【趣味人噺⑧】"クリスマスといえば○○"という個人的思い出コンテンツを年代ごとに紐解いてみる、の巻。
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(◍•ᴗ•◍)
"トラブルメイカー"といったら南野陽子さんではなく相川七瀬さん世代、なO次郎です。
※懐かしいな~!! 当時大ヒットしててたしか『めちゃイケ』で岡村さんがロケ企画の登場時の掴みとして熱唱しながら出てきたりしてたような記憶が有るんだけどさすがに動画は見つからず…。
今回はいつもの映画の話はさて置き、タイムリーネタということでクリスマスに関する個人的エトセトラ話です。
"クリスマス関連の個人的思い出映画"でも良かったんですが、敢えて映画縛りはせずにこれまで40年近く生きてきた年代別にクリスマスに紐付けて思い出すコンテンツをその思い出とともに綴ってみようと思いまする。
僕と同年代の方はもちろんのこと、年上の方も年下の方もそんなのあったな~と軽い気持ちで懐かしみつつ読んでいっていただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・・・・"とし子スペクター"!!
Ⅰ. キミはクリスマスをどう祝ったか?
そもそも日本にクリスマス文化が浸透したのかは存じませんが、昭和60年(1985)生まれの僕には既に幼少期より公私ともにイベントとして存在しておりました。
"公"の部分では幼稚園や小学校、所属していたボーイスカウトなんかでのクリスマス会、"私"の部分ではツリーや飾りつけは子どもながらに面倒でやらなかったものの、親にクリスマスプレゼントを強請りつつ、地方民ゆえにケンタッキーは身近ではなく七面鳥も手間暇が掛かるので食卓に上がっていた覚えは有りませんが、ケーキは母か父どちらかがケーキ屋で買ってきてくれたものを晩御飯後のデザートに食べていた記憶が有ります。
大学進学で一人暮らしになって以降は基本的に風物詩は全無視ぐらいの姿勢で、クリスマス当日夜にスーパーに行って売れ残りのケーキが安くなってれば"デザート代わりに買うか"ぐらいの思い入れの無さでした。
というわけで以下、時代時代の思い出のあれやこれやです。
その一、 『ゴジラVSビオランテ』(1989) に寄せて 〈保育園生〉
僕の人生初のスクリーンで観た映画にして、作中でクリスマス描写は無いもののクリスマス映画に脳内カウント。
というのも、幼児ということで母親に付き添ってもらって鑑賞したのですが、併せて観た併映の東宝配給作品の主題歌が未だにクリスマスソングの金字塔として名高いあの曲だったのです。
地方の映画館なので十中八九、実際は年が明けてからの封切りだったはずなのですがそこはまぁご容赦をば。
※その詳細については以前こちらに書きましたのでよろしければ併せて。
ちなみにまだ映画館が入れ替え制ではなく、同日の同作品なら何回でも観られる形式でしたが、さすがにそれは母の手前遠慮しました。
その二、 落雪に倒れる… 〈小学校低学年〉
たしか小学校2,3年の頃ですが、クリスマス時期には既に冬休みに入っており、たった二週間の休みながらその代わりに宿題もさほどの量は出ず、一方で年末年始のTV特番やTVゲーム三昧など楽しさ目白押し。
わたくし、兵庫県の北部出身なのですが、実家から車で30分も走れば最寄りのスキー場に行けるほどの山間部であり、毎年冬はメーター級の降雪があって度々大雪による休校も現出しており、まさに"雪が降って喜ぶのはスキー場と子どもだけ"というヤツでした。
で、その年の積雪も相当のもので、クリスマスの朝にもまぁ積もってる積もってる。クリスマスケーキを含めた買い物に出かける親の車を出せるように自分から率先して早起きして黙々と雪かきを始めました。
近所で真っ先に自分が雪かきを開始している中、隣近所の大人や親兄弟が続々合流してきて彼らに自分の勤勉ぶりを褒められてご満悦の中、自宅の目の前の隣家の3階建ての倉庫の屋根から雪が重みで降ってきました!
「危ない!」とは言われましたが退こうとするのが一瞬遅く雪の塊に背中から覆い被さられて転倒・・・背中と腰を強かに打ち付けられ、父と兄に担がれてそそくさと自宅内に引き上げる羽目になりました。母に背中一面に湿布を貼ってもらいましたが、幼児の生命力ゆえか翌日か翌々日にはもう完治して走り回っていたように思います。
以上、クリスマス頃に特に雪を見ると何十年も前の背中の痛みを懐かしく思い出したり…という話でした。
その三、 『White Love』は相応しくなかったらしい 〈小学校高学年〉
安室奈美恵さん、MAX等を輩出した沖縄アクターズスクール出身の4人組アイドルSPEEDの最大のヒット曲。
小学校高学年だった90年代後半、J-POPが盛り上がってただけあって『DEPARTURES』『snow drop』『Burnin' X'mas』『Winter,again』等々のウィンターソングもこの時期に生まれてますが、自分たちに年齢が近いこともあってクラス内でも97年の冬は休み時間の度に誰かしらがあの曲を口ずさんでたように記憶してます。
で、小学校6年生ということで学校のクリスマス会は自分たちが企画・主導せねばならず、体育館でサンタとトナカイに扮して(衣装は学校の備品として有りました…よくそんなの購入備品として認められたもんで)下級生にプレゼント渡してクリスマスソングを皆で唄って何やかやという具合でした。
歌についても生徒の選曲自由だったので流行りたてホヤホヤの上記の曲が選ばれ、下級生の反響もまずまずだったので皆でささやかな達成感を噛み締めていましたが、終わった後のホームルームの反省会で担任の先生から「やっぱり学校という公の場なので歌謡曲を選んだのはいかがなものか」という物言いが付いて一気にお通夜のようなムードに…。(´・ω・`)
件の先生が年配のお堅めの方だったこともありますが、我々少年少女が"本音と建て前"を叩き込まれたクリスマスでした。
クリスマスソングの定番とまでなった印象はありませんが、今この曲を聴くとあのHR時の気まずさも蘇ったりなんかしちゃったり。
その四、 TVドラマ『サンタが殺しにやって来た』にザワワザワワ… 〈小学校高学年〉
96年12月23日の夜に放送された単発ドラマ。関西テレビで放映されたということでもしかすると当時関西方面にお住いだった方しか記憶に無いでしょうか。
クリスマスイヴの夜、町工場でひとり残業をしていた少女(演:ともさかりえさん)が幼い兄弟を呼んで工場内でささやかにクリスマスを祝う。そこへ「仲間に入れて欲しい」とサンタクロースの姿をした男(演:古尾谷雅人さん)が入ってきたが、男の腕には血がにじんでおり・・・というお話。
結末は覚えていないのですが、明らかに情緒不安定な男に身の危険を感じて彼を刺激しないようともさかさんとその弟たちが必死に取り繕う展開がスリル満点で、得体の知れないフラストレーションを湛えた男を演じる古尾谷さんがかなり強烈だった覚えがあります。(⦿_⦿)
メインキャストのお二人が当時大人気だった堂本剛さん版の『金田一少年の事件』と同じだったのでその興味で惹かれて観ましたが、うっすらとしたトラウマになるぐらいのインパクトは有ったようです。
古尾谷さんは云われるところによるともうこの時期は出演作をかなり選り好みされていた筈で、それを考えると本作のような硬派とはほど遠いエンタメ作は意外な気もしますが、もしかすると製作スタッフや共演者に恩人や親しい人が居たがゆえの出演だったのかも。もしかすると彼の現実生活での鬱屈が役にもそのまま顕れていてそのただならぬ雰囲気を子どもながらに感じたのかもしれません。
画像検索しても出て来ないのが寂しい限りで、TVの単発ドラマなのでソフト化もされてないでしょうが、CS再放送なりでいつの日か再見してみたいものです。
ちなみに相応に好評だったのか、翌年の同日・同時間帯には直接の関連性は無い続篇「サンタが殺しにやって来た2」も放映されていたようですが其方は記憶に無し。
そちらの方でも古尾谷さんサンタは続投だったようですが主演は安達祐実さん。ひょっとすると当時の日テレ土曜夜9時のドラマ枠と製作スタッフが被っていたのかもしれませんね。
その五、 神戸ルミナリエの輝きは吹き付ける寒さと一抹の恥ずかしさとともに 〈中学生〉
姉が神戸の専門学校に進学していて、冬休み中に両親と中学生の僕とで遊びに行ったお話。
中二病真っ盛りだった当時の僕にとって風物詩などてんで興味が無かったのですが、反対に興味津々な母と姉の鶴の一声でルミナリエの夜のクリスマスイルミネーションを観に行くことに。
当然ながらというか、周辺はそれ目当ての人でごった返していたのですが、当夜は雪もちらつく極寒の折、家族の中でも特に寒がりな僕を見かねて父が来ていたトレンチコートをかしてくれました。
で、これ幸いにと着込んだは良いものの中学生の小僧が紳士用品に身を包んだ姿はまさに"とっちゃん坊や"という感じ。家族だけならまだしも周囲のカップルにもクスクス笑われて恥ずかしいことこの上無かったものの、羞恥心よりも寒さの方が勝りまして、耐え難きを耐え忍び難きを忍びでした、とさ。
ちなみにその後、どこかのちょっとお高いレストランでお食事でしたが、店員のお姉さんが不機嫌な感じを隠そうと必死な感じだったのを思い出します。察するに"本当だったら自分も素敵なパートナーと客として…"というようなことだったのかもしれませんがまぁそれは余計なお世話ということで。
そういえば今日日、"クリスマスをロマンティックに云々"みたいな風潮がめっきり薄れた感がありますが、それも今ではモラハラセクハラの類になってしまうのでしょうか。
その六、 『12月のlove song』だけしか聴いてなかった 〈高校生〉
そして最後はご存じGacktさんの大ヒット曲。
中学生の終わりぐらいから世間のブームの衰退に抗うような形でヴィジュアル系バンドにハマっていったのでGacktさんのソロ活動も追い駆けてましたが、この曲は特にそのへんのジャンルに興味が無い人でも知ってるぐらいヒットしてましたね。
そんなわけでリリースされたのが2001年のクリスマス前。高1の僕は自宅での勉強中から休憩で本読んでる間から外へのジョギング中から、おそらく冬休み中はこの曲しか聴いてなかったんじゃないかっていうぐらい延々リピートしてました。
あまりにも部屋のステレオで流し過ぎてその漏れ聴こえで最新歌謡に疎い母まで覚えてしまったりも…。
※カラオケで歌おうとすると間奏が途切れて無音になった後の「た~いせつな~」のタイミング(動画の4:00あたり)を外さないかヒヤヒヤしてしまう…というヤツ。
大ヒットを受けてその後2006年まで同時期に外国語版を添えて毎年リリースされましたが、僕は3年目ぐらいで早々に「もうええやろ!」と思ってしまったのでファンとしてはかなり浅かったんでしょうきっと…。
※ちなみにだいぶ前ですが、自分が特に好きだったV系バンドの話も書きました。よかったらどうぞお読みになって。
Ⅱ. おわりに
というわけで今回はクリスマスに関する個人的エトセトラ話でした。
あらためて振り返ってみると、中学生時代に強烈に記憶に紐付けられたクリスマスソングが有りません。
当時吹奏楽部でしたが、冬にコンクール的なものはあったもののクリスマスソングは採用されずだったのでそれがゆえかもしれませんね。
※時期的には『Winter,again』あたりがヒットしており、たしかコンクール的なもので演奏してる学校もあったように思いますが、ウチの中学校でGLAYで吹いた覚えがある曲はコッチ。L'Arc〜en〜Cielは『DIVE TO BLUE』と『HONEY』、T.M.Revolutionは…….何だったっけ?
家庭を持ってればこの歳でもクリスマスを行事ごととして捉えられてたんでしょうが縁遠くなって幾星霜。
それもそうだけど風物詩に疎いにしてもボチボチ大掃除ぐらいはやらんとね、という。
取り止めが無くなってきたので今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
※伊集院光さんのアレコードで紹介されてこないだの馬鹿力でも流されてた世にも珍奇なクリスマスソング。
てっきりこの朗々たるテイストからして戦前かと思ったら1959年とな…。