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センス、ボンバイエ

猪木レベルじゃないとファンって言っちゃダメ

世の中の人は、すぐに気軽に”ファン”って言葉を使うから、
そんな簡単に”ファン”って言うべきじゃない…みたいなことを
誰かがどこかで言っていた気がする。
確かに…。

私は猪木を全く知らない、猪木ファンではない。
そのくせ気軽に何かの”ファン”と言ってしまう輩の一人である。

神様ギフト たった一つもらえるならば…

ところで…
神様が「欲しいものを何でも一つくれる」と言ったなら
何が欲しいだろう?
イヤらしい計算高さを発揮して考えた結果
センスじゃないか?と。

才能か?センスか?

欲しいもの…
”才能”とかも考えたわけだが—―—
才能?
どうかな??

才能って”発揮”するんじゃない。
すでに備わっている天賦の才で
天衣無縫なわけだから
努力なくホイホイやれてしまうこと…
自分で”やっている”意識がない。

スイスイ コトが運ぶんだからいいような気もするけど、
それじゃ、やってる本人の”創意工夫”の発揮しどころがないじゃない??
それって楽しいのか?
とフト疑問にも思うわけですね、私なんかは。
才能じゃぁないな、欲しいのは。

センスがあれば…

一方”センス”は、匙かげんだし、
”完成の見極めの美学”って感じがして
個人の”発揮しがい”があるんじゃない?
そこに”個人の試行錯誤の迷い" も "創意工夫の余地"もあるのがイイナ。

最近の我がこと

それで、最近自分で作ったZINE(フリーペーパー)についての話なんだわ。
まんまワタクシ100%責任編集の『津田沼雑貨狂時代』が出来たヨ!

センス崖っぷち

なんだけど…なんだけどね、
見た目のセンス×テキスト(内容)のセンスが相まって、
●これ以上もこれ以下も出来ない=”自分センス”そのもの
でありながら
●センス良くない
と思うんだ。
評価を決めるのは自分じゃなくて他人ヒトって言う話もあるけど。

センスの踏み絵

これをイイネ!するのは、
読み手の”センスの踏み絵”なんじゃないかって気がする。

そう書くとせっかく面白がってくれたアナタ…センスないですよ!
って泥投げつけてるようなのかな~。
ンーーー。でもそう思うんだよな(にべもない)。

または「好き勝手やってるのを受容する」大人度の踏み絵なんだろうか?

ここまで書くと私が欲しいのはセンスだけじゃない…
さらにセンスの大家・権威からのイイネなんじゃ?

しかしそれはセンスがないと叶わない。

しかし”大家認定”はこのセンスのない自分がしているわけだから
それこそ、怪しいもんじゃ??

出ました!二重否定。
反対の反対は賛成?
ノーノーイエス?
三連休中日のサンデーモーニングに何を言っているのか、私?

センスがあればなんでもできる

こういった不測の事態・収拾のつかなさも
”センス”があればなんでもできる気がするんですよ。
もう、このままならなさには、おまじない言葉が必要。
ひらめきました💡

センス、ボンバイエ

ひとまずこれで言いやってしまえる力強さがある。
ただのコトバあそびなのか…更に深めるのは、これからです。

センスのファイター✊🧣

センス、ボンバイエ!センス、ボンバイエ…

それではみなさん、素敵な連休をお過ごしください🌈

※津田沼ZINE:『津田沼雑貨狂時代』とは?
80〜90年代の千葉のまち津田沼を雑貨視点でまとめたガシガシ編集部のZINE(フリーペーパー)のこと。

(はみだし『津田沼雑貨狂時代』#07)


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奥光子∣ガシガシ編集部
表:書いたもので「恥ずかしさの先頭に立つ!」 裏:読んだあとに「なんとはなしにおしゃべりしたりお散歩したくなるような…」そんな”かの地”まで帆走おねがいします。