【ようやっとの舞台噺ほにゃらか①】劇団つばめ組第20回公演『シャイヨの狂女』を観てきましたよ、という話
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
毎年、この時期はコタツをいつ出すか悩みに悩む、O次郎です。
今回は舞台観劇日記ということで、先日池袋で観劇した劇団つばめ組第20回公演『シャイヨの狂女』についてです。そもそも自分のHNを"O次郎(平日はサラリーマン、休日はアマチュア劇団員)"と設定しておきながら今まで全く舞台関係の話をしとらんかったのよね…。(o´罒`o)
私が今現在所属している劇団を退かれた方が客演されたので観劇お誘いいただき、観に行ったという次第です。劇団関係の話を書くのは初ということで、自分が芝居に足を突っ込んだ経緯についても掻い摘んで記そうと思っております。
いつもの映画やドラマの鑑賞話とたまの自分語りとの中間のような感じですが、よろしくお付き合いいただければと思います。
それでは・・・・・・・・・・・・・"コタツで寝るときは○玉熱しないよう気をつけろ"!!
Ⅰ. 自分がお芝居に足を踏み入れた経緯のおはなし
少年期にお芝居をやりたいと強く思うような機会は特段無かったように思います。中学生の時には文化祭で各学年20~30分ぐらいの尺で体育館でクラス演劇やりましたが別にそれで芝居に魅了されたわけではなし、高校では確か展示と演劇が学年で半々になるようにクラス毎に抽選だったような気がしますが、どの学年の時にも稽古やなんやらを厭う物臭な人たちが多かったのかそれとも勉強時間を確保したい真面目な人が多かったということなのか、展示ばっかりだったように思います。
それから一年浪人を経ての大学時代、仲の良かった友人に誘われて一年ほど演技を齧りましたが、元より所属していたサークル(ちなみにヴィジュアル系バンドの同好会でした)の活動や就職活動が忙しくなってそのままスパッと辞めてしまいました。活動自体は楽しかったと思いますが、振り返るにその時点では然程執着が無かったんだと思います。
※ちなみにV系バンドに関する思い出噺はこちらです。よろしければ併せてドゾ―。 つ
で、そっから新卒で入った会社に全然適応出来ずに半年足らずで辞めて実家に戻ったり、一年ほどリハビリがてらバイトして上京してすったもんだがあった末に定職に就いて数年後に会社が急成長のうえに急落して失業手当でまったりしたり、再就職先で酷い扱いを受けたり、かつての上司の誘いで再々就職したりと実に色々ありましたが、30歳を過ぎたあたりから仕事以外のコミュニティーを持ちたいと強く意識するようになりました。
というのも、仕事をする中で相手にリスクを最大限押し付けて自分の利益を最大化させることを当たり前のように実行しようとしてそれを当然のこととして疑わない取引先担当者方(特に大手企業に多い)に心底辟易し、「人間として真っ当であるということはどういうことか?」を折に触れて考えるようになったのです。それ以前のフリーター時代には、特に社会的立場が高くないであろう方ほど此方に横柄な態度で当たってくる様を目の当たりにしていたこともあると思います。
それゆえに、結局は仕事で自己承認欲求を上手く満たせなかった人が失職したりリタイアしたりした際にそれを無理やり満たすべくマウンティングに到るのだろうと感得し、自分は絶対にその轍は踏まないようにしたいと思いました。お世辞にも出世コースとは呼べない人生街道ゆえの負け惜しみ的な側面は否めませんが、何時如何なる時でも、どんな人に対しても常に礼節を重んじた態度を示せてこそ真っ当な生き方だと思いますし、そうした人間になるために仕事をするべきなんだと思ってます。
その結果、「もし仕事を失っても自分は自分だと言える心持ちを持たねば」「仕事以外のコミュニティーを持たねば」という考えに到り、昔齧った芝居の門をもう一度叩こうと近所で活動している劇団を訪ねて入団させてもらって3年半ほどになります。芝居をやる動機付けとしては不純かもしれませんが、それが紛れも無いところなのです。
というわけで前置きが長くなりましたが以下、観劇の感想のお話でございます。
Ⅱ. 劇団つばめ組さんの第20回公演『シャイヨの狂女』を観てのあれこれ
〈あらすじ引用〉
二十世紀、パリのカフェ『フランシス』で男たちが悪だくみ。
「パリの地下には油田がある」「この町を壊して石油を掘って金儲けをしよう」・・・。それを聞いたシャイヨの狂女は町を守ろうと仲間たちと立ち上がる・・・。
第二次世界大戦時、ドイツ軍に占領されたパリで書かれたジャン・ジロドゥ最後の伝説の作品が混沌の二十一世紀に復活。夢見る力は未来を変える。
というわけで、ナチスドイツの圧政下で老境に差し掛かりながらラジオやレジスタンス活動に身を投じていた作者が産み落とした戯曲。
"権力・拝金主義的な資本家たちから変わり者の老女達と労働者階級一同がパリを救う"という、『七人の侍』の「勝ったのはあの百姓達だ」にも通ずるような郷土愛・人間愛の勝利を謳う物語かと思いきや、そうとも限らないようで。
社長や鉱山師たち資本家は荒唐無稽な地下の油田の噂話に湧きたっていましたが、そのために町を丸ごと破壊するなどあまりに突飛でおよそ現実的ではなく、一方でカフェに集う狂女オーレリーと仲間の狂女達および労働者諸氏は彼らを断罪すべく屑屋を彼らに見立てて欠席裁判をはじめ、屑屋の妄想で資本家たちの罪がより一層誇張されつつ、最後は屑屋本人の花に関する不見識を転じて彼らの有罪と決めつけ、カフェの地下室に資本家連中を誘き出して閉じ込めて(本公演の演出ではオーレリーがはっきりと彼らを射殺していましたが)大団円としています。
これに関し、資本家たちの姿こそは困難な状況下にある人々の被害妄想の産物であって、作中での欠席裁判と狂女達が過去の記憶を現在へと置き換える現実化の劇中劇がそうした社会及びその構成員の想像力の混乱を解消する、即ち"社会の混乱を演劇が解決し得た"という言説を目にします。
しかしながら現代社会の中で本作品を鑑みるに、"資本家たちが油田開発のために町を破壊しようとしている"というくだりはまさに今でいうところの「陰謀論」そのもののようで薄ら寒く、それをまことしやかに恐れて彼らを一方的な欠席裁判と地下室への監禁という暴力装置で葬った経緯にしても、結局は狂女と労働者諸氏も資本家連中と同じ穴の狢のようにも映ってしまいました。
そしてそうだとすれば、そこで狂女オーレリーが資本家連中と入れ替わりの形で垣間見た"動物を助けた人々の幻""植物を助けたり作ったりした男達の幻""狂女の初恋の人アドルフ・ベルトオの幻"の姿にしても、彼女の自己弁護の産物のようにも見えます。
本作でジロドゥは侵略者によって齎された市井の人々の不安から来るとめどない妄想に演劇によって終止符を打っていますが、自分に都合の良い情報があらかじめ選別されて届くがゆえに個々人の常識すら千差万別な現在、遍く人々の想像力の混乱を解消出来る演劇など存在し得るのでしょうか?
というわけであらためて今回の劇団つばめ組さんの公演についてですが、本来のお話がかなり現実と虚構の入り混じる複雑怪奇なものであるゆえか、なかなかに大胆な現代アレンジが加えられており、演出家さんの遊び心というか趣味嗜好が要所に顕れておりました。
まずもっての初っ端からの池袋駅の構内アナウンス音声。主人公の狂女オーレリーが意識的に過去の新聞を読んだり、ピエールを過去の恋人と見做してそれを現在化するなど、作中でも過去と現在が交錯していたのでおそらくはそれに肖った演出だったのかもしれませんが、であれば終幕後にもアナウンスを入れればより地続き感が出たかも。
そして序盤からちょいちょい差し挟まれるドラクエネタ!最初は小ボケやBGMだけでしたが終盤にはオーレリーと資産家諸氏がドラクエ歩きも披露してくれました…。敢えてのミスマッチとして演出家さんの幼少期からの慣れ親しんだものをブッ込んだ、ということかと思いますが、どうせなら資産家と幻達だけにその挙動を配していれば作中での夢うつつの存在に対する良い目印になったかもしれません。
※あまりの作品とのミスマッチで受け付けない方もいらっしゃったと思いますが、解り易い笑いとしてアリだったのではないかと。資産家三人が地下室に入っていく際にこのケンシロウ歩きやってくれればさらにツボでしたが…。
最後にカフェの歌い手さんと狂女達がそれぞれ熱唱する「恋はみずいろ」。フランス発祥ではあるものの発表が1967年ということなのでかなり時代を先取りしてますね。同劇団の前回第19回公演の『三人姉妹』も拝見しましたが、その際には吉幾三さんの「俺ら東京さ行ぐだ」が唄われたりしていましたのでそれに比べるとそこまで素っ頓狂なセレクトではありませんでしたし、作品に対する意味付けがどうかは解りかねますが、メリハリとしては良かったのではないでしょうか。
※終演後、帰りにSpotifyでヘビロテしちゃった。(ᅙωᅙ)
その他、オリジナル要素以外で気になったところといえば2幕での四人の狂女の揃い踏みの場面でしょうか。それぞれのビジュアル的な奇抜さは見ていて楽しかったのですが、反面そちらに捉われてその場に居もしない過去の恋人や愛犬と戯れる各々の姿の哀愁がやや薄まってしまい、虚々実々に生きる女たちの様にこそフォーカスして欲しかったところです。
本来であれば四人とも老女ということですが演者の女性方が若々しく、結果として場面としての圧が強過ぎたようにも思えました。
また、特に惹き付けられた場面としては皿洗い娘のモノローグで、店を訪れる好色で醜悪な男たちに晒されながらも真実の愛を見失うまいとする姿は作品テーマにも通底していると思いました。
※なんかあのモノローグ聞いてて思い出したのがこの曲の世界観。
プロの役者さんが多く、題材も硬派な古典が多いようですが私のような素人でも入り込めるようにフックの笑いが要所に入っていたりして間口を広げようと腐心なさっているのがよく伝わりました。
Ⅲ. おしまいに
というわけで今回は舞台観劇日記でした。
料金や尺からいってどうしても映画に流れてしまいがちですが、お金と時間使ってるからより一生懸命観ようという気にもなるわけで。特に歳を経るごとに好奇心が薄れていくのが常ゆえ、何かに没頭する経験はより基調になってきたと感じております。
自分が所属してる劇団の公演が近くなってきたらそれについても逐次書く所存です・・・あくまで五月蠅くない程度に。(゜Д゜)
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。