【最新作云々⑮】新旧シリーズキャスト揃い踏みで頼もしい限りながら、頼もし過ぎて敵がショボショボなのが肩透かし・・・ 三部作のフィナーレを飾れたのか?!『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』
結論から言おう!!・・・・・・・こんにちは。(●´д`●)
恐竜は虫歯になったりしなかったのか気になっちゃう、O次郎です。
今回は最新公開映画『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』についてです。
遺伝子操作を経て現代に新たに誕生した恐竜というよりもはや怪獣に近い巨大生物の襲撃からの逃走劇のスリルという今シリーズの特色はそのままに、そこにスティーブン=スピルバーグ監督/総指揮の旧シリーズ『ジュラシック・パーク』の主要キャストが復活登場して新旧シリーズの橋渡しをしつつ大団円に華を添えています。その一方で人間同士の肉弾戦や敵方の姦計とそれを打ち破る展開のカタルシスには些か欠けていたというか尻すぼみ感も否めなく、それぞれ良かれ悪しかれの点を語ってみたいと思います。
鑑賞済みの方はもとより、観るかどうか考え中の方にも感想の一つとして読んでいっていただければ之幸いでございます。ネタバレ含みますので気になる方はご注意をば。
それでは・・・・・・・・・・・・曽我町子さん!!!
Ⅰ. 作品概要
前半と後半で大きく趣が違います。前半は渦中のクローン人間の少女明示―と過去作で主人公オーウェンが飼育してきたヴェロキラプトルのブルーの子ベータの誘拐劇と、その奪還のための闇市場での追跡劇。並びに全米で爆発的に増殖する巨大イナゴの出処と思しきバイオシン社への証拠集めのための潜入ミッション。そして後半は両チームが合流してのバイオシン社でのギガノトサウルスをはじめとする恐竜との対決と施設からの脱出劇。
前半が『007』シリーズや『ミッション・インポッシブル』シリーズのようなスパイアクション的面白さを表象しているのに対し、後半は先祖返りしての『ジュラシック・パーク』シリーズ一作目のようなパニックホラーのようなテイストが重視されています。
オチとしては、「人間側の一方的な探求・欲求のために恐竜を現代に蘇らせてしまった責任として、彼らと調和・妥協しつつ共生をすることを前提に社会を再構築していかねばならない」というところで、警句としては本シリーズ二作目から特に大きく変わったところは無いようです。
せっかく三本目それもシリーズ完結篇として製作したのですから、例えば全世界で恐竜絶滅の圧力団体が生まれるなり、"人間VS恐竜"の種族感対立構造が生まれたことによって皮肉にも人種間対立が鳴りを潜める等、その後に対峙すべき諸々の発展的な問題を提示して終わらせて欲しかった気もします。まぁ、そもそもが全き娯楽映画として出発してるのであまり社会派感を出し過ぎると逆に陳腐になる危険が有るのは勿論ですが…。
Ⅱ. ゴイスー!!な点
・"娘"を持ったことによって絆をより強くする主人公とヒロインの姿にあの怪獣映画の面影を見る
恐竜保護グループのリーダーとして絶えない密猟・密売を撲滅しようとするあまり危険な独断専行の過ぎるクレアと、あくまで自分の身の回りの人々と恐竜を守ることに専念して半ば世捨て人のようなオーウェン。
互いにその根底に相容れない考え方が有りつつも適度な距離感を保つことで関係は継続していますがやはり付かず離れず。それが保護対象であり"娘"のような存在であるメイジーの成長に伴う人間として当たり前の好奇心と当たり前でない恐竜がもたらす全人類的な危機に直面する中で、今一度心を一つにして難局に揃って立ち向かい、三人が絆を新たにするハートフルストーリーは、怪獣映画フリークとしては平成の名作『ゴジラVSモスラ』を想起させられざるを得ず、どうにも胸が熱くなります。
個人的には、さらにクローン元の"母"であるシャーロットの意志を受け継いで旅立つメイジーとそれを心配しながらも送り出す"両親"オーウェンとクレアの姿を示して幕を閉じて欲しかったところですが、尺を考えると致し方無しとも思うので悩ましいところ。
・過去作のメインキャストも揃い踏み!しかもそのキャラクター性を大事にした筋立て
全シリーズでメインキャラクターだった古生物学者アラン=グラント役のサム=ニール、古植物学者エリー=サトラー役のローラ=ダーン、数学者イアン=マルコム役のジェフ=ゴールドブラムが揃って出演し、しかもチョイ役のカメオ出演でなくきちんとストーリーに絡んでくる。
特によかったのは各登場人物とも旧シリーズでのキャラクター・人間性をきちんと踏襲していて、ちゃんと彼らの30年後の姿として感情移入出来たこと。加えてアランとエリーの大人の恋なんかは本作のハートフルぶりに普遍性を添え、作品全体の人間愛のテーマに繋がっているように思う。
Ⅲ. ムムムッ!!な点
・敵ボスのカリスマ性の無さと、そこから来る人間同士の争いのしょっぱさ
主人公側の人数が増えて、しかもそれぞれの人間性の描写に尺を割いたためか、そのわりをモロに食ってしまったのが敵ボス。
やってることのスケール感は大きいものの悪役としてのカリスマ性に圧倒的に欠けており、あっという間に部下の指示を失って単身逃げ回るので憐れさの方が勝ってしまいます…。
せめて屈強な私兵を数人でも抱えていれば元海兵隊の主人公と元空軍のケイラのコンビに対するガチンコアクションが終盤でも拝めたでしょうし、なんなら旧メインキャラクターの中でイアンだけでも敵方に着いて主人公サイドを苦しめつつその死も描いていれば後半のドラマももう何段か盛り上がったのではないかと悔しい思いです。
敵の親玉がみっともなく逃げまどって最期は自らが生み出した恐竜の餌食に・・・という末路は旧シリーズのオマージュ的意味合いも勿論あったのでしょうが、そのぶん"巨悪にギリギリまで追い詰められての大逆転"という映画的なカタルシスが犠牲になっていたのでそこがなんとも痛し痒しのところであり、本作いちばんの勿体無いポイントでした。
・恐竜に対して"逃げ"の一択しか無い、という物語的ジレンマ
シリーズ通して言えることですが、そもそもが人間の都合で復活させた恐竜たちであり、主人公サイドはその前提からして彼らを勝手に数管理する権限は無い、という立場のため、基本的に恐竜に襲われても専守防衛が常で、昏倒させたり閉じ込めたりは有っても攻撃して殺害することはあり得ません。その相手が遺伝子操作されて著しく攻撃性を増大させた”怪獣”に等しいものになっていたとしてもです。
その結果、恐竜を無効化するためのSF的新武装や無力化のための連携攻撃といった画的にも演出的にも独自性の出せそうなアクションを自ら放棄することになり、結果として逃げるしかないゆえにどれだけ危機的な状況を演出してもスリル描写がマンネリ化してしまった、ということは言えると思います。
上述のように、前半で既に恐竜密売カルテルとの戦闘に区切りが付いて終盤での人間同士の肉弾戦アクションが無くなった以上、後半の恐竜との対決シークエンスで銃撃なり周囲の建物・施設を利用しての殺るか殺られるかの恐竜との死闘で再度のアクション映画としての盛り上げも見たかったところではあります。
特に主人公サイドが10人近くの大所帯になっていたので、ギガノトサウルスであれば戦力差的に釣り合いが取れ、反撃することで逆に犠牲者が出る危険もよりリアルに演出出来たのではないかと。
Ⅳ. おしまいに
というわけで今回は最新公開映画『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』について思うところを語りました。
”みんな揃って大団円で良かったけど、敵がちょっと弱かったかな”というというまるでゲームのRPGみたいな個人的感想になりましたが、世間的な評価がそれに近いのかどうなのかは解りませんが、どうやら評判が芳しくなくてもしかするともう一作作るのでは?と言われているそうで…
もし実際に作るならもう世界観が飽和状態なので、50~100年後のディストピアを舞台にキャラクター一新(あるいはキャスト同じだけど世代を経た別キャラクター)で従来のキャラクターは文献で出す等に留めて、彼らの選択がどういう結果を地球と人類と恐竜にもたらしたかを示す物語、ぐらいが落としどころではないかと個人的には思います。
ともあれ、これまでのシリーズを観てきた人には一応の完結、それも大団円を見せてくれますし、旧シリーズから楽しんでいる人たちにはオマージュ展開と"保っている"感溢れる旧キャストの奮闘もファンサービスとして嬉しいところです。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。