呼ばれた?
最初はお出かけの計画に入っていなかったのに、諸々の事情で気がついたらそこにいた、という経験をした人は少なくないと思う。それをセレンディピティと呼ぶ人もいる。今回は偶然ではあるけれど、出会うべき作家に出会った話。
友人たちとのドライブ、最初は多治見のオシャレなカフェでランチをして、帰りはこれまた面白そうな店でスイーツを食べるつもりだった。ところが目をつけた店はことごとく定休日。どうするよ?と相談した結果、同じ多治見市内にあるセラミックパーク美濃に行ってみようという話になった。そこには現代陶芸美術館が併設されていることも知っていたが、コロナ明けだし、観覧できても常設展ぐらいかなと思っていたので、軽く散歩をするつもりで。
車を降りてエントランスを通りかかったところで心惹かれるデザインのポスターと遭遇した。え?え? 岐阜で北欧作家と遭遇、ですと……?
http://www.cpm-gifu.jp/museum/02.exhibition/02_1.exhibition.html
フィンランドの工芸作家、ルート・ブリュック展。
脳内の鑑賞スイッチがカチリと入る音がしましたとも。
フィンランドの芸術家といえば、シベリウスとトーベ・ヤンソンぐらいしか知らなかったが、どちらも偉大なことは知っている。さらにこんな才能を持った陶芸家(というよりは陶土を素材として利用したアーティスト)がいたとは。自分の不勉強を恥じるばかり。
ブリュックの経歴をごくざっくり紹介すると、1916年、蝶類学者で画家の父のもとに生まれた彼女はまず建築家を志したものの、断念してグラフィックデザインの道に進み、彼女の画風がアラビア製陶所の目に止まってそこの美術部門に入る。アラビア製陶所でブリュックは陶器の技法を学び、自分の作品を陶板で表現することに成功し、ミラノ・トリエンナーレでグランプリ受賞。新しい技法を開発しつつ多数の作品を世に送り出し、最終的には小さなブロックを積み上げたり並べたりした抽象的な作風へと変化してゆく。1999年に生涯を終えるが彼女の作品は今も市庁舎など公共建築の空間を飾っている。
展示はごくオーソドックスに年代順に作品を並べたもので、陶板に絵を描いたものから、食器のデザイン、鋳込み成形の技法を使ったタイル作品、テキスタイル、ブロック型のタイルを並べた抽象度の高い作品、と表現方法が時代とともに変化してゆくのがよくわかる。
また、表現スタイルはある日突然変わるのではなく、変化の兆しを見せながら一つの技法から次の技法へと移ってゆくさまが見て取れる。逆にどんなスタイルであろうと、作品の底に流れる本質的なものは変わらず、すべての作品にノスタルジーや独特の温かみ、配色の面白味があり、大変心惹かれた。とても独創的なのに古い知り合いに再会したかのような懐かしさがある。
ブリュックの作品は、色使いと対象物の絶妙な抽象化が魅力的で、特に記憶の風景を描くときなどは幻想的な風合いの絵になる。有名な画家でテイストが近いのはシャガールだろうか。↓は作家本人がモデルと思われる《母子》
鋳込み成形という技法もブリュックの大きな味方になった。型を使うので同じデザインのタイルを何枚も作成できる。同じ輪郭を持ったタイルに違う釉薬を用い、違う色合いやテクスチャの作品を量産するのも可能だ。そうやって作られた作品で有名なのが《蝶》のシリーズ(↓の写真)。同じ型から生まれた蝶なのに、色付けの具合によって千差万別に見える面白さ。自由な配置もまた良い。
やがて、ブリュックはタイルを立体的に組み上げる方法に傾倒するようになる。例えはアレだが、レゴブロックで街やアート作品を作るような感覚だ。これがまたすごい。《街》は圧巻。↓
その後の作品は抽象度が高くなるものの、色の配置や凸凹の妙が素晴らしく、どれだけ眺めていても見飽きない。禅の世界、石庭を見ているような感覚だ。↓は《色づいた太陽》(部分)
なぜか日本人はフィンランド人と感覚が通じるところがあるようで、ムーミンの人気はもとより、シベリウスの音楽も(クラシックファンの中では)人気が高いのだが、ブリュックの後期作品は、フィンランドの自然を極限まで抽象的に表現したシベリウスの後期交響曲とよく似た匂いを感じる。
大規模なブリュックの個展は今回が初めてだというが、今後日本人にとって馴染み深い作家になってゆくといいし、たぶんそうなるだろうという予感はある。