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痛みの記憶はどこへ?私が4回の出産で残っている記憶。



▹▸介護用オムツ万歳。1人目の出産。


1人目の出産はさすがに不安。

夜の母親がみんな子供を産んでいるんだ。
私にだって出来る。

そういいきかせていた気がする。
余裕もあるためマタニティヨガや
ウォーキングも毎日のように行い
ウォーキング中に目の中に蚊が入って
恐怖で泣きながらパートナーに
取ってと叫んだ事も鮮明に覚えている。

いや、今回は出産の話。

とりあえず臨月に入り実家に帰った。
定番の里帰り出産。
いつも通り寝ていて夜トイレに起きた時に
起き上がったとともにバシャッと暖かい
水分がでてきた。
すぐに破水だと自分でも悟った。
時間は深夜2時過ぎだったと思う。
お母さん、起きてるかな…と
リビングに向かうと
アニメを鑑賞中の母がいた。
何故か私の母だが、いつ寝ているのかと
不安に思うほど、いつでも起きている。
母は昔からまとまった睡眠をとらない。

あ、また話が逸れる。

母に破水したと思うと伝えると
母は手際よく私に介護用オムツを渡し
車にバスタオルを敷き
病院に電話しすぐ向かうことに。
初めまして介護用オムツさん。
あなたの吸収率の素晴らしさを初めて知った日。

病院に着くまでの車の中
母とたわいもない会話をしながら
内心は不安で震えが止まらなかった。

病院について病室で待機。

当時の旦那も来てくれて
腰を押すがやはり母の方が的確。
母の偉大さを感じつつ
1時間半程で分娩代へ。

え、もう、いきむの?
いきんでいいの?

と大きめな声で先生と会話しながらの
出産だったと思う。
3回ほどいきむと長女が生まれた。

分娩台で1時間、娘を抱いて
幸せなひとときを過ごし
部屋に戻る。
普通に1人でスタスタと元気に歩いて
部屋に行けた、あの体力の満ち溢れた私。

それってすごいんだぞ!
と当時の私に言ってやりたい。

産後は母子同室を懇願。
出産したその時から同じ部屋で過ごし
母性本能の強さを思い知ることとなった。

産後は付き添った母がいて
旦那は仕事に向かったと思う。

旦那もだが、実の母が赤ちゃんを抱くことすら
嫌悪感を抱いたのだ。

そんな中、主人の両親も産後2、3時間に
病院に到着。
当時すごく嫌だったことを覚えてる。
さすがに嫌な態度はもちろん出すことなく
心の中で誰も赤ちゃんに触らないでと
俗に言うガルガル期が来ていたんだなと
今の私は思う。

産後すぐに来なくても…と当時の私は
不満に思っていたと思うが果たして
義理の両親は、どのタイミングで
赤ちゃんを見に行くのがベストなのだろうか。
やはり母体のことを考えると
出産当日ではなく翌日くらいの方が
いいのだろうけれど。
実の母は良くて義理の両親はもう少し後で
来て欲しい、恐らく気を使うから?
その気持ちも、わかりはするものの
自分の孫とゆうことに違いは無いわけで
早く見たい気持ちも今の私には分かる。

私も大人になったんだな。

産後こんな早くくるの?疲れてるのに?
と当時旦那に愚痴ってしまったが
その辺は私の気持ちに寄り添ってくれる
理解のある旦那だった事に感謝していた。

ごめんなさいね。余裕がなくて。
今の私が変わりに謝ります。


母乳が初めはなかなか出なくて
何で出ないんだろうと自分を責めた。
母親失格な気がして上手くいかない現実に
夜な夜な眠れず、泣きながら赤ちゃんに
乳を吸わせてたっけな。
そんな時も看護婦さんが優しく寄り添ってくれて
大丈夫、初めはみんな同じだから
母乳は寝ないと作られないから
とりあえず今はミルクを上げて
赤ちゃんが寝ている時間しっかり寝るのよ
と教えて貰って、優しさにもまた涙した。

乳首が切れて凄い痛みだったけど
乳首にラップを貼って
ラップの万能の素晴らしさを改めて感じた。

病院では看護師さんが何時でも近くにいる安心感で
退院したくないと思った。

でも、もちろん退院の日は来る。

退院後、主人の実家に顔を出し
実家に帰ってベットに横になった。
その夜、出血が増えて倒れることになる。

原因はおそらく主人の実家
3階の往復を赤ちゃんを抱いたまま
何回かしてしまって
体力に自信がある私は
無理に気が付かなかった。
私の実家に到着した時も
自分で荷物を下ろしたり
2階に運んだりテキパキ動いてしまった。

出血が増え何度もトイレに行く
止まらないからトイレから出られなくなり
母に伝え、介護用オムツ再来。
あなたの素晴らしさは知ってる。
トイレに座ってフラフラしながら
介護用オムツをはいてトイレから出ると
視界が真っ白になり吐き気がした。
頭も痛かったような気がする。
そのまま廊下に倒れ込んだ。
意識はあったが視界が見えなかった。

何とか家族に支えられ再び病院。
再び分娩室。

お腹に溜まった血を掻き出す処置が
行われ痛みと気持ち悪さを感じたことを
覚えている。

そのまま2日ほど入院したと思う。
その後は無事退院した。




▹▸病院に早く行き過ぎた。2人目の出産。


2人目の出産はなぜだか記憶に薄いが
思い返ってみる。
おそらく2人目は妊娠中のエピソードのほうが
多いような気がする。

まず、水害にあい卒業アルバムから
全てを失うことになる。
 
もうひとつは、臨月の時に川に泳ぎに行って
足を踏み外して宙ぶらりんになり
ファイト一発(CMあったよね)の状態
一歩間違えば…と思うが今となっては
笑い話である。

はい、出産の話。

里帰りをしたのかしてないのかすら
覚えていないが
鮮明に覚えていることがある。
それは、病院に早く行き過ぎたこと。

陣痛だと思い病院に電話し向かったが
一向に強くならない陣痛。
分娩台にいっても若干の陣痛があるものの
いきみたい感覚がないのに
いきんでと言われる。
無理だよ。と思う私をよそに破水させます
と進めていく先生。
何が嫌だったって、破水させるのが
本当に気持ち悪かったと記憶に残る。

破水させると一気に陣痛は強くなったのだが
いきみたい感覚がまったくこなかったが
先生からは、いきんでと言われるので
無我夢中で無理やりいきむ。
いきみたい感覚がない=赤ちゃんが
出てくる気がない。と私は感じる。
それを無理やり出そうとするから
出てこなくて何回も何回もいきんで
やっとの思いで産んだと記憶に残った。

さすが2人目は少し余裕があり
母乳が出なくて泣くことも無く
1人目の子供が2歳になる前のことで
子連れ入院をしたため
2人の子育てを楽しんでいた。
相変わらずガルガル期は健在だったが
1人目の娘が赤ちゃんを可愛がることは
嬉しく思ったこともしっかり覚えている。



▹▸私服で分娩台へ。3人目の出産。


3人目ともなるともう出産も慣れたもの。
お昼頃に陣痛を感じ、これは今夜くるな。と
確信を持つ。
入院準備をすませ何だかんだ、15時。
そこそこ痛いが当時の主人の仕事が終わるのが
17時だったため、どうせ早く行ったって
2回目の出産の二の舞。
そう思い17時まで待つことにする。

帰宅後、おそらく入院になると悟った私は
二人の子供のお風呂を彼にお願いする。
そんなこんなしていると18時が過ぎた。
呼吸が荒くなる私を見て、慌てる彼。
慌てる彼を見て面白がる私。
が、面白がっていたのもつかの間
車内で陣痛がどんどん進み
いきみたい。やばい。と確信。
このままでは産んでしまう…
と思いつつ何とか病院到着。


え、いきみたい。歩けない。

駐車場を這うように移動。
古い二階建ての病院だったため
エレベーターもない。
分娩室は二階。

彼と看護婦さんに両脇を持たれ
階段をジワジワ登ったことを
鮮明に覚えています。

ごめんなさい看護婦さん。

私は高身長プラス妊娠すると毎回
20kg~25kg増える。
凄まじく重かったはず。

あのときの看護婦さん、感謝してます。
ありがとう。


もうだめだからそのまま分娩代入れて
と先生が言った。

もちろん先生も私服。


もっと早く来てよーと先生に叱られながらの出産
分娩室に入って5分で生まれたので
3人目の母子手帳の出産にかかった時間を
書く欄があるのだけれど
3番目のみ、まさかの空欄になった。


▹▸陣痛誘発剤を初体験。4人目の出産。


4人目はフルタイムで働いていたこともあり
計画的に。計画的に。
仕事も無事ひとだんらくし
いつ生まれてきても大丈夫だよ!
とお腹に話しかけた翌日に
生まれた彼は生まれた瞬間から
優秀である。

いつ生まれてきても大丈夫だよと
話しかけたその夜に微妙に破水。
はい。私は経産婦。少しの破水でも
わかってしまうのです。
知識もついて
あ、これは高位破水の予感は的中。
そのまま入院になり
朝までに陣痛が来なければ
感染症のリスクなどを考えて
誘発剤を使いましょう。

初めての誘発剤にビビりながら朝を迎え
陣痛は来ず点滴から誘発剤を流し込む。

よし。眠れる時に寝ておこう。

そう思い私は、ひたすら寝た。
何度か看護婦さんが起こしに来る。

さわこさん、大丈夫ですか?

あ、寝てました。

また来ますね。

この1連を3回くらい繰り返した気がする。
少しお腹は痛かったが
眠れないほどではなかったため
ひたすら眠っていた。
いきなりお腹から破裂するような
ポンッとゆうような、大きな音がして
びっくりして目が覚めたが
気づいたらまた眠っていた。
なんて図太いんだろう。

さすがに看護婦さんも私を起こし始める。

さわこさーん、定期的に張ってますけど
どうですか?

え、少し痛い時もあるんですけど寝てました。

とりあえず子宮口確認しましょうね。


7cm。
経産婦さんだし怪しいので
もう分娩台へ行きましょう。

そこから多分1時間後には産まれたのは
良かったが出血が多く分娩室で
おなかをぐりぐり押されたり
おなかに氷を沢山当てられ
早く終わって欲しかった。
なんにせよ母子ともに元気だったから
問題は無い。

ここの病院は初めての病院で
今までの病院とは違い
母子同室は産後翌日からだった。
ガルガル期が、激しい私は
一緒がいいと抗議したが

休むのも母親の仕事ですよ。

と叱られ泣きながら一夜を耐え忍んだ。
赤ちゃんが見えないいない不安で
眠れなかった。
いや、出産前に寝すぎたからかもしれない。

翌朝一番にお迎えに行った。

コロナ禍だったこともあり
面会禁止だったが
4人目とゆうこともあり
ゆったりした気持ちで入院生活を送れたと思う。

退院後はデスクワークだったこともあり
産後1週間で在宅仕事復帰。
忙しすぎたのか乳腺炎を4回も繰り返し
熱ばかり出した1年間だった。


▹▸おわりに


最後まで見て頂き、ありがとうございました。
出産って十人十色で同じことはないので
毎回楽しみとゆうと変なのかもしれないけど
私は楽しみです。
安産だから言えることなんでしょうね。
幸せに思います。

もう恐らく出産することは無いので
少し寂しいような気もしますが
孫に期待したいと思います。

私はこの出産とゆう神秘的な経験を
出来たことに幸せを感じているので
生まれ変わってもまた、女に生まれたいです。











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