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アイヌの手仕事と「民藝」(「アイヌの美しき手仕事」展@豊田市民芸館)

先日、友人と豊田市民芸館を訪れた。「アイヌの美しき手仕事」展を見るためだ。ちょうど遅れてやってきた紅葉が見事で、すぐそばを流れる矢作川の眺めとあわせて日本の秋を楽しむには絶好の日和だった。

紅葉と第2民芸館

豊田市民芸館というのは、「民藝」の創始者、柳宗悦が東京に設立した日本民藝館が改築される際、その一部を豊田市の名誉市民である本多静雄氏が譲り受け、豊田市へ寄贈し、それらを豊田市が整備して開館したのが始まりだという。柳宗悦の元館長室も移築されており、自由に観覧できる。

今回の企画展の会場は、第1民芸館と、別棟の第2民芸館で、出展される品は主に日本民藝館と静岡市立芹沢銈介美術館から借用してきたもの。展示物と展示空間の相性は最高。それもそのはず、第1民芸館は、日本民藝館より移築した旧大広間なのだ。1941年に日本民藝館で開催された「アイヌ工藝文化展」の一部再現展示が、まさに当時開催されたのと同じ建物で行われている。

館内で唯一撮影OKだった再現展示コーナー(右半分)
再現展示コーナー(左半分)

どの衣類も一目見ればアイヌのものだとわかる独特の模様が施されている。しかも手作業によって作られているため、同じものは2つとない。そして服の傷み具合からして日常的に着られていたことがわかる。それは他の種類の展示品、たとえばイクスパイと呼ばれる祭祀用の道具、煙草入れ、太刀を下げる帯でも同様だ。どれも見事な模様や装飾がほどこされており、その装飾や文様は使用者にとって大切な意味を持つものであろうことも推測できる。工芸品が実際にどのように使われていたかとか、アイヌの文化に関係することは第2民芸館でパネルによる解説があり、良い配慮だと思った。

これらに価値や美を見出し、収集を始めたのが民藝にかかわる人々だったのは当然のなりゆきかもしれない。

先日、名古屋市美術館で「MINGEI」展を見てきた。そこでは、日本や世界の各地で見出された民藝的な品々が展示されていた。そこでもアイヌの衣装が紹介されていたし、沖縄の生活用品や衣類もフューチャーされていた。それらに共通するのは生活に使う品々を自らの手で作り出すこと。生活必需品が工場で大量生産されるようになる前はどこにもあった暮らし方だ。暮らしの中で生まれた工芸品の良さ、それを愛でる人は多いだろう。

ただし、そこには鑑賞者の価値観というフィルターがかかっているように思う。骨董店やギャラリーなど、もともと使われていた環境から切り離された場所で見るからこそ生まれる「美しいかそうでないか」で測られる価値、というフィルターだ。

「美しきアイヌの手仕事」を見ながら、一宮市三岸節子記念美術館で昨年取材した「アイヌ工芸品展 AINU ART―モレウのうた」を思い出していた。その展示では、古い衣類や道具も展示されていたが、メインは現代で活躍する作家によるアイヌの工芸品だ。アイヌの血を受け継ぎながら生きている作家のひりひりした気迫のようなものを感じた。彼らが創り出す模様には「美しい」を超えて、生きることに密着した何か、生命の根源にかかわる何かがある。

他の地域の工芸品でもおそらく同様のことが言えるだろう。しかし、それらが生活の場を離れ、美術品として見立てられたとき、本来持っていたであろう力が半減してしまうような気がする。いや、実際に美術館の中でガラスケースに収まっている民藝の品々を見ると、いくら丁寧な解説が添えられていてもそう思わざるを得ない。「アイヌの美しき手仕事」は空間と展示品が素晴らしくマッチしていたし、細かい配慮も見て取れ、良い展示だったと思う。いっぽうで「民藝」という見方には一種のリスクがあってしかもそれは避けられないのだろうなと感じた機会でもあった。

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Naomi Iwata (O-bake)
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