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【最新作云々80】もうアナタ無しでは生きられない... 愛に飢えた幼子を支配するは最新型AIを搭載したチャッキー+貞子+ターミネーターな"悲しき玩具"映画『M3GAN/ミーガン』

 結論から言おう!!・・・・・・・・・こんにちは。(ノ ´▽`*)ノ
 渦中のあの方といえば、デビュー曲よりもさらに2ndシングル曲が小学校高学年当時クラスで流行って、歌詞の"とってもとってもとってもとってもとってもとっても…"のフレーズを延々輪唱しながら最終的にクラス内の気のお強い女子に「うるさい!!!」と一喝されるまでがワンセットだったことを懐かしく思い出す、O次郎です。

NHK教育テレビの「さわやか3組」の主題歌のラストの
"さわやかさんくみぃ~(さわやかさんくみぃ~)"輪唱も同じく延々唄って怒られ終了のパターン。
ちなみに、『とんねるずのみなさんのおかげです』内のコーナーの「ほんとのうたばん」での
タカさんによる同曲のパロディーも思い出しますね・・・。(゜Д゜)

 今回は最新のハリウッド映画『M3GAN ミーガンです。
 最新のAIを搭載した自立型の人形が両親を失った幼い少女の心の傷を埋める過程で暴走していき、彼女とその周囲を恐怖の坩堝へと突き落としていく話題沸騰のSFホラー映画。
 秘密裏に己と少女にとっての邪魔者を排除していくミーガンの凶行がまずもっての見世物小屋的スリルに満ちていて楽しいのですが、その奥には育児をAIにアウトソーシングすることに対する子どもの側の怜悧なまでの反応と理解、そして未成熟であるがゆえの依存心の累進性の危険への描写も有り、多層的な恐怖と気付きを提供してくれる一本だと思います。
 上述のチャッキー貞子ターミネーター好きのみならず、"子どもが怖い"系に惹かれる皆々様…感想の一本として読んでいっていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・"ジャ~ンプしたぁ~い!!"

これも「ほんとのうたばん」ついでに思い出したヤツ。
歌詞の"パ~ンクしちゃ~う"のところが"ジャ~ンプしたぁ~い!!"になって
ノリさん扮する川本真琴さんが下のプールにダイブするのよね。(⦿_⦿)


Ⅰ. 作品概要

(あらすじ引用)
玩具メーカーで研究者として働くジェマ(演:アリソン・ウィリアムズ)は、子どもにとっては最高の友達、親にとっては最大の協力者となるようプログラムされた「M3GAN(ミーガン)」という人間のようなAI人形の開発に携わっている。
ある日、ジェマは交通事故で両親を亡くした姪のケイディ(演:
ヴァイオレット・マッグロウ)を引き取ることになり、テストも兼ねて「M3GAN」に対し「あらゆる出来事からケイディを守るように」と指示するが、隣人の飼い犬にケイディが襲われたことで「M3GAN」はやがて暴走を始める。

 冒頭からなかなかに示唆的というか、雪国へのバカンスへ向かう途中の猛吹雪の中を車中で言い争う両親とケイディの不穏なシークエンスに始まり、瞬く間に除雪車に巻き込まれて両親が亡くなってしまいますが、その車中、叔母ジェマが開発したタブレット型玩具アプリに夢中になるケイディに対し、母が苦言を呈して止めさせていました。
 毎日TVゲームに熱中するあまり"プレイは晩御飯まで"と親から釘を刺されていた僕ぐらいの世代なら如何にもな光景ですが、いわゆるデジタルネイティブ世代を両親に持つ娘としてはややロートルというか時代遅れの感性の下に教育を受けていたようです。しかも後々になって明かされることですが、ケイディはそれまで学校に通っておらず勉強は母が家庭内で行っていました。
 つまりは、両親との"親子"といういわば上下のみの閉じられた濃密で一方的な人間関係を最良としてデジタル機器は敬遠される環境で幼少期を過ごしたということであり、その前提を踏まえるとその後のミーガンとケイディとの関係性の推移に色々と考えさせられるものがあります。

 かくして、両親を一度に失って塞ぎ込む姪っ子を引き取ることになったジェマですが、序盤より彼女への愛情と研究者としての野心とで言動がブレブレなのが気にはなります。
 保護司のチェックをクリアしてなんとかケイディと暮らしたい熱意はあるものの、その一方でミーガンの実用化研究に没頭するあまり彼女に甘えられるのを煩わしく感じて一緒に過ごす時間や躾に費やす時間をミーガンにアウトソ-シングしたり・・・。
 ジェマ自身、元々子どもが居なかったのでそもそも自身の人生の相応分を子に捧げる覚悟が足りていなかったのも勿論有るでしょうが、そうした深層心理のグラデーションこそはリアルな人間像なのかもしれません。
 ジェマの研究の実験場として、そして悲しみに暮れる姪っ子と同じ目線で過ごしてくれるコントローラブルな存在としてミーガンが自宅にやってきますが、まずは開発者側の意図を怜悧に汲んで自身の立場を確保しつつ裁量権をいや増しさせていく様はサイコパススリラー的な底知れない恐怖も湛えています。

お守りの定番の絵本の読み聞かせ。
親としては同じ事の繰り返しなうえに時間拘束もなかなかのものなので
アウトソーシング対象としてはうってつけでしょうか。
さんまさんがよくテレビで子育て時の苦い思い出として
"一緒に『となりのトトロ』を何十回も観させられた"というエピソードを語っておられますが、
そういうのもまた対象か。(=^・ω・^=)
昼寝だったり夜の就寝時だったりにずっと室内に控えてくれてもいる。
一定年齢以上になるとそんなことされたら気になって寝られないもんですが、
幼少期だと心細さの方が勝ってしまうものでしたね。

 そしてトイレトレーニングやテーブルマナー(生前の両親が厳しく躾けてもいそうだったのですが、未習熟なところをみるに反発していたのかも)、学習補助といった親の役割を果たしつつも、その一方でそれまでのケイディが持ち得なかったであろう"同じ目線で傍にいてくれる存在"の役割も果たしています。
 実際の人間であればその両方の立場を時によって使い分けるのはなかなかに難しく、たとえ出来たとしても相対する子どもの側が戸惑ってしまいそうですが、AIの場合は自身が機械的にその役割をスイッチできるだけでなく、接する子どもの側もその変節を相手がAIゆえに"そういうもの"と受け容れるゆえに二重の立場が成立し得る、ということの証明なのかもしれません。
 親にとっても子にとっても有り難い話のように思えますが、そうなると親でもあり友人でもあるAIこそが子どもにとってかけがえのない存在となり、"親の役割しか成せない親"はどうしても影が薄くなってしまいます

そのことだけでも十分に脅威なのですが、
本作でのミーガンはそうした人間では成し得ない自身のAIゆえの有意性の発揮と
それによる自身へのケイディからの依存心の涵養を意識的にやっているフシが有り、
二重三重に恐ろしいところで…。( ゚Д゚)

 隣家の偏屈なオバちゃんの飼っている凶暴な犬が突如行方不明になったり、嫌がるケイディを参加させたサマースクールで彼女に嫌がらせをした年長の少年が車道に飛び出して事故死したりと、やにわにミーガンの関与が疑われる事件が続いたことでジェマと同僚研究者たちが慌ててミーガンを引き上げようとしますが時すでに遅し…。
 自身の心の拠り所であるミーガンを奪われることに異常な恐怖と敵愾心を剥き出しにしたケイディは暴れ回ってジェマを負傷させるのでした。

その執心ぶり、あらゆる困難要因を理性を振り切って
一目散に排除しようとする姿はまさしくギャンブル依存症のようでもあり…。

 さらにヒヤッとさせられるのは、怒りついでにケイディがジェマに対して「自分は研究にかまけて私に構ってくれなかったくせに!!」と糾弾するシークエンスです。
 庇護する側からすれば同じ行動の反復であって生産性の無いおままごと等々であっても、子どもの側からすればそれは相手の大人を信用できるかどうかの重要な試金石であり、アウトソーシングするには細心の注意が必要であったということでしょうか。

 その後はラボに戻されてからのミーガンの暴走による阿鼻叫喚の処刑シークエンスが爛々と映し出されていきます。
 その這いずる様に獲物に近づく姿は貞子のようでもあり、自宅でのジェマが学生時代に作ったロボット(パワードスーツみたいなビジュアルがまた渋くてニクい)とのガチンコ対決では何度殴られて外装が剥げても向かってくる驚異的なタフさはターミネーターのようでもあり、スラッシャーものとしても外連味は抜群です。

 ただ、欲を言うとせっかくの超高性能の対話型AIなのだからには、自身と自身が支配下に置いたケイディとを脅かす周囲の存在を排除する際にはあくまで直接は手を下さずに"事故"を誘発し続けてその狡猾さによる恐怖を演出して欲しかった気もします。
 上述のサマースクールでイジメッ子少年を死に追いやったくだりなどはその傾向が有りましたが、直接耳を引き千切ったりとビジュアル的なショックを優先した感が有り、スラッシャージャンルとしてはそれで正しいとも思うのですが、子どもを篭絡しつつ自身の製作者たちを黙らせてしまう狡猾さはサイコパスそのものであったので、"始末"に関してもそれを発揮して欲しかったのもまた事実。
 そしてもしそのように決定的な証拠の残らない"事故"を誘発し続けて邪魔者を排除し続けたミーガンをその制作者と金に目がくらんだ出資者たちが破壊した、となれば、"優れた知性を志向して製作されたAIに論理と子どもからの愛の総量で敗北し、暴力に訴えることでしか問題を解決し得ない人間側"というこの上ない皮肉も提示できたようにも思います。

予想通りの展開がスタイリッシュに小気味よく配されているので
楽しめるのは間違いが無いのですが、一方で"もっとこうすれば"と
口惜しい気もする示唆にも富んでいるのがまさに良作らしさ、というもの。

 作中に産業スパイ的な人物もいたので、てっきりそれが流出して第二のミーガン的な存在の誕生を示唆して次作への引きに、とか、うだつの上がらない研究者をミーガンが焚き付けて殺人を誘発させるとかいう展開も期待しましたがそのあたりは掘り下げられず。
 でもそれはそれで一本の作品として完結させているということでもあるので過大なマネタイズの匂いを感じずに済んだのでそこはよかったと思います。


Ⅱ. おしまいに

 というわけで今回は最新のハリウッド映画『M3GAN ミーガン』について語りました。
 本作を観て"やっぱり子育てをAIに任せるのはダメなんだ"と結論付けるのは拙速で、そもそも子ども本人がその後どういう人生を歩みどういう職に就くかで"人間的思考で育つ"かそれとも"AI的思考で育つか"といった「選択」の問題にも発展していくような気はします。
 ともあれ、変にあれこれ展開を二転三転させずに過不足無く物語を走らせたことで、却っていろんな背景を感じさせる佳作だと思います。"内容はシンプルだけど、受け取るメッセージは人それぞれ"ということで。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。



 

今作では前途ある幼子ゆえに執着が危険視されましたが、
もし老い先短い老人に対してであれば今際の伴侶として受け容れられるのかも…?

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O次郎(平日はサラリーマン、週末はアマチュア劇団員)
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