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「旅館アポリア」ふたたび

2019年のあいちトリエンナーレでは、メイン会場となる愛知県美術館のほか、「まちなか会場」として円頓寺商店街や豊田市街などが登場した。特に豊田会場には優れた作品が多く、その中でも白眉だったのが、かつての料理旅館「喜楽亭」を舞台にしたホー・ツーニェン作品《旅館アポリア》。これは自分の感覚だけでなく、絶賛する人を多く見かけたので、間違いないと思う。

《旅館アポリア》は、映像と音響をメインとするインスタレーションで、12分のエピソード7つでひとつの作品を構成する。喜楽亭の各部屋にスクリーンと映像&音響装置をセッティングし、鑑賞者は指定された順番で7つのエピソードを順に見てゆく。トータルで84分。きちんと鑑賞すると約一時間半かかるという、映画1本分の時間を必要とする大きなインスタレーションだ。古い建物で室内は広くないので、一度に入れる人数が限られて待ちの時間も発生する。そのため、気軽に立ち寄ると時間切れを起こすケースは多々あり、自分もその罠にはまった。しかも、あいトリシーズンの終わりがけに行ったものだから、再トライする日にちもとれず、結局7エピソードのうち1エピソードは見ることが叶わなかったのだった。

あれから2年が過ぎ、ホー・ツーニェンの最新作が豊田市美術館にやってきた。先日レポートを書いた《百鬼夜行》である。これに伴い、とよたまちなか芸術祭の特別展示として、《旅館アポリア》が完全再演となったのだ! 再び鑑賞のチャンスが訪れるとは思ってもみなかった。

これは芸術の神様がくれたボーナスに違いない、と思って仕事でお疲れ気味の心をなだめるようにして出かけた。恐らく感染症対策で換気はバッチリだろうから防寒対策は必須だ。

実のところ、2回めの鑑賞だし、エピソードの大半は記憶にあるから衝撃は薄いだろうと思っていたのだが、とんでもなかった。結論から言えば、前回見逃していたエピソードこそが、このインスタレーションの肝となるエピソードで、それが恐ろしいパワーを持っていたのだった。

先ほど書いたように、この《旅館アポリア》は全部で7本のエピソードからなるのだが、中には2本で一つとなるものもあり、全体の構成は次の通り。

一ノ間「波」(12分)
二ノ間「風」(12分✕2)
三ノ間「虚無」(12分✕2)
四ノ間「子どもたち」(12分✕2)

「波」では上映会場である豊田市の喜楽亭の歴史(特に戦中・戦後)やそこを訪れた要人、さらには思想的に戦争に深く関わったという京都学派に縁のある人々が紹介される。「風」ではかつて豊田市内に存在した伊保原飛行場に集められ、そこから特攻隊として飛び立った草薙隊のエピソードや、純国産機の神風号でロンドンまで記録破りの速さで到達した飯沼正明のエピソードなどが映像とプロペラ音などの効果音によって紡ぎ出される。「虚無」においては、京都学派の祖となった西田幾多郎の思想のうち「絶対無」に触れ、虚無の深淵を覗き込むような内容になっている。「子どもたち」ではプロパガンダ要員として東南アジアに派遣された映画監督の小津安二郎と漫画家・横山隆一について扱われており、戦争を扱った彼らの作品も合わせて紹介される。
すべてのエピソードが、ホー・ツーニェンと日本にいる調査担当スタッフとのやり取りとして語られており、映像と音響は語りの内容を具現化する形をとっている。

どのエピソードも少しずつ重なって登場するモチーフがあり、大きな流れを作っているが、その中心というか、やじろべえの支点のような役割を果たしているのが「虚無」であり、これこそが前回見逃した最重要エピソードだった。このエピソードだけは映像がなく、6畳部屋の奥、床の間と思しき場所には仄暗い中に巨大な扇風機が据え置かれている。しかも、扇風機と鑑賞者の間には木製の格子があり、なんというか、まるで座敷牢の中を除くような体裁だ。扇風機の下のわずかな空間に字幕が投影され、「虚無」や「空(くう/そら)」について語られる。基本的に「無」の空間である床の間、床の間が薄暗いのは「無」の居場所だからであり、「無」は直視してはいけないのだと……。
巨大な扇風機は飛行機のプロペラを思わせ、同時に「空」を吹き渡る風を想起させる。語られる文脈に合わせて闇に隠れたり薄明かりの中に姿を現したり、それはまるで深淵からの使者のようでもあった。
日本人のメンタリティの奥底に潜む闇の、さらに向こうに「空」が広がっているとホー氏は考えたのだろうか。

喜楽亭待合スペースより外を望む

シンガポールという、かつて日本の統治下に置かれた東南アジアの国に生きる作家が、一種のタブーである戦時中の日本について、丁寧に調査しその結果をインスタレーション作品として日本で発表する。そこにある精神は批判でも諧謔でもなく、ただただ、あのような戦争に突き進んだ日本人の心性を解明したいという強い好奇心ではないのか、という気がしてならない。実際には作品の情報量が多すぎてうまく消化できないのだが、この作品はできるだけ多くの日本人の目に触れたほうがいいとは思うのだ。

喜楽亭へようこそ


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