[フィクション] 巨石の囁き - ゴルナヤ・ショリアの秘密
自分の使っている創作技法を少しずつプロンプトに入れ込んでるんですが、まだやれることは色々あるのに、すでにこの精度で小説を書けるようになったのは驚きです。
終盤の解決や結末がちょっとどっちらけだなあ、とか、「アルタイル」はちょっとネーミングセンスがアレでしょ……とかはあるんですが。途中までの展開はかなりいいセンスしてます。
しかもこれを一瞬で出しちゃいますからね……。
第一幕
山々が朝靄に包まれていた。空気は冷たく、肺の中で凍りつく。私は息を吐いた。白い煙が立ち上る。
「ここが本当にゴルナヤ・ショリアなのか」
私、佐藤健太は遠くシベリアの地に立っていた。ロシア南部、ゴルナヤ・ショリアと呼ばれる辺境の地。周囲には針葉樹の森が広がり、遠くには雪を頂いた山々が連なる。
カメラを構えた。シャッターを切る音が静寂を破った。
「日本語が聞こえるとは思わなかった」
振り返ると、若い女性が立っていた。金髪に青い瞳。厚手のジャケットを着ていた。
「日本から来たんです」
「それは分かるわ」彼女は微笑んだ。「アンナよ。アンナ・ペトロワ。地元の博物館で働いてるの」
「佐藤健太です」
握手を交わした。彼女の手は温かかった。
「何の取材?」
「フリーのジャーナリストです。巨石構造物の記事を書いているんです」
アンナの表情が変わった。一瞬だけ暗い影が過った。
「あなたも巨石に魅せられたのね」
「ええ。2014年に発見された巨大な石のブロックについて調べています」
アンナは周囲を見回した。森の中から風が吹いてきた。木々が揺れる音が聞こえた。
「ここでは話せないわ。村に戻りましょう」
彼女の後について歩き始めた。足元は凍った土だった。靴底が軋む。
村は小さかった。木造の家が点在し、煙突から煙が立ち上っていた。人々は私を見て立ち止まった。外国人は珍しいのだろう。
アンナは小さな建物に私を案内した。「博物館」と書かれた看板が掛かっていた。中に入ると、暖かい空気が肌を包んだ。
「お茶をどうぞ」
アンナはサモワールからお茶を注いだ。湯気が立ち上る。
「ゴルナヤ・ショリアの巨石について、何を知ってるの?」
「基本的なことだけです。2014年に発見された巨大な石のブロック。最大のものは重さ約3000トン。人工的に加工された形跡があるとも言われています」
アンナは頷いた。窓の外を見た。日が傾き始めていた。
「公式な説明はそうね。でも地元の人間は違うことを知ってる」
「違うこと?」
「この地域には古くから伝わる言い伝えがあるの。巨石は神々が置いていったものだと」
私はメモを取り始めた。ペンが紙の上を滑る音が響いた。
「神々?」
「そう。天から降りてきた存在たち。彼らはこの地に何かを隠したと言われている」
アンナの声は低くなった。まるで誰かに聞かれることを恐れているかのようだった。
「何を隠したんですか?」
「誰も知らない。でも巨石を動かそうとした者には不幸が訪れるわ」
「不幸?」
「死、病気、狂気……」アンナは言葉を切った。「最近も事故があったの」
「どんな事故ですか?」
「研究チームの一人が行方不明になった。巨石の調査中に」
私の心臓が早く打ち始めた。これは良い記事になる。
「その研究チームに会うことはできますか?」
アンナは時計を見た。「明日案内するわ。今日はもう遅いし」
窓の外は暗くなっていた。森の輪郭だけが黒く浮かび上がっていた。
「村に宿はあるの?」
「小さなゲストハウスがあります。予約してあります」
「じゃあ、明日の朝9時にここで会いましょう」
アンナと別れ、ゲストハウスに向かった。村の中心から少し離れた場所にあった。古い木造の建物。ドアを開けると、暖炉の火が迎えてくれた。
部屋は質素だった。ベッド、机、椅子。窓の外には森が広がっていた。
荷物を置き、ノートパソコンを開いた。今日の記録を整理する。画面に向かって打ち込んでいると、窓の外から音が聞こえた。
振り返った。何もない。ただ闇があるだけ。
再びパソコンに向き直った。そのとき、また音がした。今度ははっきりと。誰かが私の名前を呼んでいた。
「健太……」
声は風のようにかすかだった。しかし確かに私の名前だった。
窓に近づいた。外は真っ暗で何も見えない。月明かりさえなかった。
「誰かいますか?」
返事はなかった。ただ風の音だけが聞こえた。
ベッドに横になった。明日は早い。目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。
夢を見た。巨大な石のブロックの間を歩いていた。石は呼吸をしているようだった。膨らんだり縮んだりする。そして石から声が聞こえた。
「帰れ……」
目が覚めた。汗で体が濡れていた。窓の外は明るくなり始めていた。時計を見ると、朝の6時だった。
シャワーを浴び、服を着替えた。朝食はパンとチーズ、紅茶。窓の外を見ると、村が朝の光の中で目覚めていくのが見えた。
9時前に博物館に着いた。アンナはすでに待っていた。彼女の隣には中年の男性がいた。
「おはよう、健太。こちらはドミトリー・イワノフ教授。巨石の研究チームのリーダーよ」
ドミトリーは無愛想な顔をしていた。握手を交わしたが、彼の手は冷たかった。
「日本から来たジャーナリストか」彼の英語には強いアクセントがあった。「何が知りたい?」
「巨石構造物について、そして行方不明になった研究員について」
ドミトリーの顔が硬くなった。「アレクセイのことか」
「はい」
「事故だ。彼は足を滑らせて崖から落ちた。単純な事故だ」
ドミトリーの声には怒りが含まれていた。何かを隠しているように感じた。
「現場を見せていただけますか?」
ドミトリーはアンナを見た。二人は何か言葉を交わした。ロシア語だったので理解できなかった。
「いいだろう」ドミトリーは最終的に同意した。「今日、君を連れて行く」
三人で村を出た。四輪駆動の車に乗り込んだ。道は険しかった。窓の外の景色が次第に変わっていく。森が深くなり、木々が密集していた。
「どうして巨石の研究をしているんですか?」車の中で私は尋ねた。
「私は地質学者だ」ドミトリーは道路に集中しながら答えた。「ゴルナヤ・ショリアの巨石は自然現象では説明できない。それが私の興味を引いた」
「人工的に作られたと?」
「そうとは言っていない。ただ、自然では説明できないと言っているだけだ」
車は急に止まった。ドミトリーがエンジンを切った。
「ここからは歩くぞ」
車を降りると、冷たい風が頬を打った。周囲は静かだった。鳥の声さえ聞こえない。
「この先だ」
ドミトリーが先導し、私とアンナが続いた。道はなかった。ただ木々の間を縫うように進んでいく。
30分ほど歩いた頃、森が開けた。そこに巨石があった。
息を呑んだ。写真で見たものより遥かに巨大だった。巨大な石のブロックが積み重なっていた。まるで誰かが意図的に置いたかのように。
「これがゴルナヤ・ショリアの巨石だ」ドミトリーが言った。「推定年代は不明。少なくとも数千年前のものだろう」
カメラを取り出し、写真を撮り始めた。石の表面は滑らかだった。風化の跡があるにもかかわらず、直線的な切り口が見えた。
「これは自然にできたものではないですね」
「その結論は早すぎる」ドミトリーは冷たく言った。「自然の力は我々の想像を超えることがある」
アンナは黙って巨石を見つめていた。彼女の表情には恐れが見えた。
「アレクセイはどこで事故に遭ったんですか?」
ドミトリーは指を指した。「あの崖の近くだ」
崖に近づいた。下を覗き込むと、深い谷が見えた。底は見えなかった。
「彼は何をしていたんですか?」
「サンプル採取だ。石の年代を調べるためにね」
「遺体は?」
「見つかっていない」
風が強くなった。木々が揺れる音が聞こえた。そして、また聞こえた。かすかな声が。
「聞こえましたか?」私は二人に尋ねた。
「何が?」ドミトリーは眉をひそめた。
「声です。誰かが話しているような」
ドミトリーとアンナは顔を見合わせた。
「ここには私たち以外誰もいないよ」アンナが言った。
しかし、私には確かに聞こえた。石から発せられるような声が。
「もう少し巨石を調査させてください」
ドミトリーは時計を見た。「1時間だけだ。それ以上は危険になる」
「危険?」
「天候が変わりやすい場所だ。霧が出ると道に迷う」
私は巨石の周りを歩き始めた。カメラで撮影し、メモを取る。石の表面には奇妙な模様があった。風化によるものか、それとも人工的な刻印か、判断できなかった。
巨石の一つに近づいた。手を伸ばして表面に触れた。
石は冷たかった。しかし、触れた瞬間、何かが走った。電流のような感覚。そして頭の中で声が響いた。
「来たな……」
手を引っ込めた。心臓が早鐘を打っていた。
「大丈夫?」アンナが近づいてきた。
「ええ、大丈夫です」嘘をついた。「ただ石が思ったより冷たくて」
アンナは私をじっと見た。彼女の青い目が何かを知っているようだった。
「あなたも聞いたのね」彼女は小声で言った。
「何を?」
「声を」
私は息を飲んだ。「あなたにも聞こえるんですか?」
アンナは周囲を見回した。ドミトリーは離れた場所で何かの測定をしていた。
「地元の人間は皆知ってるわ。巨石は話すってことを」
「何と?」
「それは人によって違う。警告だったり、約束だったり……」
「あなたは?」
「私には……」アンナは言葉を切った。「時間だわ。戻りましょう」
ドミトリーが私たちに向かって手を振っていた。帰る時間だという合図だった。
車に戻る途中、私は振り返った。巨石が夕日に照らされて赤く輝いていた。まるで血に染まったように。
村に戻ると、すでに日が落ちていた。ドミトリーは私たちを博物館の前で降ろした。
「明日も案内してほしいんですが」
「明日は無理だ」ドミトリーは素っ気なく言った。「研究があるからな」
彼は車を発進させ、去っていった。
「彼は何か隠していませんか?」アンナに尋ねた。
「みんな何かを隠してるわ」彼女は答えた。「特にこの村では」
「どういう意味ですか?」
「今夜、話しましょう。私の家に来て」
アンナは住所を教えてくれた。村の端にある小さな家だった。
「8時に来て。一人で」
彼女は立ち去った。私はゲストハウスに戻り、今日の記録を整理した。写真を見直し、メモを読み返す。
巨石の写真を拡大してみた。表面の模様がはっきりと見えた。規則的な線、まるで何かの文字のようだった。
時計を見ると、7時半になっていた。アンナの家に向かう時間だ。
外は完全に暗くなっていた。村の通りには街灯がまばらに立っていた。その光が雪の上に影を作る。
アンナの家は小さかった。木造の一階建て。窓からは暖かい光が漏れていた。
ドアをノックした。アンナが開けた。彼女は髪を下ろしていた。金色の髪が肩に流れ落ちていた。
「入って」
家の中は暖かかった。暖炉が燃えていた。壁には写真や絵が飾られていた。
「座って」アンナはソファを指した。「お茶を入れるわ」
私はソファに座り、部屋を見回した。棚には本が並んでいた。多くはロシア語だったが、英語の本もあった。考古学や民俗学に関するものが多いようだった。
アンナがお茶を持ってきた。「ここなら安心して話せるわ」
「何について?」
「巨石について。そして、この村で起きていることについて」
アンナは深く息を吸った。「アレクセイは事故で死んだんじゃない。彼は巨石に取られたの」
「取られた?」
「そう。巨石は時々、人を取るの。特に、秘密に近づきすぎた人をね」
「どんな秘密ですか?」
「巨石の下に何があるかという秘密よ」
アンナは立ち上がり、本棚から古い本を取り出した。ページをめくり、一枚の絵を見せた。
それは巨石の絵だった。しかし、石の下には何かが描かれていた。洞窟のようなもの。そして洞窟の中には、人間とは思えない形の存在が描かれていた。
「これは何ですか?」
「地元の伝説よ。神々が地下に隠した何かを守るために巨石を置いたという」
「何を隠したんですか?」
「知識だと言う人もいれば、武器だという人もいる。真実は誰も知らない」
「あなたは信じているんですか?」
アンナは窓の外を見た。「私の祖父は巨石の声を聞いたわ。そして彼は発掘を始めた。巨石の下に何があるか確かめようとしたの」
「それで?」
「彼は消えた。ある日、発掘現場に行ったきり、二度と戻ってこなかった」
アンナの目に涙が光った。
「それで、あなたは博物館で働くようになったんですね。祖父の研究を続けるために」
彼女は頷いた。「でも私は発掘はしない。ただ記録を残すだけ。そして警告するの」
「何を警告するんですか?」
「巨石に近づきすぎないようにってこと」
「でも、あなたは今日私を連れて行きましたよね」
「あなたは既に巨石に選ばれていたから」
「選ばれた?」
「巨石はあなたを呼んだのよ。だから日本からここまで来た」
私は笑おうとしたが、笑えなかった。確かに、なぜこんな辺境の地の話を記事にしようと思ったのか、自分でも説明できなかった。
「それで、私は何をすればいいんですか?」
「それはあなた次第よ。巨石の声を聞いて、それに従うか、無視するか」
「あなたなら、どうしますか?」
アンナは黙った。暖炉の火が彼女の顔を照らしていた。
「私なら逃げるわ。今すぐに」
その夜、ゲストハウスに戻った私は眠れなかった。アンナの言葉が頭の中で繰り返し響いていた。
窓の外を見ると、月が出ていた。その光が雪の上に銀色の道を作っていた。
そして再び、声が聞こえた。
「来い……」
今度ははっきりと聞こえた。頭の中ではなく、外から。
窓を開けた。冷たい風が部屋に入ってきた。
月明かりの中、一つの影が見えた。人の形をしていたが、どこか違っていた。それは森の方へ移動していた。
私は服を着て、外に出た。影を追いかけた。
雪の上に足跡がついていた。人間のものではなかった。大きすぎる。そして形が違っていた。
足跡は森の中へと続いていた。月明かりが木々の間から漏れ、道を照らしていた。
どれくらい歩いたのか分からない。気がつくと、巨石の前に立っていた。月明かりの下、石は青白く輝いていた。
そして、石の間に人影があった。
「誰ですか?」
影が振り返った。アンナだった。
「来たのね」彼女の声は変わっていた。低く、響くような声だった。
「あなたが私を呼んだんですか?」
「私じゃない。巨石よ」
アンナは巨石の一つに手を置いた。「巨石は門なのよ。向こう側への」
「向こう側?」
「来て、見せてあげる」
アンナは巨石の間を歩き始めた。私は彼女に従った。
石の間の道は迷路のようだった。曲がりくねり、時には狭くなる。しかし、アンナは迷うことなく進んでいった。
やがて、私たちは小さな空間に出た。巨石に囲まれた円形の空間。中央には穴があった。
「これが入口よ」アンナが言った。
穴を覗き込んだ。暗くて底が見えなかった。
「何の入口ですか?」
「真実への入口」
アンナの目が変わった。青い瞳が黒く変わっていった。瞳孔が広がり、やがて目全体が黒くなった。
恐怖で体が凍りついた。アンナは人間ではなかった。少なくとも、今は。
「あなたは……」
「私は守護者の一人」彼女―それは言った。「巨石の秘密を守るために」
「アンナはどこに?」
「アンナ・ペトロワは存在しない。それは私が使っている仮の姿に過ぎない」
私は後ずさりした。逃げようとした。しかし、巨石が動いた。石が少しずつ位置を変え、出口を塞いでいった。
「逃げられないわ」アンナが言った。「あなたは選ばれたの。巨石によって」
「何のために?」
「知識を受け取るために。そして、伝えるために」
アンナは穴に近づいた。「来て」
私は動けなかった。恐怖で足が地面に釘付けになっていた。
アンナは手を伸ばした。「恐れないで。これはあなたの運命よ」
「私は……」
その時、別の声が聞こえた。
「健太! 逃げろ!」
振り返ると、ドミトリーが巨石の間から現れた。彼の手には松明があった。
「彼女に近づくな! それは人間じゃない!」
アンナの顔が歪んだ。怒りで変形していった。もはや人間の顔ではなかった。
「邪魔をするな、ドミトリー」アンナの声は轟くように響いた。
ドミトリーは私に向かって叫んだ。「走れ! 私が彼女を引き付ける!」
彼は松明をアンナに向かって投げた。炎が彼女の体に当たった。悲鳴が上がった。人間の声ではなかった。
私は走った。巨石の間を縫うように走った。後ろからはドミトリーの叫び声と、何かの唸り声が聞こえた。
森に出た。月明かりを頼りに村へと走った。
振り返ると、森の中から光が見えた。炎の光。そして叫び声。
村に着くと、人々が家から出てきていた。遠くの光と音に気づいたのだろう。
「森で火事だ!」誰かが叫んだ。
人々は森に向かって走り始めた。私も彼らに混ざった。
巨石に戻ると、炎が石の間で燃えていた。木々に火が移り、広がっていた。
「ドミトリー!」私は叫んだ。
返事はなかった。炎の中に人影は見えなかった。
村人たちは火を消そうと必死だった。バケツリレーで水を運び、火に向かって投げる。
私も手伝った。何時間も火と戦った。
夜明け前、ようやく火は収まった。巨石の周りの木々は焼け、黒くなっていた。石自体は無傷だった。
「ドミトリー教授は?」私は村人に尋ねた。
誰も答えられなかった。彼の姿はなかった。
そして、アンナも消えていた。
第二幕
翌日、村は騒然としていた。ドミトリー教授の失踪と火災について、様々な噂が飛び交っていた。
私はゲストハウスに閉じこもっていた。昨夜の出来事を整理しようとしていた。アンナ―あるいはアンナの姿をした何か―が見せた穴。ドミトリーの警告。そして火災。
ノックの音がした。ドアを開けると、老人が立っていた。
「あなたが日本人のジャーナリストか」老人は英語で言った。
「はい」
「私はイワン。村の長老だ。話がある」
イワンは部屋に入った。彼は杖をついていた。年齢は80を超えているように見えた。
「昨夜、何があった?」イワンは尋ねた。
私は躊躇した。真実を話せば、狂人だと思われるだろう。
「火事です。巨石の近くで」
「それだけか?」イワンの目は鋭かった。「アンナとは会わなかったのか?」
息を飲んだ。「あなたはアンナのことを?」
「アンナ・ペトロワは実在しない」イワンは言った。「少なくとも、50年前に死んだ」
「何ですって?」
イワンはポケットから古い写真を取り出した。それはアンナだった。しかし、写真は黄ばんでいた。古いものだった。
「これは1970年に撮られたものだ。アンナ・ペトロワ。私の妹だ」
「しかし、彼女は若かった。30歳にも見えなかった」
「アンナは30歳で死んだ。巨石の研究中に」
頭がくらくらした。「では、私が会ったアンナは?」
「それが巨石の秘密だ」イワンは言った。「巨石は死者の姿を借りることがある。特に、巨石と強い繋がりがあった者の」
「なぜ私に?」
「それは分からない。しかし、巨石は時々、外の世界の人間を選ぶ。特に感受性の強い者をね」
「感受性?」
「巨石の声を聞ける能力だ」
私は窓の外を見た。遠くに巨石がある森が見えた。
「ドミトリー教授は?」
「見つからないだろう」イワンは悲しげに言った。「彼も巨石に取られた」
「彼は私を救おうとした」
「ドミトリーは良い男だった。彼は巨石の危険性を知っていた。だから君を守ろうとしたのだろう」
「彼はなぜ私をあそこに連れて行ったんですか?」
「おそらく、君が既に巨石に選ばれていると気づいたからだ。そして、それを確かめようとしたのだろう」
イワンは立ち上がった。「この村を離れるんだ。今すぐに。巨石の声が聞こえても、応えてはいけない」
「しかし、記事が……」
「命より大切か?」
イワンは去っていった。私は窓辺に立ち、考え込んだ。
村を離れるべきか。それとも、この謎を追求すべきか。
その日の午後、私は村の図書館を訪れた。小さな建物だったが、地元の歴史に関する資料が揃っていた。
司書は年配の女性だった。私がゴルナヤ・ショリアと巨石について尋ねると、彼女は警戒した様子を見せた。
「なぜそんなことを?」
「記事を書いているんです」
彼女は周囲を見回した。「奥の棚にあるわ。地元史のセクション」
資料は古く、ほとんどがロシア語だった。しかし、いくつかは英語に翻訳されていた。
一冊の本を手に取った。『ゴルナヤ・ショリアの伝説と民話』。ページをめくると、巨石に関する記述があった。
「巨石は天から落ちてきた神々の住処である。彼らは人間の姿を借り、時に村人と交流する。しかし、彼らの目的は不明である。巨石に近づきすぎた者は姿を消す。彼らは神々の世界へと連れ去られたと言われている」
別の本には、巨石の下に洞窟があるという記述があった。洞窟には古代の知識が隠されているという。
時間が経つのも忘れて読み続けた。窓の外が暗くなり始めた頃、一冊の日記を見つけた。
表紙には「アンナ・ペトロワの日記」と書かれていた。
手が震えた。昨夜会った「アンナ」の正体が何であれ、これは本物のアンナの日記だった。
日記は1968年から始まっていた。アンナは若い考古学者で、ゴルナヤ・ショリアの巨石を研究していた。
最初のページは学術的な観察が中心だった。巨石の大きさ、配置、推定年代などが記録されていた。
しかし、日が進むにつれ、記述が変わっていった。
「今日も声が聞こえた。巨石から発せられる声。私を呼んでいる。何かを見せたいと言っている」
「夢で巨石の下にある洞窟を見た。洞窟の中には光があった。知識の光だ」
「イワンは私に巨石に近づくなと警告する。彼は恐れている。しかし、私は恐れていない。巨石は私を害するものではない。彼らは私に何かを教えようとしている」
最後の記述は1970年8月15日のものだった。
「今夜、巨石の下へ降りる。彼らが私を導いてくれる。真実を知るために」
それ以降の記述はなかった。アンナはその日に消えたのだろう。
日記を閉じた。頭の中が混乱していた。
図書館を出ると、既に夜になっていた。村は静かだった。家々の窓から漏れる光だけが闇を照らしていた。
ゲストハウスに戻る途中、誰かが私を見ていると感じた。振り返ったが、誰もいなかった。
部屋に戻り、ドアに鍵をかけた。窓のカーテンも閉めた。
ベッドに横になったが、眠れなかった。アンナの日記の言葉が頭の中で繰り返されていた。
そして、また声が聞こえ始めた。
「健太……来て……」
枕に頭を押し付け、耳を塞いだ。声を遮断しようとした。
「見せたいものがある……」
声は消えなかった。むしろ、強くなっていった。
「あなたの恋人のことを知っている……」
息を飲んだ。由美のことだ。別れた恋人。彼女のことをここで知っている者はいないはずだ。
「由美は今も君を待っている……」
「嘘だ」私は声に向かって言った。「彼女は新しい恋人がいる」
「それは表面だけ……彼女の心は君を求めている……」
「黙れ!」
声は笑った。「真実が怖いのか?」
「お前は何だ?」
「私は知識だ。真実だ。あなたが求めているものだ」
「私が求めているのは記事のネタだけだ」
「嘘をつくな。あなたは真実を求めている。由美との別れの真実を。人生の意味の真実を」
窓の外を見た。月が出ていた。その光が部屋に差し込んでいた。
「見せてあげる。すべての答えを」
体が動き始めた。自分の意志ではなかった。何かに引っ張られるように、ベッドから立ち上がった。
「やめろ!」
体は止まらなかった。ドアに向かって歩き始めた。
必死に抵抗した。壁に手をついて、体を止めようとした。
「抵抗しても無駄だ。あなたは既に選ばれている」
ドアに手が伸びた。鍵を開けようとする。
その時、激しいノックの音がした。
「健太さん! 開けてください!」
女性の声だった。日本語だった。
体の支配が緩んだ。自分の意志を取り戻した。
ドアを開けると、若い日本人女性が立っていた。
「誰ですか?」
「中村真理です。在ロシア日本大使館の職員です」
彼女は身分証を見せた。本物だった。
「どうして?」
「あなたの安全が心配で」真理は部屋に入った。「この村について報告がありました」
「どんな報告ですか?」
「外国人ジャーナリストの失踪事件です。過去10年で3人。全員がこの村を訪れた後に」
私は息を飲んだ。「それで私を?」
「あなたのエディターが心配して大使館に連絡したんです。あなたがゴルナヤ・ショリアに来ると」
真理は窓の外を見た。「明日の朝、ここを出ましょう。車を手配しています」
「しかし、記事が……」
「命より大切ですか?」イワンと同じ言葉だった。
真理は一晩中、私の部屋で過ごした。彼女は椅子に座り、私はベッドで横になった。
「眠ってください」彼女は言った。「私が見ています」
疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
夢を見た。巨石の間を歩いていた。そこにアンナがいた。本物のアンナ。
「あなたは逃げようとしている」彼女は言った。
「ここは危険だ」
「危険なのは無知だけよ」アンナは微笑んだ。「巨石は知識を与えてくれる。すべての答えを」
「人々が消えている」
「消えたのではないわ。変わったの。より良いものに」
アンナは手を差し出した。「来て。あなたに見せたいものがある」
手を伸ばしかけた。その時、別の声が聞こえた。
「健太さん! 起きてください!」
目が覚めた。真理が私の肩を揺すっていた。
「何が?」
「外を見て」
窓から外を見ると、村の人々が集まっていた。彼らはゲストハウスを取り囲んでいた。
「何が起きているんですか?」
「分かりません」真理は言った。「でも、良くないことは確かです」
村人たちの表情は空虚だった。まるで魂のない人形のよう。そして全員が私たちの方を見ていた。
「裏口はありますか?」真理が尋ねた。
「あると思います」
荷物をまとめ、裏口から出た。村人たちの視線を避けながら、駐車場に向かった。
真理の車は小さなSUVだった。鍵を開け、乗り込んだ。
「急いで」
エンジンをかけ、村を出る道に向かった。村人たちが気づき、車に向かって走り始めた。
「早く!」
真理はアクセルを踏んだ。車は勢いよく前進した。村人たちを避けながら、道路に出た。
振り返ると、村人たちは道路に立ち、私たちを見送っていた。動かなかった。ただ見ているだけ。
「何だったんだ?」
「説明できません」真理は道路に集中していた。「でも、あの村には何か悪いものがある」
「巨石ですか?」
「おそらく。大使館には古い報告書があります。ソビエト時代、政府はゴルナヤ・ショリアの巨石を調査しました。しかし、調査チームの多くが精神障害を発症したり、失踪したりしました」
「なぜ封鎖しないんですか?」
「政治的な理由です。それに、証拠が不十分で」
車は森の中の道を走っていた。両側には背の高い木々が立ち並んでいた。
「どこに行くんですか?」
「最寄りの都市まで。そこから飛行機でモスクワへ」
安堵感が広がった。この悪夢から逃れられる。
しかし、その安堵は長く続かなかった。
道路の先に人影が見えた。一人の女性が道の真ん中に立っていた。
「アンナ……」
真理はブレーキを踏んだ。車は滑りながら止まった。
アンナ―あるいはアンナの姿をした何か―は微笑んでいた。
「彼女を知っているんですか?」真理が尋ねた。
「彼女は……」言葉に詰まった。「人間ではない」
アンナは車に近づいてきた。真理はバックギアに入れようとした。
しかし、エンジンが止まった。
「何が?」
真理はエンジンをかけようとしたが、反応がなかった。
アンナは車の横に立った。窓をノックした。
「開けないで」私は言った。
しかし、窓は勝手に下がっていった。電動窓が自動的に開いていく。
「久しぶり、健太」アンナは言った。「逃げようとしているの?」
「私たちに何をしたいんだ?」
「あなたに真実を見せたいだけよ」
「どんな真実だ?」
「すべての真実。あなたの過去、現在、未来の」
真理が私の腕を掴んだ。「話しかけないで。罠です」
アンナは真理を見た。「邪魔をしないで、中村真理さん」
真理は息を飲んだ。「私の名前をどうやって?」
「私はすべてを知っている」アンナは言った。「あなたが大使館の人間ではないことも」
真理の顔が硬くなった。
「あなたは何者だ?」私は真理に尋ねた。
「説明する時間はない」彼女は言った。「車から出て、森に逃げて」
「でも……」
「今すぐに!」
真理はドアを開け、外に飛び出した。私も続いた。
アンナは動かなかった。ただ微笑んでいた。
「逃げられないわ」彼女は言った。
真理は私の手を引いた。「こっち!」
二人で森の中に走った。木々の間を縫うように進む。
振り返ると、アンナは消えていた。
「彼女は?」
「気にしないで」真理は言った。「走り続けて」
どれくらい走ったのか分からない。肺が燃えるように熱かった。足は重くなっていた。
やがて、小さな小屋が見えてきた。森の中に建つ狩猟小屋のようだった。
「あそこ」真理は小屋を指した。
小屋に着くと、真理はドアを開けた。中は埃っぽかったが、使える状態だった。
「ここなら安全です」彼女は言った。「しばらくの間は」
「あなたは本当に大使館の人間ではないんですね」
真理は深く息を吸った。「いいえ。私は研究者です。巨石の研究をしています」
「なぜ嘘を?」
「あなたを村から連れ出す必要があったから。真実を話しても信じてもらえないと思って」
「真実とは?」
「巨石は異星の技術です。地球外知性体が残していったもの」
私は笑いそうになった。しかし、これまでの出来事を考えると、そう突飛な話でもなかった。
「証拠は?」
「私の研究チームは10年間調査してきました。巨石から発せられる電磁波のパターン、周囲の時空の歪み、そして……声」
「あなたにも聞こえるんですか?」
「はい。私たちは巨石に選ばれた人間を探しています。声を聞ける人間を」
「なぜ?」
「巨石は知識の貯蔵庫だと考えています。しかし、その知識にアクセスできるのは特定の人間だけ。巨石に選ばれた人間だけです」
「そして、私が選ばれた?」
「そう思います。あなたがここに来たのも偶然ではないでしょう。巨石があなたを呼んだのです」
窓の外を見た。日が落ち始めていた。
「では、アンナは?」
「巨石の守護者の一人でしょう。巨石は時々、人間の姿を借りて現れます。特に、過去に巨石と強い繋がりがあった人間の姿をね」
「彼女は危険ですか?」
「彼女自身は危険ではないと思います。しかし、巨石の力は危険です。準備ができていない人間には」
「準備?」
「精神的な準備です。巨石の知識は人間の理解を超えています。それを受け入れるには特別な訓練が必要です」
「あなたは準備ができているんですか?」
真理は微笑んだ。「私はずっと訓練してきました。でも、私は選ばれていません。あなたのように声を聞くことはできません」
「それで、私をどうするつもりですか?」
「研究所に連れて行きたいです。あなたの能力を調査し、訓練します。そして、巨石の秘密を解き明かすのを手伝ってほしいのです」
「危険ではないですか?」
「危険はあります。しかし、私たちは安全対策を講じています。あなたは一人ではありません」
考え込んだ。この状況から逃げ出したい気持ちがあった。しかし、同時に好奇心もあった。巨石の秘密、そして自分が選ばれた理由を知りたかった。
「考えさせてください」
「もちろん」真理は立ち上がった。「食べ物を用意します。小屋に保存食があるはずです」
彼女が小屋の奥に行っている間、窓の外を見ていた。森は暗くなり始めていた。木々の間に影が伸びていく。
そして、その影の中に人影を見た。
「真理さん」私は呼んだ。「外に誰かいます」
真理が戻ってきた。「どこ?」
窓から外を指した。しかし、人影は消えていた。
「気のせいかも」
「いいえ、気のせいではありません」真理の声は緊張していた。「彼らが来ています」
「彼らって?」
「村の人々です。巨石に操られた人々」
真理はバッグから小さな装置を取り出した。それはコンパスのように見えたが、針は北を指していなかった。
「巨石からの電磁波を検知します」彼女は説明した。「強くなっています。彼らが近づいています」
「どうすれば?」
「逃げるしかありません。でも、どこに行けばいいのか……」
その時、窓ガラスが割れた。誰かが石を投げ込んだのだ。
「伏せて!」
真理は私を押し倒した。床に伏せた瞬間、もう一つの窓も割れた。
「裏口から出ましょう」
這うようにして裏口に向かった。ドアを開けると、森の闇が広がっていた。
「どっちに行けば?」
真理はコンパスを見た。「こっち。巨石から離れる方向に」
二人で森の中に走った。背後からは足音が聞こえた。村人たちが追ってきていた。
「速く!」
木々の間を縫うように走った。月明かりが道を照らしていた。
しかし、どれだけ走っても、追手の足音は近づいてくるばかりだった。
「待って」真理は立ち止まった。「おかしい」
「何が?」
「コンパスが……」彼女は装置を見た。「針が回っている。方向が定まらない」
「それは?」
「巨石の影響が全方向から来ている。まるで……」
「まるで囲まれているように?」
真理は頷いた。「そう」
周囲を見回した。木々の間に人影が見えた。村人たちだ。彼らは円を描くように私たちを取り囲んでいた。
「どうすれば?」
真理は深く息を吸った。「一つだけ方法があります」
彼女はバッグから小さな箱を取り出した。開けると、中には注射器があった。
「これは?」
「巨石の影響をブロックする薬です。一時的にですが」
「安全なんですか?」
「完全には保証できません。副作用があるかもしれない」
村人たちの輪が狭まってきた。選択肢はなかった。
「打ってください」
真理は注射器を私の腕に刺した。液体が血管に入っていく感覚があった。
「効くまで少し時間がかかります」彼女は言った。「それまで持ちこたえて」
村人たちが近づいてきた。彼らの目は空虚だった。魂のない人形のようだった。
そして、彼らの中にアンナがいた。
「無駄よ」アンナは言った。「逃げられない」
「何が欲しいんだ?」私は叫んだ。
「あなたよ」アンナは答えた。「あなたは鍵なの。巨石の秘密を解く鍵」
「なぜ私が?」
「あなたの中に眠る記憶があるから」
「記憶?」
「前世の記憶。あなたはかつてここにいた。巨石を置いた者たちの一人として」
頭がくらくらした。アンナの言葉が頭の中で反響した。
そして、突然、記憶の断片が浮かんできた。見たことのない風景。理解できない言語。そして巨石。
「嘘だ」私は頭を振った。「そんなはずがない」
「思い出して」アンナは手を伸ばした。「あなたの本当の姿を」
その時、体に変化が起きた。注射が効き始めたのだ。頭の中の声が遠ざかっていった。アンナの言葉が意味を失っていく。
「今よ!」真理が叫んだ。「走って!」
二人で村人たちの輪を突破した。彼らは反応が遅かった。まるで夢の中にいるかのようだった。
森の中を走った。方向感覚は失っていたが、とにかく村から離れることだけを考えた。
どれくらい走ったのか分からない。やがて、森が開けた。前方に道路が見えた。
「あそこ!」
道路に出ると、車のヘッドライトが見えた。車が近づいてきた。
真理は道路に立ち、手を振った。車は止まった。
窓が下がり、中年の男性が顔を出した。
「何があったんだ?」男はロシア語で尋ねた。
真理はロシア語で何か説明した。男は頷き、後部座席のドアを開けた。
「乗って」真理は言った。「彼は私の同僚です」
車に乗り込んだ。エンジンがかかり、車は走り出した。
振り返ると、森の端にアンナが立っていた。彼女は動かなかった。ただ見送っているだけだった。
「無事で良かった」運転席の男が英語で言った。「私はセルゲイ。真理の研究パートナーです」
「どこに行くんですか?」
「安全な場所に」セルゲイは答えた。「そこで説明します」
車は夜の道路を走り続けた。窓の外の風景が流れていく。森、丘、そして遠くに見える山々。
「巨石から離れると、その影響は弱まります」真理は説明した。「でも、完全には消えません。あなたは選ばれたのですから」
「選ばれたとは?」
「巨石はあなたの中に何かを見たのです。アンナが言ったように、何らかの記憶か能力か」
「前世の記憶なんて信じられません」
「科学的には説明できないことです」セルゲイが言った。「しかし、巨石の周りでは科学の法則が曲がることがある」
車は山道を登っていった。やがて、小さな研究施設が見えてきた。山の中腹に建つ現代的な建物だった。
「ここが私たちの基地です」真理は言った。「巨石の影響が届かない場所に建てました」
車が止まり、三人は建物に入った。中は明るく、清潔だった。研究機器が並んでいた。
「まずは休んでください」真理は一つの部屋を指した。「明日、詳しく説明します」
部屋に入ると、シンプルなベッドと机があった。窓からは山の風景が見えた。
疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
夢を見なかった。巨石の声も聞こえなかった。
第三幕
朝、目が覚めると、窓から朝日が差し込んでいた。山々が朝の光に照らされていた。
ドアをノックする音がした。
「入ってください」
真理が入ってきた。彼女は白衣を着ていた。
「お休みになれましたか?」
「ええ、久しぶりに静かな夜でした」
「薬の効果です」彼女は説明した。「巨石の影響をブロックしています」
「永久に使えるんですか?」
「いいえ。副作用があります。長期使用は危険です」
真理は窓の外を指した。「朝食の後、施設を案内します。そして、私たちの研究について説明します」
食堂では、セルゲイと他の研究者たちが待っていた。皆、好奇心に満ちた目で私を見ていた。
「彼が選ばれた者か」一人の女性が言った。
「はい、エレナ」真理は答えた。「彼は巨石の声を聞きました」
朝食を取りながら、研究者たちは私に質問を投げかけた。巨石の声はどんな感じか、どんなメッセージを受け取ったか。
食後、真理は私を施設内を案内した。研究室、データセンター、医療施設。すべてが最新の設備だった。
「ここで何をしているんですか?」
「巨石の研究です」真理は説明した。「その起源、目的、そして影響を調査しています」
「何か分かったことは?」
「巨石は少なくとも1万年前のものです。しかし、その技術は現代のものよりも遥かに進んでいます」
「異星人の技術だと?」
「それが最も合理的な説明です」真理は頷いた。「地球外知性体が残していったものと考えています」
「なぜ?」
「それが分からないのです」真理は立ち止まった。「彼らの目的は何なのか。なぜ巨石を置いていったのか」
最後に、真理は私を大きな部屋に案内した。中央には巨大なスクリーンがあり、壁には巨石の写真や図が貼られていた。
「ここが作戦室です」
セルゲイと他の研究者たちが既に集まっていた。
「健太さん」セルゲイが立ち上がった。「私たちはあなたの助けが必要です」
「私に何ができるんですか?」
「あなたは巨石に選ばれました」セルゲイは説明した。「あなたを通じて、巨石と通信できるかもしれません」
「危険ではないですか?」
「危険はあります」真理が認めた。「しかし、私たちは安全対策を講じています」
スクリーンに巨石の画像が映し出された。
「私たちの理論では、巨石は一種の通信装置です」セルゲイが説明した。「異なる世界、あるいは次元との通信を可能にするもの」
「そして、特定の人間だけがその通信を受信できる」真理が続けた。「あなたのような人間が」
「なぜ私が?」
「それが分かれば、すべてが解決するのですが」セルゲイは肩をすくめた。
「私たちの仮説では、あなたの脳波のパターンが巨石の発する周波数と共鳴するのではないかと」真理は言った。
「では、どうすれば?」
「あなたに巨石と再び接触してもらいたいのです」真理は言った。「しかし、今度は私たちの監視下で」
「また村に戻るということですか?」
「いいえ」セルゲイが答えた。「巨石の一部をここに持ってきています」
彼はボタンを押した。部屋の一角の壁が開き、ガラスケースが現れた。中には巨石の小さな破片があった。
「これは2015年の調査で採取したサンプルです」セルゲイは説明した。「小さいですが、同じ特性を持っています」
石の破片は拳大ほどの大きさだった。表面には同じ模様が見えた。
「これで何をするんですか?」
「あなたに触れてもらいます」真理が言った。「そして、何を感じるか、何を聞くか、記録します」
「安全なんですか?」
「私たちは電磁波をモニターし、あなたの脳波も監視します」セルゲイが説明した。「異常があれば、すぐに中断します」
考え込んだ。恐怖があった。しかし、好奇心もあった。巨石の秘密、そして自分が選ばれた理由を知りたかった。
「やります」
準備が始まった。私は医療用の椅子に座り、頭に電極を取り付けられた。心拍数や血圧を測るセンサーも体に付けられた。
「準備はいいですか?」真理が尋ねた。
深く息を吸った。「はい」
セルゲイがガラスケースを開け、巨石の破片を取り出した。トレイに乗せ、私の前に置いた。
「触れてみてください」
手を伸ばし、石に触れた。
最初は何も感じなかった。ただの冷たい石だった。
「何か感じますか?」
「いいえ、何も……」
その時、変化が起きた。石が温かくなり始めた。そして、かすかな振動を感じた。
「石が……温かくなっています」
研究者たちは興奮した様子でモニターを見ていた。
「脳波に変化があります」誰かが言った。
そして、声が聞こえ始めた。
「戻ってきたな……」
「声が聞こえます」私は言った。
「何と言っていますか?」真理が尋ねた。
「『戻ってきたな』と」
研究者たちは顔を見合わせた。
「会話できますか?」セルゲイが尋ねた。「質問してみてください」
「あなたは誰ですか?」私は心の中で尋ねた。
「私たちは……創造者だ……」
「創造者?」
「この世界の……」
「何を言っていますか?」真理が尋ねた。
「『私たちは創造者だ、この世界の』と言っています」
セルゲイが何かをメモした。「続けてください」
「何を望んでいるんですか?」私は尋ねた。
「記憶を……取り戻せ……」
「どんな記憶ですか?」
「お前が……誰なのかという……」
頭が痛み始めた。視界がぼやけてきた。
「健太さん?」真理の声が遠くに聞こえた。
「大丈夫です」私は言った。「続けます」
「なぜ私を選んだんですか?」
「お前は……私たちの一人だ……」
「どういう意味ですか?」
「お前の中に……コードがある……」
「コード?」
「DNA……に刻まれた……」
頭の痛みが強くなった。鼻から血が出始めた。
「中断します!」真理が叫んだ。
誰かが私の手から石を取り除いた。しかし、声は続いていた。
「思い出せ……由美との別れは……偶然ではない……」
「由美?」
「彼女もまた……選ばれし者……」
「どういう意味だ?」
「彼女を……見つけろ……」
視界が真っ白になった。そして、記憶の洪水が押し寄せた。
見たことのない風景。理解できない言語。そして巨石。巨大な巨石が宇宙船から降ろされていく光景。
「健太さん!」
目が覚めた。医療室のベッドに横たわっていた。真理が私の横に立っていた。
「何が起きたんですか?」
「あなたは気を失いました」真理は説明した。「脳の活動が急激に上昇し、過負荷になったようです」
「どれくらい?」
「3時間です」
座り上がろうとしたが、頭がくらくらした。
「ゆっくりして」真理は私を支えた。
「記憶を見ました」私は言った。「巨石が置かれる光景を」
真理の目が大きくなった。「詳しく教えてください」
私は見たものを説明した。宇宙船、見たことのない生物たち、そして巨石が地球に置かれる様子。
「これは驚くべきことです」真理は言った。「あなたは本当に前世の記憶を持っているのかもしれません」
「信じられません」
「科学的には説明できないことです」真理は認めた。「しかし、巨石の周りでは多くの説明できないことが起きています」
「由美のことも言っていました」
「あなたの元恋人ですか?」
「ええ。彼女も『選ばれし者』だと」
真理は考え込んだ。「彼女に連絡を取れますか?」
「別れてから連絡していません」
「試してみる価値はあります」真理は言った。「もし彼女も巨石に選ばれているなら、二人で何か重要なことを成し遂げるのかもしれません」
携帯電話を取り出した。由美の番号はまだ残っていた。
深く息を吸い、電話をかけた。
何度かコールした後、彼女が出た。
「健太?」彼女の声は驚きに満ちていた。
「久しぶり、由美」
「どうしたの? 突然」
「変な質問かもしれないけど」言葉を選んだ。「最近、奇妙な夢を見ていない?」
電話の向こうで沈黙があった。
「どうして知ってるの?」彼女の声は震えていた。
心臓が早く打ち始めた。「どんな夢?」
「大きな石の夢。そして、見たことのない風景。理解できない言語」
息を飲んだ。「由美、会う必要がある」
「どこにいるの?」
「ロシアだけど、すぐに日本に戻る」
「待ってる」彼女は言った。「私も話したいことがあるの」
電話を切った後、真理に状況を説明した。
「これは予想以上の展開です」彼女は興奮した様子だった。「二人とも同じ夢を見ているなんて」
「どういう意味だと思いますか?」
「分かりません」真理は正直に答えた。「しかし、これは偶然ではないでしょう」
セルゲイが部屋に入ってきた。「調子はどうだ?」
「大丈夫です」
「良かった」彼は安堵した様子だった。「君の脳波のデータを分析したよ。驚くべき結果だ」
「どんな?」
「君の脳は巨石と完全に同期していた。まるで同じ周波数で振動しているかのようにね」
「それは何を意味するんですか?」
「君の脳は巨石と通信するために特別に『調整』されているようだ」セルゲイは説明した。「生まれつきか、あるいは何らかの接触によってか」
「そして、由美も」
「彼女も同じ特性を持っているのかもしれない」セルゲイは頷いた。「二人で何か重要な役割を担うのかも」
「どんな役割ですか?」
「それが分かれば」セルゲイは肩をすくめた。
その夜、私は日本への帰国を決めた。由美に会い、彼女の夢について詳しく聞く必要があった。
真理とセルゲイは理解を示した。
「これは重要な展開です」真理は言った。「由美さんと会って、彼女の経験を聞いてください」
「そして、できれば彼女を説得して、ここに来てもらえないか」セルゲイが付け加えた。「二人一緒なら、巨石との通信がより強力になるかもしれない」
「最善を尽くします」
出発の前日、真理は私に小さな箱を渡した。
「これは巨石の影響をブロックする薬です」彼女は説明した。「必要な時だけ使ってください」
「ありがとう」
「そして、これも」彼女は小さな石の破片を渡した。「巨石のかけらです。由美さんに見せてください。彼女がどう反応するか観察してください」
翌朝、私はモスクワへ向かう車に乗った。真理とセルゲイが見送ってくれた。
「気をつけて」真理は言った。「そして、何か変わったことがあれば、すぐに連絡してください」
「分かりました」
車が動き出した。窓から見える研究施設が小さくなっていく。
モスクワから東京への飛行機の中、私は考え込んでいた。この不思議な体験、巨石の秘密、そして由美との再会。
東京に着いたのは雨の日だった。空港を出ると、由美が待っていた。
彼女は変わっていなかった。黒い髪、優しい目。しかし、彼女の表情には不安があった。
「健太」彼女は微笑んだ。「久しぶり」
「由美」
二人は抱き合った。別れてから1年。しかし、今は奇妙な運命によって再び結ばれていた。
「話したいことがたくさんある」彼女は言った。
「私もだ」
彼女のアパートに向かった。東京の小さなワンルーム。窓からは都会の景色が見えた。
「いつから夢を見始めたの?」私は尋ねた。
「3ヶ月前」由美は答えた。「最初は単なる夢だと思った。でも、毎晩同じ夢を見るようになって」
「どんな夢?」
「大きな石の夢。石は呼吸をしているようだった。そして、声が聞こえた」
「何と言っていた?」
「『準備しろ』と」由美は震えた。「『彼が戻ってくる』と」
「彼?」
「あなたのことだと思う」由美は私を見た。「夢の中で、あなたの顔を見たから」
ポケットから巨石の破片を取り出した。
「これを見て、どう感じる?」
由美は石を見つめた。彼女の瞳が広がった。
「これは……夢で見たもの」
「触れてみて」
由美は躊躇した後、石に触れた。
彼女の体が硬直した。目が閉じられ、顔が蒼白になった。
「由美?」
彼女の目が開いた。しかし、それは由美の目ではなかった。瞳が黒く変わっていた。
「ついに二人が揃った」彼女の口から声が出たが、由美の声ではなかった。
「あなたは誰だ?」
「私は案内人」声は答えた。「二人を導くために」
「どこへ?」
「始まりの場所へ。巨石が最初に置かれた場所へ」
「ゴルナヤ・ショリア?」
「いいえ。もっと古い場所。最初の巨石が置かれた場所」
「どこだ?」
「日本にある。富士山の麓に」
驚いた。「日本に巨石があるのか?」
「最初のものがね。他のものより古く、より強力」
「なぜ私たちを選んだ?」
「あなたたちのDNAには特別なコードがある。私たちの子孫のコードが」
「私たちは……」
「そう。あなたたちは私たちの子孫。何千年も前に地球に残された者たちの」
由美の体が震え始めた。
「時間がない」声は言った。「富士山へ行け。そこで真実を知るだろう」
由美の目が閉じられ、彼女は倒れ込んだ。私は彼女を受け止めた。
「由美!」
彼女の目が開いた。今度は彼女自身の目だった。
「何が……起きたの?」
「あなたは……憑依されたようだ」
由美は混乱した様子だった。「何か言ったの?」
「富士山に行けと」私は説明した。「そこに最初の巨石があるらしい」
由美は震えていた。「怖いわ」
「一緒にいるよ」私は彼女の手を握った。「二人なら大丈夫」
その夜、私たちは富士山への旅の準備をした。真理に状況を報告し、彼女も日本に来ることになった。
「これは重大な展開です」電話で彼女は言った。「最初の巨石が日本にあるなんて」
翌朝、私たちは富士山に向かった。車を借り、山麓に向かって走った。
「どこを探せばいいの?」由美が尋ねた。
「分からない」私は正直に答えた。「でも、近づけば何か感じるかもしれない」
富士山の麓に着くと、観光客で賑わっていた。しかし、私たちが探しているのは観光地ではなかった。
車を走らせながら、何か感じるものがないか集中した。
そして、突然、頭の中で声が聞こえた。
「左に曲がれ」
「由美、聞こえた?」
「ええ」彼女は頷いた。「左に行くべきだって」
未舗装の道に入った。森の中を進んでいく。道はどんどん細くなっていった。
やがて、車が通れなくなった。
「ここから歩こう」
車を降り、森の中を歩き始めた。木々が密集し、日光が遮られていた。
「近い」由美が言った。「感じる」
私も感じた。空気中の緊張感。頭の中のかすかな鼓動。
森が開けた場所に出た。そこには小さな神社があった。古びた鳥居と、苔むした石の祠。
「ここだ」
神社に近づいた。祠の中には何もなかった。しかし、その下に何かがあるような気がした。
「地面だ」由美が言った。「下にある」
二人で祠の周りの地面を調べ始めた。落ち葉や土を掻き分けていく。
やがて、石の表面が現れた。土の下に埋もれていた巨石。表面には見覚えのある模様があった。
「これだ」
全体を掘り出すには時間がかかった。しかし、一部が見えただけで十分だった。これがゴルナヤ・ショリアの巨石と同じものだと分かった。
「触れてみよう」
二人で同時に巨石に手を置いた。
瞬間、世界が変わった。
私たちは別の場所にいた。あるいは、別の時間に。
周囲には見たことのない風景が広がっていた。空は紫色で、二つの月が浮かんでいた。
「ここはどこ?」由美が震える声で尋ねた。
「私たちの故郷だ」
振り返ると、一人の存在がいた。人間のようでありながら、どこか違っていた。背が高く、肌は青みがかっていた。目は大きく、黒かった。
「あなたは?」
「私はアルタイル。あなたたちの先祖の一人だ」
「私たちは……」
「そう。あなたたちは私たちの子孫だ。地球に残された者たちの」
「なぜ残されたんですか?」
「実験のためだ」アルタイルは答えた。「私たちは多くの世界に生命の種を蒔いた。地球もその一つ」
「実験?」
「進化の実験だ。どのように知性が発達するか。どのように文明が形成されるか」
「そして巨石は?」
「監視装置であり、通信装置だ。私たちの世界との繋がりを維持するためのもの」
「なぜ私たちを選んだんですか?」
「あなたたちのDNAには特別なコードがある。私たちの遺伝子が強く残っている」
「それで?」
「時が来た」アルタイルは言った。「実験は終わりに近づいている」
「どういう意味ですか?」
「地球の文明は岐路に立っている。自己破壊するか、次の段階に進むか」
「次の段階?」
「宇宙文明としての段階だ」
「私たちに何ができるんですか?」
「あなたたちは橋渡し役だ」アルタイルは説明した。「私たちの知識と地球の人類を繋ぐ存在」
「どうやって?」
「巨石を通じて。私たちの知識を受け取り、人類に伝えるのだ」
「どんな知識ですか?」
「クリーンエネルギー。宇宙旅行。平和的共存の方法」
「なぜ直接伝えないんですか?」
「直接の介入は実験の規則に反する」アルタイルは言った。「私たちは観察者であり、導き手に過ぎない」
「選択肢はありますか?」
「ある」アルタイルは頷いた。「受け入れるか、拒否するか。強制はしない」
由美と顔を見合わせた。彼女の目には恐れと好奇心が混ざっていた。
「時間をください」私は言った。
「もちろん」アルタイルは微笑んだ。「考えるがいい。しかし、長くは待てない。時は迫っている」
世界が再び変わった。私たちは神社に戻っていた。巨石に手を置いたままの状態で。
「あれは……」由美は震えていた。
「現実だったのか、幻覚だったのか」
「どちらでもない」新しい声がした。
振り返ると、真理が立っていた。彼女は私たちを見つけたのだ。
「真理さん」
「セルゲイからの連絡で来ました」彼女は説明した。「あなたたちが見たのは現実でも幻覚でもありません。別の次元との通信です」
「信じられますか?」私は尋ねた。「私たちが宇宙人の子孫だなんて」
「科学的には説明できないことです」真理は言った。「しかし、DNAの研究では、人類のゲノムには説明できない部分があります。『ジャンクDNA』と呼ばれる部分」
「それが彼らの遺伝子?」
「可能性はあります」
「どうすればいいんだろう」由美は混乱した様子だった。
「それはあなたたち次第です」真理は言った。「しかし、もしこれが本当なら、人類の歴史を変える発見かもしれません」
その夜、私たちは近くの旅館に泊まった。三人で状況を話し合った。
「選択肢は二つです」真理は言った。「彼らの申し出を受け入れるか、拒否するか」
「受け入れれば、どうなるんだろう」由美は考え込んでいた。
「彼らの知識を受け取ることになります」真理は説明した。「そして、それを人類に伝える役割を担うことに」
「信じてもらえるだろうか」私は疑問に思った。「宇宙人からのメッセージだなんて言ったら、狂人扱いされるだけだ」
「方法はあります」真理は言った。「科学的な証拠として提示するのです。理論や技術として」
「そんなことができるのか?」
「あなたたちが橋渡し役なら、彼らの知識を理解できるはずです」真理は言った。「そして、それを現代科学の言葉で説明できるはずです」
窓の外を見た。富士山が月明かりに照らされていた。
「由美、どう思う?」
彼女は深く息を吸った。「怖いわ。でも、もし本当に人類を助けることができるなら」
「二人で決めることだ」
由美は私の手を握った。「一緒なら、できるかもしれない」
翌朝、私たちは再び神社に戻った。巨石は昨日と同じ場所にあった。
「準備はいいですか?」真理が尋ねた。
深く息を吸った。「ええ」
由美も頷いた。
二人で巨石に手を置いた。
再び、世界が変わった。アルタイルが待っていた。
「決心がついたようだな」
「はい」私たちは答えた。「受け入れます」
アルタイルは微笑んだ。「良い選択だ」
彼は手を伸ばした。「これから、あなたたちは変わる。より多くを理解できるようになる」
彼の手が私たちの頭に触れた。
光が爆発した。知識の洪水が押し寄せた。
理論、方程式、概念。宇宙の仕組み、エネルギーの本質、生命の起源。
そして、人類の未来の可能性。
どれくらい時間が経ったのか分からない。気がつくと、私たちは神社に戻っていた。
真理が心配そうに見ていた。「大丈夫ですか?」
「ええ」私は答えた。「大丈夫どころか、素晴らしい」
頭の中には新しい知識があふれていた。理解できる。説明できる。
「由美?」
彼女も微笑んでいた。「信じられないわ。こんなにクリアに見えるなんて」
真理は混乱した様子だった。「何が起きたんですか?」
「知識を受け取ったんだ」私は説明した。「彼らの科学、彼らの理解を」
「それを証明できますか?」
私はポケットから紙とペンを取り出した。方程式を書き始めた。エネルギーの新しい理論。現代物理学を超えたもの。
真理は目を見開いた。「これは……」
「クリーンエネルギーの鍵だ」私は説明した。「無限のエネルギーを生み出す方法」
由美も別の紙に書き始めた。彼女は医学の方程式を書いていた。
「これは細胞の再生理論」彼女は説明した。「あらゆる病気を治せる可能性がある」
真理は震えていた。「これが本物なら、人類の歴史を変えます」
「本物だよ」私は確信を持って言った。「そして、これはほんの始まりに過ぎない」
その日から、私たちの人生は変わった。真理の助けを借りて、私たちは研究チームを結成した。巨石から受け取った知識を科学の言葉に翻訳する作業を始めた。
最初は懐疑的な反応が多かった。しかし、理論が実証され、技術が機能し始めると、世界は注目し始めた。
由美と私は再び恋人同士になった。共通の使命、共通の理解が私たちを結びつけた。
時に、夜には巨石の声が聞こえる。アルタイルの声が。
「良くやっている」彼は言う。「続けるのだ」
私たちは続ける。人類の未来のために。そして、私たち自身の未来のために。
巨石の秘密は、私たちの秘密となった。そして、その秘密は世界を変えていく。
終わりは始まりに過ぎない。新しい時代の始まりに。
エピローグ
5年後、東京の高層ビルの最上階。窓からは富士山が見える。
私と由美は並んで立っていた。彼女の指には結婚指輪が光っていた。
「信じられないわね」由美は言った。「こんなに早く変わるなんて」
世界は変わっていた。私たちが巨石から受け取った知識は、科学革命を引き起こしていた。
クリーンエネルギー技術が世界中に広がり、環境問題は解決に向かっていた。医学の進歩は多くの病気を過去のものにしていた。
そして、最初の月面基地が完成し、火星への有人ミッションが計画されていた。
「まだ始まったばかりだよ」私は言った。
真理が部屋に入ってきた。彼女は国際宇宙機関の代表になっていた。
「準備はいいですか?」彼女が尋ねた。「会議が始まります」
頷いた。今日は重要な日だった。世界各国の指導者たちに、次の段階を発表する日。宇宙文明としての人類の次の一歩を。
「準備はできている」
窓の外を見ると、富士山の麓に新しい施設が見えた。巨石研究所。そこでは世界中の科学者たちが巨石の秘密を研究していた。
そして、時々、彼らも声を聞くようになっていた。アルタイルの声を。
人類は一人ではない。宇宙には多くの文明がある。そして私たちはついに、その広大なコミュニティに参加する準備を始めていた。
「行きましょう」由美が言った。
会議室に入ると、世界各国の指導者たちが待っていた。画面越しに参加している者もいた。
私は深く息を吸った。そして、プレゼンテーションを始めた。
「皆さん、今日は人類の歴史において最も重要な発表の一つをさせていただきます」
スクリーンに映像が映し出された。宇宙の映像。そして、私たちが巨石から受け取った星図。
「これは私たちの銀河系の地図です。そして、これらの印がついた星系には知的生命体が存在します」
会場からどよめきが起こった。
「私たちは一人ではありません。そして今、彼らと通信する技術を開発しました」
由美が前に出て、技術的な説明を始めた。巨石の原理を応用した新しい通信技術。光速を超えた通信を可能にする技術。
「最初の通信は既に成功しています」由美は言った。「アルファ・ケンタウリからの応答を受信しました」
会場は静まり返った。
「彼らは私たちを歓迎しています」私は続けた。「そして、銀河共同体への参加を招待しています」
質問が飛び交った。懸念が表明された。しかし、全体的な反応は前向きだった。人類は変わっていた。より開かれた、より統一された種族になっていた。
会議の後、私たちは屋上テラスに出た。東京の夜景が広がっていた。
「うまくいったわね」由美は私の手を握った。
「ええ」私は頷いた。「次の段階に進む準備ができた」
真理が私たちに近づいてきた。「素晴らしいプレゼンテーションでした」
「ありがとう」
「アルタイルから連絡はありましたか?」真理が尋ねた。
「昨夜」私は答えた。「彼も満足しているようだ」
「彼らはいつ地球に来るのでしょうか?」
「まだその時ではない」由美が言った。「私たちがもう少し成長するまで、彼らは距離を置くつもりよ」
「賢明な判断ですね」真理は頷いた。
夜空を見上げた。星々が輝いていた。その中のどこかに、アルタイルの世界があった。そして、他の多くの文明が。
「考えてみれば、不思議な巡り合わせだったね」私は由美に言った。「別れなければ、この道を歩むことはなかった」
由美は微笑んだ。「運命だったのかもしれないわ」
「巨石が私たちを選んだ理由が、今でも完全には理解できない」
「理解する必要はないのかもしれないわ」由美は言った。「大切なのは、私たちが何をするかよ」
頷いた。彼女の言葉は真実だった。過去よりも未来が重要だった。
その夜、私たちは富士山の麓の巨石を訪れた。研究所は閉まっていたが、私たちには特別なアクセス権があった。
巨石の前に立ち、手を置いた。
「ありがとう」私は心の中で言った。
応答があった。言葉ではなく、感情として。温かさ、満足感、期待。
由美も感じたようだった。彼女は微笑んでいた。
「新しい章が始まるわ」彼女は言った。
「そうだね」
私たちは手を繋いだ。未来は明るかった。不確かさはあったが、希望に満ちていた。
人類は星々に向かって歩み始めていた。そして私たちは、その道を照らす松明を持っていた。
巨石の秘密は、もはや秘密ではなかった。それは人類の遺産となった。私たちの過去と未来を繋ぐ橋となった。
夜空を見上げると、星々がこれまで以上に明るく輝いているように見えた。彼らは待っていた。そして今、私たちは応える準備ができていた。
長い旅の終わりであり、新しい旅の始まりだった。
由美が私の手を握った。「家に帰りましょう」
頷いた。家。それはもはや一つの場所ではなかった。それは宇宙全体だった。
そして私たちは、ついにその広大な家族の一員になろうとしていた。
巨石は静かに見守っていた。始まりから終わりまで。そして、新たな始まりへと。