韋駄天と偉丈夫
蒼い韋駄天、梶谷隆幸は引退会見で、筒香についてコメントした。
このコメントから、彼のプレーのモチベーションのひとつに筒香に対するライバル意識があったことがわかる。
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2017年日本シリーズ第2戦、ヤフオクドーム。
6回表、左打席の梶谷がくるりと回る。打球はライトスタンドに突き刺さった。「俺たちらしくプレーしようじゃないか」と言わんばかりの梶谷らしいホームランの軌道だ。
待ってましたとばかり、宮﨑が追い打ちをかけて逆転に成功する。
シリーズ初出場がほとんどの選手達は石のように固まっていた。3位でこの場にいていいのかと、とまどう選手もいただろう。
そして、世代を超えて、久しぶりに、あるいは初めて、究極のシリーズを応援する僕らも固まっていた。そんなチームやファンにとって、梶谷のホームランは、効果抜群の金の針だった。
日本一には届かなかったが、シリーズはその後、第6戦までもつれこんだ。1点差ゲームは4試合。どちらがチャンピオンになってもおかしくない好ゲームが続いた。CSを戦ったカープやセ・リーグのライバルチームにも顔向けができるシリーズだった。
梶谷の一発がはじまりだった。
遡ること、2012年、DeNAベイスターズのスタートのシーズン。新監督の中畑清は新チームの行く末を俊足巧打の6年目の梶谷隆幸に託して、開幕戦で1番ショートに抜擢した。
そして、もうひとり、監督の秘密兵器は入団3年目の内野手、筒香嘉智だった。イースタンリーグ2年連続ホームラン王は新生ベイスターズにとって、象徴的な存在だ。
筒香と梶谷の三遊間、一世代前の村田と藤田コンビに、優るとも劣らず。
同じ高卒入団の内野手、ドラフト1位で嘱望の後輩を梶谷は強く意識したに違いない。
筒香入団初年度の2010年にはイースタンリーグで、筒香がホームラン王のタイトル、梶谷は盗塁王のタイトルを獲っている。
調子に波ある梶谷を中畑監督は我慢強く使った。ただし、脚に好不調はない。筒香・梶谷の三遊間はコンビとしては結果を出すことはできなかったが、ファンも新生DeNAの船出に希望を持ちこそすれ、失望することはなかった。
2013年は、8月以降に何かにとりつかれたようにホームランを16本も打ちまくり、2014年、外野手にコンバートされた梶谷は、ふたたび盗塁王のタイトルを、今度は一軍で獲得する。しかもコンバートされた初年度とは思えない守備力も覚醒した。中畑清の忍耐と信念を借りて、ついに不動のレギュラーの座を獲得した。
2016年は、ラミレス監督が初めてチームをクライマックスシリーズに導いた。梶谷と筒香の貢献は大きい。筒香はホームラン王のタイトルを獲り、梶谷は指を骨折しながらもファイナルステージで奮闘した。
このころから、梶谷はケガとの戦いも始めていた。
年下ながら一目を置く、同じく外野にコンバートされた筒香の存在感がチームで増せば増すほど、梶谷も休んでなどいられない。チームのためにケガも厭わずプレーを続けることもあっただろう。
日本シリーズに初出場した2017年は、梶谷は20-20を達成する。長打力では筒香にはかなわないが、脚と守備では負けていられない。
その後は、シリーズまで戦った前年の反動もあり、ケガに苦しむ。体全体の回転で打つバッティングフォームはインコースの厳しい球を避ける態勢を取りにくく、死球も少なくない。
肩を手術して、2019年の後半まで調整を余儀なくされた。
この間も偉丈夫な筒香は不動のキャプテンとして、ロペスとともに中心バッターとしてチームに貢献を続けていた。
2020年、コロナの年、筒香はチームを去っていった。
完全復帰を果たした梶谷は再びトップバッターとして、センターのポジションでチームを引っ張り、黙々と観客もまばらなライトスタンドにホームランを打った。
ライバルの筒香がプロ野球選手として次のステージを求めていったのだ。梶谷もFAで次のステージを模索したことは自然な流れだったのかもしれない。
もし、筒香がチームに残っていたら、梶谷の決断も異なる結論となって、7年ぶりの日本シリーズでは、両翼を守っている可能性もある。
それはそれで、エモいのだが、ふたりとも自分の選択に納得しているはずだ。
チームが打てないときでも、梶谷は、空気を読まずに打った。彼はそんなバッターだった。ここぞの場面で、予想の斜め上を行く、トップ画のような守備も、魅せる選手だ。ジャイアンツに移籍してからは、さらにケガも増えて、もう少しプレーを見たかったが、彼らしいプレーができないのであればやむを得ない。
18年間おつかれさま。
ケガも厭わず、DeNAベイスターズの最初の10年を盛り上げてくれた梶谷は、間違いなく僕のヒーローだ。
そして梶谷と筒香のライバル関係はこの先も続く予感がする。
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