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砂田の決断
たぶん...いや、きっと、
本当の理由は、サイドスローではもう投げたくなかったのだ。
ファンが最も知りたいであろう現役引退決断の理由を尋ねられて、砂田毅樹はこう答えた。
「30になったら、新しいことを始めたかった」
「限界までやって引退するよりも次のステージのために余力を残したかった」
インタビュアーは質問を重ねた。
―いつ決断したのですか?
「昨年(2024年)の夏です。最初に報告した井上監督にはめちゃくちゃ怒られました」
ドラフト上位で新人王を獲得した京田陽太とのトレードだ。言葉を選ばずにいえば、ドラゴンズの編成やファンは、砂田のパフォーマンスと決断に落胆もしただろう。
そんな独善的な理由で、と思われても仕方がない。
引退して間もないタイミングのファンミーティング、半ば公の場だ。本音と建前は違う。
プロ野球選手にとって、機会は平等とは限らない。一度、挫折しかけた選手は特に、成長のためのチャレンジにトライして首脳陣の目に留まるように努力を重ねる。
海外のウインターリーグに挑戦したり、ウェイトトレーニングを徹底したり、新しい球種を覚えたり...
ポジション争いに終わりはない。
ドラゴンズに移籍した2023年のオフ、18試合の登板に終わった砂田は、リフォームを決断した。スリークォーターから、サイドスローに。
中日・砂田毅樹”5種類の直球”求め102球熱投 サイドスロー転向で得た新たな感覚「だいぶ自分のものに」:中日スポーツ・東京中日スポーツ
しかし、ベイスターズ時代の生命線からはちょっと違った。
―いちばん印象的な試合は?
「2017年頃のジャイアンツ戦、ピンチの場面で丸選手をインコースの落ちる球で三振に打ち取った試合」
「外角は狙われていたのがわかっていたので、あえてインコースで勝負した」
アマチュア時のドラフトレポートでは、左のスリークォーターからの制球力に評価が高い。プロに入って磨きをかけた空振りを取れる落ちる球でラミレス・ベイスターズのブルペンを支えた。
肘が先に出てくるような投球フォームに、特に左バッターは、カーブやスクリューなどの縦の変化球は感覚よりも球が来ない一方で直球には反応が遅れる。
これが砂田の武器だった。
サイドスローからは、映像を見る限り、リリースポイントが安定せず、コントロールがバラついて左打者のインコースに投げきれない。時にデッドボールを与えて、ストレスになる。
制球に気を取られるせいか、そして、体全体が使えていないせいか、球速も落ちた。
頭の中のイメージと体がうまくマッチしていないようだ。
というか、1年足らずで体得できるリフォームではないだろう。体幹の使い方が違うのだ。プロ野球人生を賭けた決断、早々とスリークォーターへの撤収はプライドが許さない。
サイドスローの砂田は、未完成で砂田ではなかった。そして、2024年の一軍登板はゼロに終わった。
2015年6月
育成から支配下登録となって1軍に上がった砂田は挨拶で中畑監督に聞かれた。
「どこで投げたいんだ?」
「札幌ドームで投げたいです」
おそらく、中畑は先発かリリーフかを尋ねたのではないか。たまたま、札幌ドームでの試合が1週間後に控えていた。砂田の頭はその試合のことでいっぱいだったに違いない。そして予定していた三嶋の先発が流れて、地元での初登板初先発の機会が巡ってきた。
そのあと、3勝を挙げた砂田は翌年の正月、札幌での成人式にドヤ顔で参列したらしい。
それから10年。
―これからは?
少年たちに野球をコーチしながら、好きなコーヒーやワインを求めて世界を旅したい。
まだ29歳、陽焼けした顔で眼を輝かせて、夢を語る青年が羨ましかった。
野球に誠実かつ貪欲に取り組んだ砂田毅樹、ユニの襟元の誓いに偽りはなく、だからこそ不惑を10年後に控えた三十にして、ユニフォームを脱ぐ決断に至った。
DeNA初のCS進出と日本シリーズ進出は砂田の活躍がなければ難しかった。彼の旅の途中、OB戦などの機会にはドヤ顔で参加する砂田を見たい。
(内容は僕の想像が8割です。一ファンとして惜別の思いで書いています。機会があれば、改めてインタビューできれば。)