【趣味人噺⑯】こないだから台風のシーズンに突入したので台風の思い出を認めてみる、の巻。
結論から言おう!!・・・・・・・・・・こんにちは。(・д・`●)
"マクロスシリーズの最新作の製作決定"とのニュースを目にして『マクロス7』世代の自分としては男性ヴォーカルだったり熱くておバカなノリだったりを期待しちゃう、O次郎です。
今回は系統立てた話でもなんでもなく、先週末の台風接近で首都圏も暴風雨に晒されたことで脳裏に浮かんだ台風の思い出話です。
こう書くと幼少期の話っぽいですが、実家は車で30分も走ればスキー場があるような豪雪地帯だったので幼き日の天災といえば大雪の記憶が色濃く、したがって今回は3年前の2020年10月半ばに当時の菅首相が「命を守る行動を」とテレビでしきりに訴えていたことも記憶に新しい令和2年台風第14号の話ですね。
前置きを長々と書くような話でもないのでサラッと零れ話的に読んでいただければと。
それでは・・・・・・フィジカ・S・ファルクラム!!
Ⅰ. "前代未聞の規模"との触れ込みの台風来襲、そして・・・
というわけで、三年前の10月半ばの台風の話です。
首都圏直撃は確か土曜昼~日曜明け方だったので会社はそもそも休みでしたが、前日の金曜日から警戒するようニュースが流れてて会社も夕方前に早引けだったように記憶してます。直属の上司はわりかし呑気に構えてましたが、グループの役員の中に配慮の行き届いた方が居て、「近所のスーパーの食料が瞬く間に売り切れてしまう筈だから、早めに帰ってまず食べるものの確保を」と号令出してくれました。
夕方前には帰宅して最寄りのスーパーに急いだら案の定というかインスタント食品や菓子パン等は軒並みスッカラカンでしたが、逆に生鮮品はわりかし売れ残ってたので助かりました。備えということでその金曜の晩の内に週末分の料理をひたすら作り置きしておいたのを思い出します。まぁ冷蔵庫に入れておいても、もし停電してしまったら…というのはあったんですが。
しましまぁ今さらながら、仕事が土日休みであることのありがたみというか・・・新卒で入った会社やそこを早々に脱落してのフリーター時代は平日休みでそれはそれでどこに出掛けても空いてるので良い面も有りましたが、一方で交友関係が一気に狭まっちゃうのよね。(´・ω・`)
ほんで明くる土曜日、"暴風でいろんなものが飛来してくる恐れが"みたいなニュースを観て、嵐の前の静けさの午前中の内に住んでるマンションの窓に段ボールやら緩衝材の紙やらをガムテープでひたすら貼り付けてたのを覚えてます。断水に備えてバスタブに水を溜めておくとかもやってたな。
で、その間にもひっきりなしに外を区の街宣車が選挙カーの如く「今のうちに最寄りの避難所へ避難を。それが難しい方は厳重に戸締りをして自宅非難を」といったアナウンス。
ただまぁ、そういう時に踏ん切りがつかないのも人情というもので、ベランダから外を覗いてみたら同じように周囲の建物の自室の窓から外の人出を伺ってる人影が見えてなんだか苦笑してしまいました。"これだけ避難推奨されてるけど本当に自宅が危険なレベルの災害になるか判らないし、避難所に行ったらプライバシーも無いし"みたいな葛藤で周囲の出方を伺ってたんでしょう。
実際、避難用品詰め込んだと思しきリュック抱えた人が往来に現われる度に"アッ、あの人、避難所行きよるぞ…"みたいに周囲の窓からの視線が。
で、僕としては幼少期の小学校の防災訓練ぐらいしか体験してこなかったため、”これを機会に”というと不謹慎ながら、実際にこうした災害時に避難所に退避した際に一般的に謂われている以外で必要になる物品や留意点はどんなものか確認したく、うだうだ悩みながらも正午前頃にようやく決心して飲み物やらリネン用品やら充電器やらをリュックに詰め込んで自宅を出ました。どうせならとことんまで心配を、ということで万一の漏電を危ぶんで結局、ブレーカーを落としていきましたね。
今度は"アイツ、避難所行きよった!"的な周囲の建物からの視線を自分が感じつつ、実は自宅マンションの目の前に在った地域のコミュニティー会館へ。
普段これといった用事が無いので初めて入りましたが、各部屋の避難滞在スペースを確保するためか、いろんな備品の運び出しで職員の方々が右へ左へ大忙し。気圧されつつ恐る恐る受付の職員さんに声を掛けてみたら「ここももちろん避難所として開放してるんですが、狭くて収容人数が限られるゆえに長距離移動困難な方を優先受け容れしてるので、出来れば地区指定の○○小学校へどうぞ」とのことで。
・・・はい、事前に本来の指定避難施設把握してなかったです。(´・ω・`)
そういえば区の街宣車も「指定の避難所へ」としかアナウンスしてなかったけど、エリアによって避難所もまちまちだから個々の場所まで伝えられないですね。
ほんでもっていよいよ険しくなりつつある暴風雨の中をいそいそと指定の小学校に到着…しかしながらなんと校門は開いてるのに玄関口のドアが閉まってる!!
正門から入ってきたはずだけどじゃあ裏口か…とか考えつつ周辺を周り込もうとしたら、玄関向かいのグラウンドでやれやれとばかりにタバコ吸ってるおじさんがポツンと一人。お互いに目が合って駆け寄ったらどうやら着いたばかりだったようで。
無事にカギ開けてもらって避難者リストみたいなものに住所・氏名を書いてから体育館に案内してもらいましたが、なんというかその職員のおじさんの"ホントに避難しに来るとは…しかもこんなに早くに?"みたいなどこか意外というかキョトンとした様子がなんかこっ恥ずかしかったのを思い出します。(*´罒`*)
体育館入り口に控えられてた職員の方からザ・災害用という感じのアルミ箔に包まれた毛布を受け取りつつ、館内の一角に積み上げられた例のでんぐり返り用のマットを「先着順の早い者勝ちなので敷布団代わりに一枚どうぞ」ということで拝借しつつ、隅っこに落ち着く。
高齢の単身者が数名と、修学したばかりと思しき幼い女の子とそのお母さんらしき親子等々、先客は居るには居らっしゃいましたがそれでも数百人は入ろうかというだだっ広い体育館に僕含めて十人足らず。
あらためて"先走り過ぎたか…"みたいな肩透かし感を正直感じつつも取り敢えずは寝そべってイヤホンしてラジオやらSNSやら。
聴いてたどのラジオ番組でもしきりに避難や外出自粛を推奨してたので"そう、自分の判断は別に変じゃないハズ…"みたいな言い訳を脳内で反芻しつつ、二十年以上前に体育でよく出くわしたマットの感触を懐かしみ・・・。衛生的にどうかとかいう話はあるにせよ、潔癖症というか何事にも神経質だった兄の姿を見て幼いながらに「生き辛そうだなぁ…俺はそのへん意識的にアバウトになろう」と心に決めたからには無問題。
そういえば小学校一年生時のとある昼休み、体育時以外立ち入りを禁じられてた体育館の用具倉庫のマットで友だちと遊んでて、初めて担任の先生にゲンコツ落されたのをたなぁ。(⦿_⦿)
そういう何もすることが無い時には得てして突拍子も無いことを考えてしまうもので、気が付けば自分が来て一時間ほど後に来られた若い夫婦と赤子の親子が彼方の隅に。
建物を叩く風と雨の暴音に覚える我が子をあやす夫妻…恐らくはああいう事態の時にこそ家族の絆が深まったりするのでしょうが、一方でこちらは"未来ある親子と独りもんのおじさんの自分じゃ度台社会への貢献度が違うから、もし万一この暴風で館内の屋根の鉄骨が落ちてきたり定員オーバーになって誰かが出て行かなきゃならなくなったら、自分が彼らの弾除けにならんといけんよね"とかいうただただ卑屈な思考に嵌る始末。(゜Д゜)
そういえば当時既にSwitchは持ってた筈だけどなんでだか持参しませんでしたね。
ちなみに、非常食に関してはクラッカーを配給してくれました。
館内の真ん中にクラッカーの入った段ボールを並べて、「まだ在庫沢山有るので、皆さん必要なだけお取りください」とのことで、あらかじめ出掛け前にたらふく食べて来てて一晩ぐらいは保つ算段だった僕もせっかくなので貰いました。
が、なんとなんと水やお茶といった飲料の配給は一切無し。もちろん、区の備蓄の数の限りによる優先順位や配送の問題も有ったのでしょうが、それにしてもクラッカーを勧めつつ水分はお預けとはなかなかどうして。
ペットボトル飲料持参してて心底良かった……まぁ、小学校なのでたぶん校内の何処かに冷水器なりは有ったのでしょうが。
そんなこんなで無理やりにでも眠ってしまおうとウトウトしていたら、19時ごろには館内の床が3~4割は埋まり、22時ごろにはもう避難者でいっぱいになりました。
所狭しとはなりましたが、避難した自分の選択が素っ頓狂なものではなかったと内心安堵したのも事実。
しかしまぁ人が一つ所にそれだけ集まれば生活音も相当なもので、知人同士の談笑や電話での会話の声が行き交って、加えての暴風雨の音でとても寝付けるものではなく。
しょうがないからスマホで動画でも、と思って咄嗟に検索したのがコチラ。
※1959年(昭和34年)に東海地方に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風による災害被害とその惨劇を描いた89年製のアニメ映画。絵のタッチの柔らかさからは予想もつかぬ悲痛な結末からしてトラウマアニメの呼び声も高い一本。この作品の強烈さからして東海地方出身の人に出会うと伊勢湾台風について尋ねようとしてしまうのですが、そもそも古希以上の年齢の方でないと直接経験してないよという話で。
思いっきり現状に引っ張られて何年かぶりに鑑賞。建設省・農林水産省・運輸省推薦作品ということでもしかすると幼少期に学校の授業で観てトラウマになった方もいるかもしれませんが、それでこその災害映画の意義というものでしょうか。
友人から掛かってきた電話を手短に終わらせたりしつつ、24時を過ぎるとさすがに皆さん眠りに就かれた方が多く、じぶんもあらためて根性でどうにか眠ることに。
赤ちゃんの夜泣きは状況も相俟って当然のこととはいえ、其処彼処のおじさんたちの強烈なイビキのカルテットは如何ともしがたく!!
僕の父のイビキもなかなかのものでしたが、そういえば働くようになってから社員旅行的な機会もほぼ無く、こういう形でのイビキとのエンカウントは久しぶりでした…。
同じように堪え難さを感じたのか、外の嵐が小康状態になった隙に帰宅していく人たちも結構居たもので。(o´罒`o)
まぁ、明かりも煌々と点いている中なのでなおさら眠り辛いですよね。
結局、明けて日曜日の未明まで寝入りかけては周囲のイビキで起こされを繰り返し、外が落ち着いた朝6時過ぎに帰路に就きました。
帰宅すると幸いにして停電も断水も無く、窓への被害も無くてホッとしてそのまままた寝入ったもので。
帰宅途中に通った公園の川沿いのフェンスがひしゃげてたのにはゾッとしました…たしか、全国ニュースで千葉のゴルフ場のフェンスが倒壊してる写真がショッキングに報じられてましたね。
というわけであくまで僕のその際の避難時の教訓ではありますが、必須装備品として、
〇飲料(配給無しの場合も想定して計2Lサイズ以上の量)
〇充電器(各種ケーブル類も)
〇耳栓(・・・・・・c(゚∀゚∩) )
〇度数の高いお酒(酔っぱらってしまえば周囲の音など気にせず寝られる、の巻)
あたりを推します。
Ⅱ. おしまいに
というわけで今回は雑談も雑談、未曽有の台風の際に避難所に行った話でした。
たった一昼夜だけでも不特定多数の人と一つ所で、、、というのは相当な違和感でしたから、これが何日も何か月も続くような事態が実際に起こっていることに思いを至らせると言葉が出ません。
そうした万一の事態の際に他人のために動ければベストですが、そこまでいかなくてもまずそれぞれがイライラせずそれを周囲に撒き散らさないだけでかなり不和を防げるのかなとも僭越ながら感じました。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。