『建礼門院という悲劇』
今の世の中を生きていると天皇が殺されたり国母(皇太后)が追放されたりすることは想像できない出来事だ。
アニメ「平家物語」を観てから歴史に興味を持ち、平家物語も読んでみたいと思っている。
それだけアニメ「平家物語」が魅力的だったのだ。
アニメに出てくる人々の中で、平重盛、平徳子の兄妹が魅力的だ。
平清盛の強引さ、冷徹さに対比するように、平家の良心と言える二人だ。
アニメの中では重盛の片目の色が違っていて(最近のマンガによく出てくる「オッドアイ」)、その目は未来が見る事ができる。
そして、同じオッドアイの「びわ」にも平家の行く末と徳子の未来が見えていた。
平徳子は15歳で当時11歳の高倉天皇と結婚(入内)しました。
その6年後に懐妊し、後の安徳天皇を産んでいる。
その後は高倉天皇の崩御、そして、平家の衰退とともに波乱の人生を送り、都を落ち点々と各地を逃げ延び、最後は壇ノ浦で平時子に抱かれ安徳天皇は入水、平徳子も後を追って入水するが、源氏の兵に救われてしまう。
その後、京都に戻され平家の一族は死罪、島流しにされるが建礼門院は罪を問われることなく出家し大原の地で質素な生活をしていた。
この本の主題は、大原御幸(大原に後白河法皇が訪問した)の時に建礼門院が自分の人生を六道になぞらえて語った内容を詳細に分析して行く。
まず「六道」とは
平徳子は人間として生まれ、天国のような暮らしを過ごし、修羅の道を飢えに苦しみ地獄のような後世を生きた、
ここまでは十分に理解できるが、畜生道が理解できない。
天皇の母親、国母である建礼門院が畜生の道に足を踏み入れることなどある訳がないのだが、平家物語では建礼門院の六道語りとして残っている。
義経との仲、宗盛との仲など中傷としか考えられない噂話も散見される。
その中傷の中でも、信憑性を帯びた噂話は、後白河法皇との噂話である。
そもそも「徳子は後白河法皇と重盛の猶子なり入内する」のだ。
高倉天皇の崩御の後、建礼門院の父、平清盛は建礼門院に対して「後白河法皇の後宮に入れ」と持ちかけている。
もちろん建礼門院はこの話を進めるのであれば出家するとして断固拒否した。
平清盛が後白河法皇の後宮にという話を持ちかけてきたのは、平清盛が考えたことだけではないのではないか。
もし、後白河法皇も建礼門院に何らかの感情があったとしたら、大原御幸も納得できるし、親子として畜生道という話も辻褄が合う。
しかし、本人の前でその話をして畜生道に落ちたとするのはあまりに不自然だろう。
この本にはいろいろな面から「畜生道」に関する考察が書かれているがどれが本当だという決定だとはなっていない。
これほど、興味本位で書き立てられる「大原御幸」だが、それ以降の建礼門院に関する記述が途絶えてしまい、正確な没年さえわかっていないようだ。
平家の良心である平重盛と徳子。重盛は早くに没し、徳子は落ちぶれたが美しいまま大原で生涯を終える。
これが一般人の望む建礼門院の姿なのかもしれない。
今回、平家物語に関してネットで検索してみたところ、アニメを絶賛するサイトにたどり着いたので紹介しておく。