時間でした。

2016年 4年次 インカレミドル優勝🏆

ー早穂さんがインカレで優勝されたとき、早穂さんのどのような強みで勝つことができたのでしょうか。

 2年生で稲毛さんに勝てたときは、稲毛さんが就活だったというのもありましたが、矢板日新で行われたインカレで、2レッグほど、難しいレッグがあって、難しいところはすごく得意なので、そういうところで差をつけられたと思います。

 4年生の時は、インカレのことしか考えてなくて。それまでは巡航が弱みでしたが、トレーニングを頑張ったことで、強みになったと思います。

ー”難しいところが得意”というのは、どういうことなんですか。

 ミスりそうと思ったときのアンテナが高いのと、コントロールの近くに行ったときの嗅覚ですかね。あとは、学生時代、意味がわからないくらいオリエンテーリングをしていたので、不整地を走る速さが、整地に劣らないというのもありますね。

ー在学中、卒業後はどういう選手になろうとか、競技を続けようとか、考えていましたか。

 学生時代の時は、もう終わった時のことは全く考えてなかったですが、別にそれは後悔してないです。ユニバーシアード(世界学生選手権)は、インカレ1位になって通ったので、行こうかなとは思っていましたが、どっちかというと、一旦仕事をしてみたいと思っていました。

2016年 ユニバーシアードで、12年ぶりのシモーネと

ー社会人2年目で出場された、WOCも社会人になってから目指されたんですか。

 そうです。その頃は、本当に女子の選手がいなくて。稲毛さんも、当時仕事に全振りしていて、全然オリエンテーリングしていない時期だったので。自分は、WOCに行けちゃう、みたいな状況で、そういう状況も嫌だったのもあって、稲毛さんに、「もう1回オリエンテーリングやりましょうよ」って言って一緒に、行きました。

 学生時代は特に、社会人の時のことは考えていなかったのですが、大学2年生のときにWOCに行った時は、WOCに対してすごく後悔とか、世界の舞台に対して、まだまだ全く出来てなかったって思ってた部分があったから、行けるならもう1回チャレンジしたいって思っていて。それで社会人になってもう一度チャレンジしたけど、やっぱりもう知ってたよねっていうぐらい、世界の壁は高かったですね。

ー(牧)木口さんは、続ける予定ですか。

ー(木口)あまり考えられていないですね…ただ、トップ層のスピード感で、ナビゲーションできるようになってみたいという気持ちがあって、それができるまではやるかもしれないです。でも、仕事をするのもとても楽しみなので、どうなるかわからないですね…。

 今は考えられていなくて全然いいと思います。でも、トップ選手のスピード感でナビゲーションしたいというのは、とてもいいことだと思います。全然違いますよ。速く走れる時の、速くナビゲーションできる時のオリエンテーリングは、めちゃくちゃ面白いし、同じスポーツやってるって思えない気がします。稲毛さんの後ろとかを一回ついていってみたら、え。みたいな感じになると思うし、男子でもいいし、世界を目指してほしいとか全然言わないけど、ぜひ、オリエンテーリングってこんなんなんだって一回感じてから決めてほしいなと思います。そこからもし展開でできれば、それはめちゃめちゃいいことですし。

2016年 春インカレリレー 立教大学 準優勝🥈

ーマイナー校のキャプテンとしても活動されていたということですが、早穂さんは、どんなキャプテンだったんですか。

 そもそもマイナー校は、東大OLKのメインの大学(東京大学、一橋大学、実践女子大学、津田塾女子大学など)とは別に、5人以下の大学の人たちが集まった東大OLK内のチームです。私が入った頃はそんなにチームチームしてたわけじゃなくて、1人先輩がいて、同期が1人いて、私含めて3人だったと思います。

 でもやっぱりこう、いつもはOLKとして活動してるのに、インカレの前になると、やっぱり大学ごとにミーティングしたり活動したりして、大学色がすごく強くなるんですよね。

 この間までOLKな感じだったのに、すごく寂しくなっちゃって。それで、 マイナー校も、もっとチームっぽくしたいなって思っていた2年生の時に、後輩が3人入ってくれて。それで2年生の時に、キャプテンと名乗らせていただいたけど、すっごく難しかった。

 もうほんと、難しかった。まだその時の経験がすごく今に生きているなとは思うけど、大学は本当にバラバラだし、リレーを頑張って走っても特別表彰で入賞はできないし。でも、私は立教でリレーが走りたいし、でもチームになりたいし。めちゃくちゃわがままだったけど、その時に色々悩んだことは、今に繋がっているし、その時に、チームでいてくれた子たちにはすごく感謝しています。

 インカレに向かって、一緒にチームをやっていると、いろんな話をするじゃないですか。色々自分の思っていることだったりとか、全然考え方が違うなとか。そういうことにすごく気づかせてもらいました。そういうマイナー校でした。

ー現在も、全日本大会だったり、JOAだったり、そういうところでも、ある種のチーム作りをされていると思うのですが、学生時代の時には、チーム作りにおいて、どのようなことを意識されていましたか。

 でも、私はあまり、参考にできるキャプテンではないですね。

 やりたいことがすごくあったから、よく言えばそれに上手く巻き込んでいたのかもしれないけど、でもやっぱり、当時は、後輩や同期の思いを汲み取るのがすごく苦手だったし、話を聞いてわかるんだけど、じゃあそこからどう行動に移していいかわからない、みたいなことがすごくありました。

 キャプテンとして、これやりましたみたいな、全然なくて。

 でも、とにかく、相手を知ろうとすること。相手にも何か思っていることが絶対あって、その人にとってどうすることが一番いいのかを、考え続けることは、チーム作りって言ったらおこがましいけど、誰かと何かをやることにおいてすごく重要なのかなと、今振り返れば思います。とにかく話すというのが重要だと思う。

 でも、キャプテン像って色々あると思うし、そうじゃない人もいると思うから、それぞれのキャプテン像を見つけてほしいなって思います。

ES関東Cをもう一度楽しいクラブに

2018年 新人が数名加入し、5年ぶりの一桁順位となったCC7📷

ーES関東クラブについてお話をお聞きします。2003年、小学3年生の頃にお母様と入会されて、早穂さんが、社会人になられた後に、ES関東Cを、再活性化したとお聞きしています。どのようなことをされたのですか。

 小学校の頃は、ES関東Cに行くのが楽しくて、オリエンテーリングに行ってたような感じだったんですが、思春期を迎えて、母と一緒にいるよりも、大学生のお兄さんお姉さんと一緒にいる時間に魅力を感じてしまって、ES関東Cからは離れていた時期がありました。ES関東Cは、本当は兼部がダメなのですが、そこをもう完全に破って、トータスに入りました。

 でも、ES関東Cで出会った年上の方々は、ずっと見守ってくれていて、インカレ優勝した時も、すっごく喜んでくれて。

 ES関東Cは、私が小学生の頃、すごく強いクラブでした。日本代表がいっぱいいるみたいなクラブだったんだけれども、時間が経つにつれて、高年齢化も進んで、ちょっとずつ変わっていってしまって。

 例えばCC7(クラブカップ7人リレー)。私が東大OLKとしてCC7に参加したときには、ES関東Cには、全然若い人がいないみたいなクラブになっていて。

 大学卒業して、1年目の最後かな。3月に、色々悩んだんです。ES関東Cを辞めちゃおうかと。若手は私だけだし、やっぱり元気がない。イベントがないから、なかなかね、集まる機会も少ない。

 うーんと思っていた時期に、ちょうど大学を卒業して1、2年目の、「次のクラブをどうしよう」、かつ、「オリエンテーリングめっちゃ好き」みたいな人たちが周りにたくさんいたので、そういう人たちを誘って、伊豆大島で新歓合宿を、企画したんです。それで若手がES関東に何人か入ってくれて。

ーES関東Cを離れるのではなくて、早穂さん自身が、ES関東Cを盛り上げようと思ったのが凄いと思ったのですが、それはなぜですか。

 これは、高校時代から入っていたトータスで、自分が動けば変わるんだなということをすごく学んだからだと思います。トータスって、なんでも自分でする人たちがすごく多くて。運営も、自分たちで考えて、自分たちで面白いものを作っていこうみたいな。そういう人たちに、すごく刺激されたし、そこで学んだことを、ES関東Cに還元したいなと思っていたかもしれないです。

2020年 CC7 優勝🏆

ー早穂さんにとっての、地域クラブとは、何ですか

 やっぱり居場所。私、居場所をずっと求め続けていた人だから、居場所かな。

 クラブが違っても友達はいるし、クラブに入ってなくても、オリエンテーリングが楽しいはずなんだけど、でも、年に1回CC7を目指したりとか大会にエントリーする時に所属があったりとか、自分はどこのクラブのなんとかですっていうことで、そこで改めて自分が何者なのか知れる、みたいな。そこはちょっと言い過ぎかもしれないけど。

ー前回インタビューした村上さんも、同じようなことをおっしゃっていました。東工大OBのつばめ会が楽しくてまたオリエンテーリングに戻られたと。地域クラブという”居場所”は大事ですね。

 そうだね、別にオリエンテーリングだけじゃなくても、この時代を生き抜く中でも、そういう場所って心のどこかにあるとすごく違うのかなって最近思うかな。やっぱり、仕事も細分化されているし、大企業に居続ける人もすごく減っているし、それで、転職、転職みたいな感じになっていくと、自分はここに帰ればいいんだみたいなところがあるだけで違うと思うから。

 オリエンテーリングだけじゃなくても、なんかそういう場所がみんなにあるといいなって思うし、それがオリエンテーリングの中で地域クラブという形になっているのはすごくいいのかなって思っています。

ーES関東Cという居場所をもう1回作り上げた早穂さん…本当に偉大ですね。

 いやいやいや、周りの人たちがいてこそですよ。もう全然私は種しか撒いていないから。

ーそのESの新歓で9名を集めたり、立教で女子部員を集めたり、新歓ではどのような工夫をされたのですか。

 ESに関しては、オリエンテーリングって楽しいなって思っている人たちに声をかけたという感じで。やっぱり楽しそうにしていると人って増えていくから。楽しそうにしていることが、地域クラブは重要かなと思います。クラブのワクワク感みたいなのって、やっぱりその中にいる人たちで出てくるものだと思っているから、新歓を頑張るよりは、ES関東Cで楽しむことを頑張るみたいなの方が大きかったですね。

 立教の新歓はすごく難しくて…。普通、オリエンテーリングってそもそも何かわからないじゃないですか。何しているか全然わからないから、それを逆手にとって、「オリエンテーリングって知ってる?」って話しかけることや、とにかく数を打つ。私は別に新歓に全然成功した身ではないですけど、そうやっていたかなと思います。


後編は、11月1日(水)に公開予定です。全日本大会にて実行委員長として駆け抜けてきたお話をお聞きします!

お話の続きはポッドキャストにて先行配信中!
感想もお待ちしております!

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