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【最新作云々76】それがし、透明人間に非ず... 世間の規範に従うことの困難な風来坊女性が異分子の声に無関心な家族に,そして社会に爪痕を遺さんと怨嗟の念を滾らせるマイノリティーの絶望映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』

 結論から言おう!!・・・・・・・こんにちは。➳ ( ˙-˙=͟͟͞͞)♡
 あれよあれよという間にゴールデンウィークが終わりまして、今年も今年とて大満足とはいかないまでもダメダメでもなかったなんとも中途半端な過ごし方だったんですが、ふと過去四十年足らずの人生を振り返っても"大満足だったゴールデンウィーク"がパッと思いつかない、O次郎です。

とりあえず、主だったところとしては毎日十キロ以上走る日課は達成しました。
それというのも知人に誘われて来月、ハーフマラソンに参加することになりましたゆえ…。(´・ω・`)
結構強引でしたが自分だけならそれ系イベントに参加する決心なぞ一生つかなかったかもなので。
まぁ、やってみて楽しければ儲けもの、散々だったらその時はネタ話として昇華すればヨシ!
相手は普段からスポーツやってるだけあって還暦過ぎてるとは思えないほどの
ガッシリしたオジさんですが、二周りほど僕の方が若いので負けるわけには・・・。(o´罒`o)

 今回は最新のチェコ映画『私、オルガ・ヘプナロヴァーについてです。
 1973年、チェコの首都プラハで群衆にトラックで突っ込み、多数の死傷者を出して翌年チェコスロバキア最後の女性死刑囚となったオルガ・ヘプナロヴァーを巡るクライムドラマ。
 事故当時22歳のうら若き彼女の、裕福ながら家庭の世間体のために存在を否定され続けた少女時代、そしてようやくありつけた職場と精神病院を行き来する中で世間の無理解と冷笑に苦しみ、被害妄想も相俟って内在する憎悪を先鋭化させていくその姿・・・・・・同性の愛人達との刹那的な享楽に身を委ねつつ幼子のように孤独に打ち震える主人公の姿を主演のミハリナ・オルシャンスカが全身全霊で体現し、モノクロームで寒々として生気の感じられない画造りと劇判並びに劇的な展開を排して淡々と空疎な日常を描くシュールな世界観は観る者の心を鷲掴みにすること請け合いです。
 クライム映画の中でも、往年の邦画の実録犯罪映画のようなヒロイックさとは一線を画すその妙味……その片鱗だけでも感じていただきたく、読んでいっていただければ之幸いでございます。
 なお、ラストまでネタバレ含みますので、鑑賞の予定のある方は予めご注意をば。
 それでは・・・・・・・・・・クロスカントリー!!

中高生の頃の長距離走はマラソンではなく"クロスカントリー"と呼ばれてましたね。
授業を半日分潰して全校一斉で大々的に行って、運動部なんかは
"最低でも○○位以内で!"みたいなノルマ課せられてたり・・・。
僕は高校は学区外に進学してて、毎日実家から片道30~40分のバス通学だったので
高校の周辺地域を巡るのはそのクロスカントリーの時ぐらいでしたが、
山奥の寺院が中間地点なこともあってか、道中に昭和四十年代ぐらいの一軒家(当時は00年代初頭)が立ち並ぶ集落が有って、そこだけタイムスリップしたような感覚に陥ったのを思い出します…。


Ⅰ. 作品概要

※Wikiのページが存在しないため、公式ページをご参照ください。

(あらすじ引用)
経済的に恵まれた家庭に育った22歳のオルガ・ヘプナロヴァー(演:
ミハリーナ・オルシャンスカ)は、1973年7月10日、チェコの首都・プラハの中心地で路面電車を待つ群衆にトラックで突っ込み、8人が死亡、12人が負傷する「事故」を起こす。犯行前、オルガは自身の行為は多くの人々から受けた虐待に対する復讐であり、社会に罰を与えたとの犯行声明文を新聞社に送っていた。両親の無関心と虐待、社会からの疎外やいじめによって心に傷を負った彼女は、自らを「性的障害者」と呼んだ。大量殺人という形で社会への復讐を果たしたオルガは、逮捕後もまったく反省の色を見せることはなかった。

 というわけで全体の尺は二時間弱なのですが、実際の犯行とその後の公判と刑執行は僅かラストの10分程度であり、それより以前は少女期から青年期に掛けてのオルガの空疎で苦悩の日々が淡々と延々と描かれます。
 上述のように決してヒロイックには描かず、周囲からの有象無象の拒絶に対して黙々と耐えつつも疎外感を強めていくのですが、ミハリーナの体現するオルガのドライで虚無的な佇まいが却ってゾッとするほどのカッコ良さを感じさせます。
 ビジュアル的には『レオン』のマチルダを彷彿とさせるのですが、世のあらゆる理不尽に無言で抗い続けるその反骨の姿は『女囚さそり』の松島ナミの延長線上のキャラクター性が見えます。
 殺風景で人となりや温かみを感じさせない小屋を寝床とし、仕事で運命的に出会った女性と愛を交わすもその粗暴さゆえに拒絶され、やがてゆきずりの女性と肌を重ねては酒と煙草に溺れてゆく・・・まるで往年のハードボイルド作品や実録犯罪映画の主人公の如き"オス"の滾りが強烈です。

少女時代は"朝起きられない、憂鬱で気分が乗らない"ということで登校拒否。
直接的な描写こそ有りませんが教師である父親からは体裁を気にしてか鉄拳制裁も日常茶飯事
だったようで、一方で歯科医師である母親は薬を処方するだけでまるで腫れ物のような扱い。
精神不安定な中で薬を大量摂取したオルガに対し、
母(演:クラーラ=メリーシコヴァー)が淡々と発した
自殺するには強い意志が要る。あなたには無理。」という言葉は
彼女の人格と存在そのものを二重に否定する刃であり、
まさにオルガが自分を取り巻く世界を否定する端緒であったことが覗えます。
働く年齢以降は女だてらに(作中状況を見るに当時として珍しかったようで)タクシードライバー。同僚の中には陽気な者も居ますが、オルガの場合は極力チームワークや煩わしい周囲との
コミュニケーションを避けるための手段としての意味合いが強く、協調の色を見せません。
スカートを履くどころか華奢な身体に明らかに不釣り合いな
ワイシャツ・ネクタイ・ツータックズボン…周囲の好奇の目を敢えて集めて
それに睨み返している
。そんな日常。

 会社の寮に入る以前は山小屋を住居としていたのですが、それとて家族が用意したもの。
 冬場は尋常でない寒さになるということで、母親や兄弟が厚意から車でストーブを運び入れてくれたのですが、その際に母が「やっぱり実家に戻ったほうが…」と漏らした一言に対して「私は一人でやっていける!さっさと帰って!!」とオルガが激昂し、それを黙って受け流すシーンは実に印象的でした。

 いきなり私事になりますが、僕は大学卒業後に新卒で入った企業がどうにも性に合わず、半年足らずで退職し、親の勧めるままにそのまま首都圏に留まらず関西の実家に一旦引き揚げました。その後数か月は実家暮らしだったもののあまりにも周囲と密な田舎生活が嫌で、再上京へのステップとして実家から車で一時間程度の距離の親戚の居る地方都市で一人暮らしを始めたのですが、その際に住んだアパートの隣室の住人がハンディキャップのある若い女性でした。
 僕が入居した際に菓子折持って挨拶に行ったり通路で擦れ違った際に会釈する程度でしたが、とある休日の朝、その隣室から喧嘩の怒鳴り声が聞こえてきました。彼女のお母様らしき女性の「○○ちゃん、いつでもなんでも相談してちょうだい。」という宥めるような声に対し、「うるさい!私はもう成人してる!一人でやっていける!」との怒りの返答…。
 
 置かれた状況は勿論異なりますが、いつまでも自分を"庇護しなければならない存在"として一段も二段も下に見る親族の態度に憤懣遣る瀬無かった、という意味合いでは近しいように思えました。
 本作中でも、僕の出会った母娘にしても、親の側に見下げるような気分は無いか限りなく小さいものだったにしても、当人にとってはその温情が翻ってこの上ない屈辱に感じられてしまったのでしょう。
 余談ながら僕はそのアパートに一年ほど住みましたが、その隣人女性はそれより前に退去し、ご丁寧に僕のところにも挨拶に来てくれました。その後どう暮らしているかは不明ですが、本作中のオルガとは違って相手の善意にも思いを向けられる成長を経たと信じたいところです。

 本題に戻りますが、そうした風来坊的な生活で日々を乗り切るオルガの前に、同じ会社で事務員をしている美少女イトカ(演:マリカ・ソポスカー)が現れ、空疎だった毎日が俄然華やぎを見せます。

それまで常に俯き加減で"話し掛けるな"オーラ全開だったオルガが
逃れ難いイトカの魅力の前におずおずと声を掛ける。
さながら"俺は不器用だから、声を掛けるのに半年かかった…"状態。
同じ性向を持つ者同士、惹かれ合うのに時間は掛からず・・・
酒場ではしゃぐなど、それまでのオルガからは考えられないようなパリピ的行動も経て
恋人との日々を謳歌するのだが、、、

 次第にイトカの側の熱情は醒めてしまい、「あなたはいつも油の匂いがする」と呆気無く別れを告げられてしまいます。
 彼女への恋情から懸命に世間的感情に迎合しようと努めるオルガでしたが、寒々として飾り気も無く明光風靡でもない住処をして「あなたにこの小屋をあげる」という告白はロマンチックとはほど遠く、仕事柄トラックの機械臭を纏いつつ会えば酒と煙草を嗜むばかりであとは肌を重ねるばかり……可憐な容姿とはあまりにかけ離れたオジさん過ぎるオルガに対し、うら若き乙女のイトカが幻滅するのは必定だったのかもしれません。
 イトカにとっては単なるパートナーへの失望であり、一つの恋の終わりに過ぎませんでしたが、他方で寄る辺無い生活の中で唯一ともいえる社会との接点、社会への希望の端緒を失ったオルガの絶望は相当なものでした。

イトカとの愛を失ったことで再び色を失った虚無の世界へ。
またぞろ表情と生気を失った幽霊の如き彼女へ戻りますが、
そこにまたゾッとするこの世ならざる色香を感じてしまうのもなんともかんとも…。(´罒`)
悪いことは重なるもので、職場でも周囲への愛想の無さや
顧客への粗暴な態度が問題視され、同調かさもなくば排除という
無慈悲な圧力が強まります。

 その後は会社と親族の強い要請もあって、精神病院と職場の寮を行ったり来たり。カウンセリングの場に於いては自身が同性愛者であることも忌憚無く打ち明け、うわべでは優しい言葉を掛けながらの世間の無理解と恭順圧力の矛盾への怒りを吐露しますが、自助努力を説かれるばかりでなしのつぶて…。
 母と相対するも彼女にしてもただ薬を処方し幾分かの金を渡すばかりで、向き合うばかりかまるで怪物に怯えるかの如く・・・親族の側のみならずオルガの側もぶつかることを面倒に感じてじわりじわりと厭世観を強めていく様になんとも胃が締め付けられます。

宵越しの銭は持たず、バーで酒と煙草を喫しながら一夜のアバンチュールを求める…。
世間の白い眼などどこ吹く風というように荒々しく相手の女性を求めながらも、
その実誰よりも孤独を感じて人の温もりを求めている内心
が辛い。

 とどのつまり、オルガはあまりにも生真面目で純粋だったのでしょう。
 彼女の同僚の中に陽気な中年男性ミーラ(演:マルチン=ペフラート)が居ましたが、彼も仕事ぶりや人付き合いは実にちゃらんぽらんな反面、"為せば成る"的な楽観主義の強みが有りました
 幾度か二人でバーで飲み、他愛無い話で一時憂さを晴らしていましたが、此方の生き辛さに対して斟酌せずに平準化を求める周囲の厳しい視線に"そういうもの"という割り切る強かさをオルガも持てていれば、と思わずにはいられません。土台他人を変えようとするのは難しいことですし、それでいて自分がそれに合わせるのが難しければお互いに傷付かない距離を保っていくしかないでしょう。
 翻って、上手く合わせられない異分子を許容出来ない周囲の弱さを理解する境地に立てず、自分をはじめとする異分子を力尽くでも世間に認めさせるヒロイズムへと自身を追い込んだ経緯は、周囲への不振を育む過去が有ったとはいえ、自らに向けられた幾何かの善意にも思いを馳せられなかったのかと不憫でならないところです。

自分としては懸命に"普通"に擦り寄ろうとしているのに、
その"普通"の側からはその労苦が労苦として視認されない、、、

 而して自分のような存在をまるでそこに居ないかのように扱う世間に対して"我此処に在り"を突きつけるべく、オルガは暴力に訴えます。
 列車を待つ市街の群衆にトラックで突っ込み、数十人の被害者を出すわけですが、駆け付けた警官が「ブレーキの故障か?!」と驚き問い質すシーンがまた静かなショックです。うら若き女性が不特定多数の世間に対して左様な憎悪を抱いていることなど、あり得ないことなのでしょう。

やがて裁判での赤裸々な犯意の告白もそぞろに、異分子として
死刑を言い渡されることになりますが、、、

 面会に訪れた母が何も発しないうえ、ラストでまるでオルガの存在をひた隠すかのように努めていつも通りの晩餐を繰り広げる実家の情景・・・"北風と太陽"ではないですが、オルガの文字通り決死の行動は世間をそして家族を絶望的なまでに意固地にさせただけだったようです。


Ⅱ. おしまいに

 というわけで今回は最新のチェコ映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』について語りました。
 クライム映画であり、ハードボイルド映画であり、そしてマイノリティーの慟哭の映画でもあり、劇映画的な演出を極力排しているがゆえにジャンルレスにその妙味を感じさせるカウンターパンチ的秀作だとあらためて思いました。

余談ながらパンフレットも非常にクールな出来栄え。
監督や主要キャストのインタビューも充実ながら、
各宣材カットがそのまま引き延ばしてポスターとしても流用出来そうなシックな画です。

 "犯罪映画"といえばギトギトした油ギッシュなものを想像しがちですが、その対極に君臨する一本として好事家にも苦手な人にも観てもらいたいこの静かなる狂気…。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。



昨晩、当選してたとある試写会のために日比谷の
東宝さんの試写室に行ったら一階に慣れ親しんだ平成ゴジラ、しかもビオゴジ!!
(=^・ω・^=)(=^・ω・^=)(=^・ω・^=)


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O次郎(平日はサラリーマン、週末はアマチュア劇団員)
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