スピンオフ!江古田観察日(私)Vol.16 「時代はビーガン」に何思う?
ハイッ!江古田観測も16回目。そろそろ江古田を観測するワタクシ自身の観察記録。ということで「江古田観察日(私)」としました。言葉あそびはこのへんでオシマイ。
さて、先日Vol.12で私がどうしても手に入れて読みたかったというのは「RiCE」の「エシカルフード・カタログ」という4月に発売になったばかりの雑誌の春号。うぐぅ~。オシャレなエシカルカタログよ!このPOPな見栄えは武器。
エシカル*とかサステナビリティ*とかビーガン*(ヴィーガン)とか、もうその横文字なんなのよ!な2020年。…その先にあるのはどうも「オリンピック」開催で加速する世の中のムードSDGs*と関係がありそうだ。この高まりを発信する側は(企業も個人も)無視できなくなってきている。そのとき、敷居が低く口当たりの優しい入り口がファッションとフードなのかな?私はどちらも興味がある。さて、記事を書く前に、自分への戒めとしてもこの特集の巻頭・鳥飼茜さんの記事を掲載しておく。宣誓。
何を情報源として考察するのか?
話が横道にそれるが私はニュースを見ない、SNSをやらない。「そういう一派」なことを受け入れる。こう言う(表明する)時、自分がどうふるまっていいのかその態度(堂々と?or控えめに?)が分からないで揺れる…でもそれが私。
その私が世の中の動きやムードをとらえようとしたら「町」と「カルチャー誌」の定点観測だ。
■つまり建築と紙
「建築」を切り口にして町へ出る。建築はファッションと比べてもあきらかに時間のスケールが違う。次のシーズン・トレンドはこれ!ということがない。どっちがいいじゃなくて、それぞれの持ち味だ。そしてそれが住宅でもビルでもそれから先の長い時間のまとまりを指し示している。
また「印刷された文字」の分量が自分に合っている…つまりサイズ感が合っている。それを手に入れるまでが、町歩きだ。どこでどのように手に入れたかまでの体験を「紙」は含んでいる。
「サイズ感」は、体積(量)だけでなく時間の概念も含んでいると思う。時間が半歩後ズレしてて考察が長いものを私は好む。
この町観察(フィールドワーク)で生きているのが私の世の中のとらえ方(体感)であり、自分の能力・体力に合ったサイズ感だ。この江古田観測日誌、そういう「自分にあったサイズ感・尺」で見ないと着ないと暮らさないと気持ち悪いよ!(私は)ってことが言いたいんだ。それが裏テーマだ。
○ファッション+フード=インナービューティー
さて改めて、「ファッション+フード=インナービューティー」
Instagramって「この3つ…以上!」じゃない??
この公式は化粧品会社にも当てはまって、運営するレストランは、見事に植物性メニュー・ビーガン*スタイルだ。
…ということに、この1か月に借りた・読んだものが…何から何までつながっている。それに驚いた(田中圭表紙ジャック以来の驚きだ)。ファッション・化粧品【表層】がエシカル*・サステナビリティ*【思想】を語っている。その両方をつないでいるのが「食」ってわけ!ただ踊らされているだけかもしれないけど、ならば自覚的に踊ってやろうじゃないかと思った(論文ではフリーペーパーからの引用不可と聞いた。信憑性でそういう扱われ方)。
「すごろく」
読んだものを時系列順にならべると…
ふりだし
■花椿 2020年SPRING 「SAVE THE BEAUTY EARTH」(写真右上)
サステナビリティ特集。「RiCE」↓に出てくる資生堂のビーガン*レストラン「FARO」も出てくる。
さいころ目1!わずかに進む
■FRaU SDGs 2020 1月号 「世界を変えるはじめかた。2020」(写真左上)
巻末に出てくるTIPSを調べているうちに「RiCE」↓にいきついた。図書館休業で貸出期間延長にならなければ読み込まなかっただろう。
さいころ目6!大躍進6歩すすむ
■RiCE 2020 SPRING 「エシカルフード・カタログ」(写真左下)
「焼き鳥も高価格帯から立ち飲みまで揃っている。ヴィーガンもハイエンドからカジュアルまで揃って選択肢が増えれば、ジャンルとして確立するんじゃないか」(化粧品「THREE」運営レストランシェフ井口和哉さん)
この言葉のある意味体現が、ドカジュアルなフリペ「東京エキマチ」↓
あがり(ついにここまで)
■東京エキマチ 2020. 4.10 Vol.30「注目!フードダイバーシティ」(写真右下)
半分が菜食特集。「ベジタブル」となっていた表現も途中「美味!ビーガン*ラーメン」となっていて菜食のコラム掲載。カレー以外にも菜食の選択肢があるのが時代の進化。しかも駅チカ配布でサラリーマンが手にしそうなフリペ。
消費じゃなくて消化。転換のキーは「食」
いや驚いた。だから菜食?ビーガン*がなんなのよ!ってことなんだけど、次の言葉はその一部を端的に言い表している。
レストランヴィーガンを提供する意味はどう捉えていますか?
ー僕は「サステナビリティ」だと思っています
(前掲RiCE /資生堂レストラン「FARO」シェフ能田耕太郎さん)
もしもこれがファッション的消費だとしても、これからを示唆するおもしろい視点だと思う。「カルチャーとしてのヴィーガン」(前出:井口さん)がメジャー化してくるのが2020年代なのかも。
私は、これからZINEを作ろうとしている。それがそのまま「ビーガン*」テーマということは無いにしても、やはり食べ方というのは無視できない視座だ。何を食べるか?からどのように食べるか?にいたるまで「文化」そのものだし。
いま「新書」が文化を語る上でムック(雑誌と書籍との中間であるような出版物)の役割を果たしているけれど、それをもう少し適量(手のひら・文量とも)にした編集内容と体裁でZINEを作りたい。やはり私サイズのカルチャーZINEってことだろうか?編集者の菅付雅信さんが前に「カルチャー誌は、進行形の教養を得るためにある」と言っていてすごく納得。
消費経済とか消費社会とか、消費は1980年代を境に元凶みたいな扱いを受けている。それで消化不良をおこしているのが今2020年ならば、もう一回「消化する」視点を食べ物にも暮らしにも取り戻したい。食べきれない量は要らない。
「食」が盛り上がってきたことが「消化する」ステージに入ったという時代のメタファーなのかもしれない。
そのとき大事になってくるのが自分に見合った「サイズ感」だろう。サイズ感は自分の羅針盤だ。
私の好きなZINE「VEZINE」
ここで、これから作るZINEの所信表明をしたい。
上は、料理家yoyoさんが、ベジタリアンになった理由をつづったZINE。奇しくも、これもベジ・菜食を扱っている。2010年発行。10年位前(それ以上前)からそういうムーブメントがyoyoさんの周りのミュージシャンやアーティストを中心にあったことが書いてある。このサイズ感とやっていること(料理)が直結してて気持ちがいい。
あまりに好きすぎて台所に貼っていたので上にセロテープがついている。それくらい大事にしている。どこで入手したかも覚えている。自分サイズでこういうものを作ることに決めた。
今日は、このZINE&「RiCE」にも「ゼロ年代クラシック」として紹介されている「フード・インク」(2008)を借りにいこう。そうか…もう「クラシック」になるのか。自分サイズでこの現象を捉えなおしたい。そこで「消化」したものが次につくるZINEと遠くでつながるのだと思う。
さいごに…植物生まれのプッチンプリン
「RiCE」で紹介されていて気になっていた卵・乳の動物原料を使わない「プッチンプリン」。主原料は豆乳とアーモンドペースト。
昨日、散歩の帰りによった練馬西友で見つけてつい購入した。値段はいつものプッチンプリンと変わらない。「RiCE」では「卵アレルギーの子供向け商品という文脈ではあるが」と紹介されていた。こんなキャッチーかつメジャーな商品が発売される位「メーカーもマーケットとしてとらえている」。
江古田だと「ライフ」にはあったけど「OK」にはなかった。
こういう商品がくまなく…例えばコンビニとかでも当たり前にみるようになるのが2030年なのかな?
yoyoさんの「VEZINE」(2010)ではまだまだ馴染みのなかった「ビーガン*」も2020年の今ではサラリーマンが見るフリペにも登場するようになった。SDGsは2030年を期限として掲げている。そのころ、どんな働き方をしているだろう…。とにかく自分は「書くこと」を主軸にする!よ~ん☆
《私的用語解説》
今回読んだ雑誌・フリペを参考にして…
<エシカル>
倫理的・道徳的。近年、環境や社会へ配慮した活動やモノを形容する際に使われる。
<ビーガン・ヴィーガン>文中「ビーガン」としたが引用は原典通り表記。
乳製品も食べないベジタリアン。ただし菜食を選ぶ理由は考え方は千差万別。定義もさまざま。革製品を身に着けない選択も欧米では多い。
<サステナビリティ>
地球や社会が存続することができるための可能性。このような生活が誰にも求めれる時代。
<SDGs>
えすでぃーじーず。持続可能な開発目標。国連が2015年に地球を保護し、貧困を終わらせ、平和と繁栄を達成するための野心的な計画のひとつとして「誰ひとり取り残さない」という考えに基づき制定。社会、環境、経済などの問題に対する17のゴールと、169の具体目標で構成される。下記のサイトで日本語でも見られる。
私もこれから勉強!こうして書くということは、勉強せざるを得ない。こうして循環して自分と人に還元するのも自分に合っている。
表:書いたもので「恥ずかしさの先頭に立つ!」 裏:読んだあとに「なんとはなしにおしゃべりしたりお散歩したくなるような…」そんな”かの地”まで帆走おねがいします。