過去という程遠くもない過去の記憶#1 五歳頃,k君
僕は,千葉生まれ東京育ち,2024年10月現在,23歳大学院1年生の男である.
音楽(丁度今は寺尾紗恵のしゅー・しゃいんを聞いている)と読書(川端康成の眠れる美女を読み終わったところ)が趣味で,普段は研究ばっかしている.研究は楽しい.
さて,このnoteでは題の通り過去の記憶について書いていく.人間ふとしたタイミングで過去の記憶が蘇ることはよくあるだろう.ただそんな些細な記憶はすぐに忘れてしまう.そういう記憶を都度書き起こし,残しておきたいと,最近なんとなく考えていた.そして,自分がどういう風な経験をし,どういう風に育ち,それが今の自分にどのように影響しているのか客観的に考えてみたくなった.ゆくゆくは僕に子供でできて,これらを語るのもいいだろう.ということで,このnoteは僕(と僕の将来の子供)のためだけのnoteである.noteなんてそんなものかもしれないが.
ちなみに,過去という程遠くもないというのは,僕がまだ23年ぽっちしか生きていないからという単純な理由だ.少し冗長な題であるが,その実なんのひねりもない.そういうような言葉が使いたい年頃なのだ.
おそらく5歳のころ,最も平和なプロレスごっこ
僕は保育園に通っており,当時k君とものすごく仲が良く,毎日一緒に遊んでいた.校庭で走り回ったり,少しませていたので算数や漢字の問題を出し合って遊んだり,休日にも互いの家に行き,僕の妹とも一緒に遊んでいた.そして,僕らがもっぱらはまっていたのは,いわゆるプロレスごっこだ.
打撃は禁止,投げ技と寝技だけの安全なじゃれあいだ.
その日はよく晴れた日で,僕らはいつものように校庭の人工芝生の上でプロレスごっこをしていた.
僕らの力は見事に拮抗していて,押したり投げたりのしかかったり,やってはやり返され,5歳児の無尽蔵と思われた体力は底をつきかけていた.
僕は疲れ果て,柔らかな人工芝生に座り込み,肩を激しく上下させた.
力を振り絞って右腕を前に突き出し,手のひらをk君に向け,息を整えて
「「ちょっと待って」」
と,半ば負けを認めて言ったのであるが,なんとk君も同時に同じ言葉を発したのである.
僕らは爆笑した.この世でこれ以上面白いことなどないというくらいに爆笑した.さっきまでの疲れは吹き飛んで,むしろ息が止まるほどに爆笑した.
プロレスごっことはいえ,僕らは相手に負けを認めさせたかったのだが,この瞬間,お互いに負けを認め,真の敗者も勝者もいなくなったのだ.僕らは自分が負けたわけではないことに安堵し,この平和すぎる結末に安堵し,お互いが真に同じ気持ち同じ状況にあることに感動し,それはもう完全にお互いを分かり合えたと思ったのである.
それから僕らは目が合う度に,「「ちょっと待って」」と声を揃えては爆笑した.
これが今のところ僕が持つ,最も古く,最も幸福な記憶である.
k君とはその後,小学校は別々だったが,毎週の土日遊んでいた.
しかし,中学生になると部活で忙しくなり,それからは年に1回会うか会わないか程になった.
僕は大学生になったが,k君は医学部を目指し浪人していた.3浪の末,国立の医学部に合格した.そして去年高校生ぶりに再会し,お互いの母親を交えて焼肉を食べに行った.
僕らは互いにたどたどしく,大学の話や漫画の話のような表層的な話だけをした.
ただその中で,浪人中何度も電車に飛び込もうかと思っていたと言っていた.
k君は軽く話していた(その話をあまりしたくなかったのかもしれない)が,僕には衝撃的だった.
あのとき最も幸福だったk君は,明確に4を考えていたのだ.
あのとき最も幸福だった僕らには,あのとき以上の幸福が今後訪れるのだろうか.k君にはすでに訪れているのかもしれない.
だめだったらまたプロレスごっこをしよう.