一泊二日の島めぐり旅行(2日目・大久野島)
入眠時刻を覚えていないが、SNSを遡れば8時間は寝ていたらしい。眠い目をギュゥ……と薄く開けてスマホをつければ、時刻は7:00ごろ。布団の中でねこのように伸びをして、商店街から聞こえる車やバイクの音、人の声を聞く。朝だから聞こえる商店街の音。
さて、と体を起こして顔を洗い寝所の整理をしていく。そして今日の目標地点の地図を再度確認、忘れ物なしかも確認。
出発前に中庭をぐーっと見渡して、9時には「あなごのねどこ」を後にする。お世話になりました。また来ます。
海辺をぽてぽて歩く。朝の尾道水道は太陽に照らされ、きらきらしていてとてもきれいだ。目の前を「ニューびんご」がスィーッと泳いでゆき、渡船からは通勤の人々が降りては乗っていく。
朝ごはんはリトルマーメイドで。外を眺められる席をちょうどよく確保して、ゆったり過ごす。家から持ち出した本を2章ほど読み終わり、時間がやってきたので店を出る。
さて、今日はどこに行くか。私には近代の広島の歴史を探っていくうえで外せない──それこそはじめに着目した場所があった。
「地図から消された島」。
あっ、と思う人もいるだろうか。そう、かつて毒ガス製造工場が置かれ、現在は「うさぎ島」として観光を担う「大久野島」。私は今日ここに満を持して訪れる。もちろん目的は毒ガス製造の歴史と遺構をめぐることだ。
……ということで、ちょっとずつ書いていこう。
予め断っておきたいのだが、大久野島について参照できる資料が自分の手元にほぼないため、稚拙な表現や感想が出てくると思う。
表現には細心の注意をはらっているけれども、どうかご容赦願いたい。
■忠海港から大久野島へ
今回はオーソドックスに忠海港から大久野島へと向かう。大久野島へ向かうには、三原港から土日祝のみ1日4便運航の「ラビットライン(予約可)」があるのでそちらを利用するのも手だろう。
尾道を発ち、ちょうどよくやってきた三原行き電車へと乗り込む。真っ黄色の、備後方面といえばこれ! という電車だ。彼らもゆくゆくはUraraに変わっていく。私にとっても今年最後の夏休みだが、彼らにとっては最期の夏休みかもしれない。その時間を共に過ごすはかなさを、かつての広島圏内を走っていた旧国鉄車を重ねて想い馳せる。
時間が合えば三原駅から呉線に乗り換えて忠海へ向かうのも良いが、あいにく目的の時間には間に合わないので路線バスを使用することにした。
……すっかり忘れていたが、2日目の旅程はこちら。至ってシンプル。
この2日間で感じたことだが、京都暮らしを経て路線バスへの抵抗感や苦手意識が薄れている自分に気がついた。以前は経路案内で出てきても、なるべくバスは避けていた。よく知らない土地なら尚更だ。それが、ほとんどためらいなく使うようになっていた。人間ずっと成長なんだなぁ……と道のりの遠さをしみじみと感じる。
竹原方面の路線バスに乗り込み、「大久野島入り口」停留所を目指す。この路線がなかなか新鮮というか、海と山のよくばりセットのような路線でものすごく楽しかった。自らが場違いで浮いているような感覚を覚えるほどの生活的路線だ。しかしその“生活”に身を浸すこと自体が私の楽しみであるため、「楽しかった」と形容するほかない。
たどりついた停留所から忠海港はすぐ。途中で呉線が横たわっている。潮はちょうど満潮であおあおと光っていた。
忠海港は大久野島行きの観光用に整備されており、入ってすぐのところでフェリーのチケットを購入。島内のうさぎへのエサもそこで買い求める。ほかにも土産物などがあって案内所はにぎやかだ。
ほんの少しの国内観光客とそこそこの海外客とともに船を待ち、経つ。カーフェリーの着岸するときのダイナミックさは何度見てもどこで見ても大好きだ。それを見て育ってきたからね。
大久野島までは15分。宮島口から宮島までとだいたい同じくらいの時間である。目の前の大きな島は大三島。ここは広島県ではなく愛媛県だ。遠くには多々羅大橋がよく見えた。
■大久野島に到着! いざ散策へ
昨日三原港でたまたま入手した大久野島散策マップによれば、島内はゆっくり歩いても約60分で一周できるんだとか。足なしで散策はつらいかなぁ……と思っていたのだが……じゃあ島一周するしかないじゃん!!!!!
ルンルン意気揚々とコインロッカーに不要な荷物を詰めて、追加の飲み物も買って、いざ一周スタート!
ちなみにフェリー乗り場から大久野島休暇村までは送迎バスが出ているのでそちらの活用も勧めたい。私は歩くが。
まず休暇村まで徒歩15分。徒歩1……5分……。
……………………………。
無理だろ徒歩15分は!!!!!!!!
ちょっと進んでは立ち止まって写真を撮り、また歩いて立ち止まって写真を歩いて写真歩いて写真……写真……。す、進まない。たまにうさぎさんの乱入もあるが、これがデフォルトになるのでもう島の⅓を歩く頃にはうさぎさんの乱入など気にならなくなることを事前に断っておく。
■いざ大久野島毒ガス資料館へ
うさぎ耳集音器を撮影して右奥、ビジターセンターの少し南に彩り豊かなものが見えた。その彩りには見覚えがある。千羽鶴だ。その奥側には、毒ガス障害死没者の慰霊碑がある。
慰霊碑に手を合わせ、千羽鶴の方へ戻りゆくと元気なうさぎたちに出会った。この日はガチのマジでホントに信じらんねえマジヤベエくらい暑く、うさぎたちもほとんどが木陰で休んでいた。
千羽鶴のある場所は山の麓ということもあり、格好の涼スポット。私が餌を持たぬニンゲンであることがわかると、うさぎたちは「なんだー」とでもいうように寝そべりリラックスタイムに入る。
わかると思うんだけど、まだ毒ガス資料館についてない。
けどもう30分経ってる。
暑い。うさぎたちが涼むのも当然なほど気持ちよい海風に吹かれながら、私も腰を下ろす。近くの細い枝に見慣れないトンボが止まっていた。カメラのピントが全然あわないのでシルエットの写真だけ。
後で調べてみると、このトンボはどうやら「ノシメトンボ」というらしい。明るい体の色と翅の先の黒さが特徴的なトンボで、北海道〜九州と広く分布しているらしい。
しばらくぼーっとして、このままだと一向に進まないな……と意を決して立ち上がる。うさぎたちはまた期待をしてこちらに無邪気に駆け寄ってくるが、あっ何も持ってないやつだ! と気づくやいなや涼しい場所へと戻ってゆく。私は日向に戻っていく。暑すぎ。笑うて。
■大久野島毒ガス資料館
ここにたどり着くまでになんだかんだ45分。ようやく「大久野島毒ガス資料館」にたどり着いた。本館の前には「陶磁器製毒ガス製造器具展示場」があり、少し道は戻るが「自動交換機室跡」がある。
資料館前のベンチ下にはうさぎたちが団子のように集まっており、暑さから少しでも逃れようとその腹をコンクリートにつけて浅く息をしている。
平日であることもあるのだと思うが資料館は無人で、ほんのすこし蒸し暑い。事前に聞いていたのは190円だったが、無人の券売機は「大人150円」とあり、それに従い買ったチケットをすぐそこにあるチケット入れ(といっても簡素な箱だ)に落として展示室へと入る。
誰も何も言わないし見てない。だけど、展示を見ている間も後ろから券売機で人がチケットを買う音が響く。彼らもすぐに無人の箱に買ったばかりのチケットを入れることだろう。
人は律儀だ。これから見るものと水平に世界線が違うだけで、人は、律儀だ。
展示室内は撮影禁止だが、多くの資料が並ぶ。私は展示も見ているが人も見ていた。学生の夏休みもあるだろう、若い人も多く、じっくりと展示を見ている。真面目然とした人も、きらびやかな爪を持つ人も、誰しも関係なくこの大久野島で行われた歴史を沈黙して見ている。
それでなくても知らないことは多かったが、とりわけショックが大きかったのはこの大久野島に毒ガス製造工場ができた経緯だった。
当時の忠海町は豊田郡に属しており、郡役所と呼ばれるものもあり政治や港の中心地として栄えていた。それが明治を経て大正を経て行政制度も変わり、郡役所がなくなったことで忠海町はかつての賑わいを失っていく。そこで当時の忠海の人々は「工場の誘致」を求めた。工業で活気づかせ、また賑わいのある忠海を取り戻そうと考えていた。
忠海町の努力が実り、大久野島に陸軍省の工場ができることとなった。人々はもちろん歓迎した。華やかな写真も残っている。
だが、何の工場とは知らなかった。
一部の者以外、それがどんな工場かを知らなかった。
そして昭和4(1929)年、大久野島毒ガス製造工場は完成する。
大久野島も当初は有人島だったそうだ。
それが機密のため大久野島から灯台守以外は追い出され、そのうち灯台守も追い出され、日中戦争に至り日本の毒ガス製造は本格的に始まっていく。
大久野島にうさぎがいるのも奇縁というもので、はじめ動物の被験体のうちひとつとして選ばれていたのがウサギであった。しかしその前に人的被害が起こり、ジュウシマツだったか……。とにかく、鳥籠を吊るすようになったのだそうだ。まるで炭鉱のカナリアのように。
ちなみに、現在この島で繁殖し生息しているウサギはもちろん当時のウサギの生き残りではない。1970年代あたりに、小学生か誰かが離したものが野生化したものである。
■い、いざ島一周……へ……
資料館を出て、さあ毒ガス工場の遺構をみながら島内一周だ! と意気揚々と歩き出しグラウンドやテニスコートの方に出る。
実はここでもう2時間ほど経っていた。
ほんとにこう、何も見ずに島を一周するんなら60分くらいなんだと思う。
無理だろそれは。
なんなら、遺構だけでなくやはり海はきれいだしうさぎさんはかわいいしうさぎさんに見とれていたら遺構が飛び出してくるしで全然先へ進まない。左手に見える立派な竹原火力発電所がずーっと見えている。ずーっと……見えている……。
歩き終えられるかなぁこれ!!
ということで、だいたい島の半分あたりに位置する長浦毒ガス貯蔵庫跡までの写真を並べておく。本当にこの感じで歩くことになるから。覚悟しておいてほしい。
■ふらふら島内一周イベント
そんなこんなで「長浦毒ガス貯蔵庫跡」にたどり着いた。
ここは有名な場所だろうと思う。ここで火炎放射により一部毒ガスの処理が行われ、その痕跡がなまなましく残っている。
崩壊しかかっている、自然に還りつつある遺構が多い中で、ここは不思議とまだまだしっかりと建っているように感じた。
ここから先はひたすら登板である。時間が幸いしてほとんどが木陰だが、ひたすら、坂道を、登って、行く。
その途中に遺構を見つけては撮影してうさぎを見つけては撮影して少し開けたところでは海を撮影して、暑さでへろへろになりながら坂をひたすら登っていく。もう途中から意識が朦朧としていた。海沿いまでは走っていた自転車も、登板になってから誰も来ない。つまり、誰も通らない。通らなかった。
人間よ、ここには涼しくなってから来い。
島北部にある「北部砲台遺址」を超え、へにょんへにょんになりながら途中のうさぎに話しかけながら、半笑いの半泣きで歩いていく。ようやく下り坂が見える頃に看板が見えた。
「フェリー乗り場まであと30分」
たぶんだけど、コヤマもう1時間くらい歩いてると思うの……!!※実際にカメラロールを見返すと長浦から30分くらいの道のりだった。嘘だろう!
ここまでの道のりを考えると、これはもう私はフェリー乗り場に辿り着けないのでは……と思うと気が遠くなるような気がして、もう誰も通らねえし!! と歌を歌いながら進む。人間って暑くても寒くてもおかしくなるんだね。良い子は引き返すことを選んでね!
そんなこんなで鼻歌を歌いながら坂を下っていくと、目の前に海が開けた。山道からフェリー乗り場のある方面の海岸線に戻ってきたのだ……!! 思わず泣きそうになる。いや本当に長かったです。しんどかったです。
思わず、「わあ海だぁ……!」と駆け出す。しかしフェリー乗り場が近くさほど過酷ではないこの道、つまりうさぎさん目当ての観光客が屯しているのである。
コヤマはひどく赤面した。(『走れメロス』)
海岸線に出ると右手側には最後の大きな遺構であり、大久野島に着岸するときにも見える「発電所跡」がある。最後の力を振り絞り、敷地内へと足を踏み入れる。
大きな発電所は大きな影を作り、朽ちた窓や割れたコンクリートの隙間から日が差し込んでいる。さらにその後ろから差し込む光で緑化した目の前の広場には、これもまた光を反射して輝くトンボが飛び交い……なんだか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
トンボも、ウサギも、ここが何であるかなんて関係なく生きている。発電所だった遺構は、それらのいのちに囲まれながら穏やかな余生を過ごしているようにも見えた。最も、落ち着きを感じた場所だった。
■家に帰るまでが旅行です
最後の最後に、風景そのもの、その在り方にジン……とくるものがあり、ことばにうまくできない感情を噛み締めながらフェリー乗り場へと向かう。幸い15時のフェリーで帰れそうだ。私は時計下に温度計があることに気が付き、目を向ける。
今日の最高気温33℃って言ってましたよね!? 竹原市は猛暑日になったことないって!! 言ってましたよね!! ※あくまでも観測所の話なのだ!
そりゃあ意識朦朧とするわ。猛暑日じゃないですか。海風と木陰がなかったら私もウサギもただじゃ済んでないよ。それはそう。
ということで、ヤケになりながらすっかり空っぽになっていた2本のペットボトルをゴミ箱に落として、新しい飲み物をぐいっと飲み干す。
ちなみに自販機があるスポットは休暇村あたりまでなので、飲み物はそこで十分な量を入手して、いくら重くても担いで行け。私からのお願いです。
帰りは行きの逆だ。
私は暑さでくたくたで、とにかく呉線経由で広島に戻る電車があるかを確認する。あった。もうそれでいい。
ものすごい夏休みになった。けれど、前日と違って不思議と脚は痛くなかった。疲れたけれど充実した2日間を過ごせた、と思う。行ってよかった。
これが今年の夏最後のおでかけ。
さて、来年はどこに行こうかしら。といっても、行くならやっぱり9月下旬以降が吉だな……と思い直し、忠海駅から広駅の電車に乗り込み、うとうとしながら広駅で広島方面の電車に乗り換える。
これにて私の2日間の旅はおしまい。
2日目、大久野島をなんだかんだ一周できたのはとても良かった。途中、大雨などで土砂が崩れたりして訪れられない場所もあったがだいたい行けそうなところは行けたと思う。
因島もすごく良かった。今度はもっと違うところにも立ち寄りたい。そして、瀬戸田にも行きたい。
次のこと、先のことをこんなに考えることはこの数年なかったことだから、なんだか嬉しかった。
私が行けたのはほんのわずかだが、もっと楽しいところはたくさんある。だけれど、この旅記を楽しんで読んでいただけたのなら、それ以上に幸いなことはない。
とりとめなく長くなりました。
お読みいただき、ありがとうございました!
1日目の記事はこちら!
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