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アンディ・ウォーホルに「裏側」はあるのか?
はるばる真冬の京都まで出向いて見てきましたよ、「アンディ・ウォーホル・キョウト」展。
展覧会の会場となったのは、京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」。建物自体が大変美しく、現代アートを展示するのにぴったりな空間だった。
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見事な中庭が見える。
平安神宮前にあるこの美術館を訪れるのは二度目。前回は改装前の2009年だった。当時は名称が「京都市美術館」で、重々しい和洋折衷の外観と美しい石造りの内装に感嘆したことをよく覚えている。その後、リニューアルしたという記事をどこかで読んで、ふーん、そうなんだ、くらいに思っていたところ、今回のウォーホル展で訪れて、すっかり現代的な仕様になっていてびっくりした。改めて調べてみると2018年~2020年にかけての改装工事をしたという記事があり、わかりやすく紹介されている。(【この春、リニューアルオープン! 「京都市京セラ美術館」の“ココがスゴイ”!】)
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とにかくエントランスが中も外もカッコいいので、展覧会会場に入る前からテンション上がりっぱなしで、中に入って展示がショボかったらどうしようかと心配(?)していたが、ちゃんと杞憂に終わった。さすが京都!と言っていいのかどうかわからないが、展示の仕方がとても洗練されていた。
会場内はかなり照明を落としてあり、壁は黒。ふつう美術館の展示室というのは、よく「ホワイトキューブ」と言われるように白い壁に囲まれた部屋なのだが、ここではむしろ「ブラックキューブ」。作品のみにきれいにスポットライトがあたり、暗くても非常に見やすく、映える写真が撮りやすい(展示作品のほとんどが撮影可)。作品解説は無料の音声ガイドをダウンロードでき、解説だけでなく特製BGMも用意されているのが洒落ていた。
そして肝心の作品の印象はどうだっかというと……。
まず過去の話をするが、ウォーホル作品と本格的に出会ったのは、まだ学生だった1989年、愛知県美術館で開催されたアンディ・ウォーホル展だった。この時の印象がそのままずっと自分の中でのウォーホルのイメージとなっている。相当なボリュームの作品が展示されており、あの有名なキャンベルスープのシリーズや俳優シリーズがドーンと展示されていて、作品の質量に圧倒された記憶がある。なにしろ色違いで同じ顔の有名人たちが大量に並んでいるのだ。真面目に見るべきなのか笑っちゃっていいのか判然としないまま、ポップな色合いと微妙な陰影に見入った。一つの写真から型を起こしたとはいえ、配色によって少しずつイメージが変わるので、あたかも一人の人間が持つ多面性を表しているように見えたものだ。一番のお気に入りは《イングリッドバーグマン自身》だ。それは今も変わっていない。
当時「ウォーホル展を見に行きたい」と大学のある先輩に告げたら「ウォーホルはつまんないよ。表面だけで何にもないから」と言われた。それでも気にせず見に行き、しっかり堪能したわけだが、あとで振り返ると、ウォーホル自身が吐いた有名な言葉とリンクしていたのかもしれない。
「もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、 私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、 そこに私はいます。裏側には何もありません。」
そして現在。今回のキョウト展では、最盛期の作品ドーン、ではなく、年代順に各時代の代表作を並べてゆくという、作家本人の人生を意識した丁寧な展示になっていた。展示構成は以下の通り。
イントロダクション
ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ
ウォーホルと日本そして京都
『ポップ・アーティスト』ウォーホルの誕生
儚さと永遠
光と影
ポイントはふたつ。ひとつは、「謎に包まれた」作家の内面にせまること、もうひとつは日本との関わりを紹介すること。前者の試みは最終章の「光と影」に表れている。この章では「死と惨事」シリーズ、絶滅危惧種のシリーズ、最後の大作「最後の晩餐」などが展示されていた(ウォーホルの出自――彼の祖先は移民で、彼自身経験な東方教会の信者だったということには前もって触れてある)。後者に関しては、若き日のウォーホルが日本観光に来て京都を訪れた際のスケッチや資料、また、生け花からインスピレーションを得て制作した作品の展示があった。日本関係の作品や資料はあまり見たことがなかったので興味深かったが、ウォーホルが日本贔屓だったというよりは、当時のアーティストにとって「日本」は押さえておきたいエキゾチックなカルチャーのひとつだったのではないかと思う。
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1950年代、ごく初期の作品。背景は金箔。
手元に置いておきたい可愛さ。
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描かれた花のドローイング(彩色版)
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線が味わい深い。
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ブリロ(洗剤)の箱ですよ
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上下でだいぶ印象が違う。
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ウォーホルには収集癖があって、
レシートからお菓子の包み紙まで大量に保管していたという。
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また、映像資料が多く、彼の制作姿を模したマネキンも置かれ、さまざまな角度からウォーホルという作家を検証しようとしているのがわかる。ただし出展されているのは、いわゆる"Sunny Side"、一般受けする方の作品群で、アングラ系の作品やセクシュアリティに関する作品の展示はさすがになかったので、そこが唯一物足りない点だった。
全体的に良い展示だったと思うが、奇妙なことに会場を出るとなぜか作品の印象が散ってしまった。あたかも出来の良いCMを見ていたかのようだった。皮肉な話だけども、最後まで強く印象に残っていたのが、写真や映像に残っている作家本人の姿だったりする。結局彼は自分で自分をプロデュースし続け、望みどおりセレブの仲間になり、その軌跡が今も残されている数々のアート作品なのではと思うのだ。その姿は、文学の分野で言うなら『グレート・ギャッツビー』を彷彿とさせる。
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ヒマワリの中のウォーホル。
すっかり溶け込んでいるような。
……が、その一方で、もうひとつ印象に残ったものがある。それはドローイング作品で、さらに言うなら作品の中に現れる「線」だ。ウォーホルが描くラインは、なぜかエゴン・シーレの描くラインを思い出させるし、なんというか彼自身が宿っている気がした。これは、有名になりながらも、金やドラッグやセックスに溺れることなく、次々と作品を生み出し続けていた理由とも関係あるのかもしれない。
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