【趣味人噺③】"ラジオの帝王"が語っていた『まんが日本昔ばなし』の強烈エピソードを映画に喩えてみよう、の巻
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(`・ω・´)
そういえばわずか放送一回で打ち切られた『マツコの日本ボカシ話』って深夜バラエティー番組が有ったなぁと連想した、O次郎です。
つい先日、TBSラジオの『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴いていたら、トークの流れで『まんが日本昔ばなし』のエピソードの話をされていました。実際に検索して観てみたらなかなかヘビーな話で、興が乗ってさらに調べてみると、過去にも印象的だったエピソードについて同番組内で何度か語られているようです。
それではと、今回は"ラジオの帝王"こと伊集院さんが引き合いに出されたエピソードについて、自分なりの感想を語りつつ、映画好きとして"あの作品っぽいな~"と想起した作品を添えようと思います。
『まんが日本昔ばなし』関係だとどうしてもトラウマエピソードばかりがフィーチャーされがちですが、伊集院さんが挙げられた話はそれに限らず、オチらしいオチが無かったり、ほっこりしたようで薄気味悪くもあったり、まさに掴み処の無い昔ばなしらしいチョイスで、本放送世代もそうでない世代も民話の何たるかを幼少期を懐かしんで読んでいただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・ぼうや~ よいこだ カネ出しな~♪
…って替え歌有ったよね(・ω・)
Ⅰ. 自分世代にとっての『まんが日本昔ばなし』
私は昭和60年・1985年(第二次中曽根内閣時)生まれなので、生まれてから10年間ぐらいは本放送中だったわけですが、よくある”トラウマエピソードの○○の回を強烈に覚えている”みたいな記憶は無く、”かちかち山””さるかに合戦”みたいな超有名エピソードに付随する大体の作品テイストで覚えている感じです。小学校の道徳の時間で観たというような記憶は無く、そのあたりは『走れメロス』や『はだしのゲン』が鉄板ラインナップでした。
関西出身なので、MBS系列の放送で土曜日の19時~19時半、まさに晩御飯時なので、ほぼ毎週家族揃って観ておりました。個々のエピソード云々より、続けての時間帯に放送の『クイズダービー』とセットで漫然と観ていた記憶が有ります。
お恥ずかしながら上記の通り特に強烈に記憶しているエピソードなどは無く、「一人で何役も演じ分ける市原悦子さんと常田富士夫さんがスゴい」という至極並平凡な感想しか持ち合わせておりませんでした。以上。
Ⅱ. 伊集院さん'sセレクションからさらにセレクションした5本
一. 「とうせん坊」(1978年12月9日放送)
まずこちらの話がまさについ先日、伊集院さんがドラクエウォークのチェックポイントの東尋坊に行った話の際に言及されていたエピソードです。
因果応報ここに極まれり、といったところでしょうか。村人はもとより、本来は徳が高い筈の和尚や坊さんまで差別に加担していたというのが突き抜けてます。また、とうせん坊のタガを完全に外させてしまったキッカケが、”親族が自害した”とか”飼っていた犬を殺された”といった頭で理解できるような理由ではなく、”鍋に糞をされた”というところに民話の凄みを感じてしまいます。
そして何より、村人の姦計によって谷に突き落とされる刹那のとうせん坊の言動がそれまでの”憤怒”ではなく”悲しみを湛えた表情に「おっかあ・・・」”というのがもう……。
〈想起された映画〉『丑三つの村』
もちろん相違点を探せば数限り無いですが、”差別から生まれた憎悪の連鎖”ということで。「皆様方よ、さようならで御座いますよ…。(ᅙωᅙ)」
漫画作品の平田弘史先生の『血だるま剣法』も彷彿とさせる。
二. 「ソラ豆の黒いすじ」(1978年4月22日放送)
伊集院さんも「で、結局どういうコト??」みたいに仰ってたように、”そら豆になぜ黒いスジがあるのか?”という理由付けのお話なんだけど、理由になってないというかなんというか・・・。
とにもかくにも、スラップスティックコメディー感が全開で、”カートゥーン”という言葉がピッタリ。実際、作画がスポンジボブみたいで、そら豆と炭と藁の三人が歩いている画はとても同番組とは思えない仕上がり。
話としても、そら豆くんが他の二人を見殺しにしただけのシュール話なのでそれがよりいっそうアメリカンカートゥーン感を際立たせてる。
〈想起された映画〉『トムとジェリー』シリーズ
途中でお互いにいがみ合ったり、誰がヘビに食べられるかで押し付け合ったりしてる様はまさしく。
Ⅲ. 「五郎びつ」(1980年8月16日放送)
伊集院さんは「食料の員数を数えてる石が一人分カランと落ちたところが大写しになってるのが怖かった…」と仰ってましたがたしかに・・・。
五郎さんは作中の経過時間である十年間の間に、自然環境に左右される農業ではなく潰しの効く職人として腕を磨き、貨幣経済にも対応し、(本人の意図ではないにせよ)扶養家族を持たず、ライフリスクマネジメントを実践しています。その誰よりも先進的な彼が(自らとはいえ)割を食った、というのがいかにも昔話、という感じです。
この村だけでなく周囲の村々も飢饉で喘いでいた、ということなので、五郎さんは単に"村を出た"という話ではないでしょう。『楢山節考』のごとく世を捨てて山に入ったのかもしれませんが、”石櫃”というあまりにも印象的なアイテムが登場している以上、その中に自ら収まって即身仏になった、というような結末のような気がしてなりません。
〈想起された映画〉『風をつかまえた少年』
”変わり者とされていた人間が村を救った”ということで。
もし五郎さんが自分の技術やお金の概念について村に後継者を育てていればより近かったと思いますが、それはそれで昔話としては話が出来過ぎていたでしょう。
Ⅳ. 「飯降山」(1994年8月27日)
『ぼのぼの』でお馴染みのいがらしみきおさん演出!!
伊集院さんは「猟師に事の顛末を語ったのは変わり果てた正気でない一番年上の尼なんだから、実際はもっと悲惨なカニバリズムの可能性も」と仰っていました。う~ん、なるほど。
それはそれとして、”仏の顔も三度”という言葉が有りますが、エピソードの描写内から察するに、
〇一度目 - (猟師から弁当を恵んでもらっていたのにそれでも足りなそうだから)三人の尼に一つずつおにぎりのお恵みの赦し
〇二度目 - (おにぎりを増やしてもそれでも足りないので、おそらく一番上の尼と真ん中の尼が)鳥を殺して食ったことへの赦し
〇三度目 - (鳥を食ってもまだ足りないので)一番若い尼を殺して余るはずの一人分のおにぎりを残った上の尼二人で食べようとしたことへの赦し
ということでしょうか。そのうえでさらなる取り分確保のために真ん中の尼をも殺した一番上の尼へのおにぎりはもう一つたりとも無し…。
また、一番若い尼は残る二人に谷底に突き落としされのかもしれませんが、一番上の尼は真ん中の尼を打撃ないし刃物で殺害したようです。翌朝彼女が目覚めるシーンで彼女の寝床の横にハッキリと血溜りが映っています。
「私はね、何があっても生き続けることこそ、御仏様に近づく一番の道だと思っているのです」
ラストシーンでの彼女の姿は、まさにその信念を体現しています。
〈想起された映画〉『タミー・フェイの瞳』
募った寄付金を布教や慈善事業に費やし、その余剰で私腹を肥やす。肥えた旨味でより一層布教敷衍に磨きがかかる。
己の極大化したエゴと信教を合一させる離れ業とおぞましさよ、というところが。ダコタ=ファニングとガイ=ピアーズの『ブリムストーン』なんかも。
Ⅴ. 「念仏の鼻」(1987年1月3日放送)
伊集院さんはとにかく”痩せ細っているイメージの強い山姥が丸々と肥え太っている”ことと”その山姥の母乳がかかると船が動かなくなる、という言い伝えの唐突感”を訴えていらっしゃいました。・・・たしかに。
ラストに「人間を食べてしまう山姥にも、念仏のありがたさが分かったのでしょうか。」という問いかけの語りが入りますが、”母乳=母親”ということを念頭に置いた方がいいように感じます。
すなわち、山姥は人間の頃には子供を身籠っており、それを出産間近で流産するか、もしくは生んで間も無く事故ないし病気で亡くしてしまったのではないでしょうか。そのために悲しみの中で経を唱え続けて人外の者となり、今まさに必死で経を唱えている船頭の姿に過去の自分を見出し、大声で泣き出してしまったのではないでしょうか。
〈想起された映画〉『スウィートホーム』
”亡き我が子への狂おしいまでの情念”繋がりということで。
しょっちゅう『スウィートホーム』を引き合いに出しますが、それだけ思い入れのある映画、ってことで大目に見ていただければ。(・∀・)
以上で5本です。ちなみに伊集院さんは今回の記事のトップ画像にも使った「十六人谷」の話は今のところされていないようです。
Ⅲ. おしまいに
というわけで、今回は映画じゃないものを映画に絡めて語る、というちょっと変わったことを、というかかなり無理やりなことをやってみました。
『まんが日本昔ばなし』、なんの辻褄も合わない話とか、明らかに世界観にそぐわないヘンな話とか、もし他にご存じでしたらコメントいただければ恐悦至極にござりまする。
今日はこれにて。
それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。
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