優しい人には恋人がいる

あたりまえ体操。

なんかヴャッとしたので書く。意味はない。

人間的魅力に溢れる人物は、大抵彼氏か彼女がいる。当然だ。こんなにも素敵な人物と伴侶として添い遂げたいと望む人間がこの世に存在しないわけがない。彼ら「善い人」たちが恋人と共に幸福であることは間違いなく歓迎されるべきであるし、その幸せは何者にも壊されるべきではないと強く信じている。

ただ、「善い人」が既に誰かの特別であると知った時、私は少し痛んでしまう。
「その人のくれた優しさは私限定ではない」ということの証拠を得てしまったからだ。

下心や贔屓目などあるわけがない。
彼らの持つ人徳が、そのように行動させただけ。特別じゃない人にもそのように振る舞えるということは、理性を獲得した獣として推奨されるものであり、かくあれかしと望まれるものだ。私は彼らの善性を否定できない。私こそその善性を獲得したいからだ。

ただ、私だって誰かから選ばれたい。私以外の人間から、唯一のオリジナルとして尊ばれたい気持ちは当然ある。
私は恋をしたことがないけれど、もしかしたらこれもまた恋と人はいうのかもしれない。
私を承認する存在が私以外にいること、それは確かに幸福のひとつの形だ。それを求めることを恋というのならば、確かに私はこの「優しい人」に恋をしていたのかもしれない。

でも、私は「特別」ではないとわかったからこそ、改めてその人の人間性を善いものと純粋に再認識できるので、この話に悪い感情はひとつもない。
私は選ばれず、彼らは善人だった。それだけだ。

……でもさぁ、逆に、ね?
そこで特別だったらそれはそれでどうなんみたいな感情は、ある。意味わからんけど。
私は“同期と先輩には優しいけど、後輩には厳しい”みたいな人間はすこぶる苦手だ。だから望ましいのは、“みんなに優しく、私にはさらに優しい”という聖人の権化みたいな人間がいい、というか、私はそれになりたい。
でもだからといってその好意を何らかの形で示された時、はいって受け取れるかって言われたらなんか無理な気がする。それは……それは、私の欲しかった答えか?というと、違う気もする。

友達(同性)に“特別”ってされると嬉しいのに、異性に“特別”ってされてしかも私限定だったら最終的には微妙な感じになるの、結局ネックは性愛なんだろうな……
他人の性愛はどうぞ!って感じなんだけど、対自分になるとなんかウワッてなっちゃう。

「好きです」を「お前の人体に興味があります」へ条件反射で変換しちゃうのキモすぎるとわかってはいるけど、でもカマトトぶったところで最終的にそういうことするなら意味合いは一緒じゃん。
で、私はそこがなんかキツい。処女だから?やったことないから怖気づいてる?ううん、そういう感じじゃない。人間が動物になるのが……なんか……なんかダメなんだと思う。

自意識過剰、なんかな。でも自意識過剰だから何…?そんなにダメ…?自分のことなんて一番気にかけるものじゃないの…?
だってこの肉体動かしてんのは誰でもなく自分なんだから、一番に見てあげなきゃいけないのでは。
ああもう、ほんとに、恋愛向いてねーな!


追記:
まってわかった。私、恋をしたことがないので「あなたのことが好きだからあなたの体も好きになったよ」が理解できないんだけど、これが他人によくない形で適用されている!多分。
つまり、私は「私の人格が好き」と「私の肉体が好き」は別々で成り立ってると思っている。で、まあ友達から贈られる「好き」は前者で確定するからいい。
よくないのは、異性として「好き」が贈られる時。私は一応前者と後者の双方で受け取って、後者の方が強くあると見ているのだ。いやだって前者の「好き」しかないなら恋人になる必要ないじゃんね。友達でいようね。と思うからだ。
もしかしたら告白してくれた相手は前者の「好き」の割合の方が多いのかもしれないけれど、私はこの認識を改められない。それ以外が理解出来ないからだ。最悪でごめん。
あと、友人に言わせると、私みたいな人間は、前者の「好き」を継続して与えられるために後者の「好き」をペイする、と思考した方がいいらしい。いやド正論。……なんだけどさ、私はまだ、あなた以上の人を見つけられてないんだよね。結局身代わりは探さなきゃならんのか。嫌だなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?