『ふたりの距離』 2024年8月27日

先程彼女と久々に電話をした。
声だけ聴くとかなり憔悴しきった様子の彼女は、この間仕事に行けない日があったらしい。
何が原因か、色々聞こうにも明確な答えは返ってこない。仕事柄、僕が想像し得る以上のストレスを日々感じているのだろう。
彼女の話す数少ない言葉から、今の彼女の気持ち、状況を想像し、少しでも彼女が楽になれる方法はないだろうかと考える。
これまで何度も電話越しにしてきた事だ。

彼女が辛い思いをしている時。
距離が離れている中で僕は彼女を抱きしめてやることも出来なければ、美味しいご飯を作ってやることも出来ない。だったら彼女が彼女自身で自分の気分をどうやって作っていけるかを考えなくてはいけない。そのきっかけくらいは僕でも与えられるはずだ。数分間、彼女の現状を確認したり、しょうもないことを言って無理に笑わせたりする。

離れている中でよく驚くのは、たった数日〜数週間で、人はこんなにも色々な思いを感じ、背負い、そして生きているのだということ。
そんな彼女の話を聞きながら、僕はふと閃く。「あ、なつが長野に越して来るのはどう?」
現在、僕らが会うのはひと月に1、2回。
僕が戸隠から3時間以上のドライブを経て山梨へ会いに行く。
僕自身、自分でした提案に結構驚かされる。
というのも、まだ何ひとつ決まっていないその「可能性」を想像しただけで、僕の日常はパァーッと明るくなってしまったからだ。
毎日会える距離に彼女がいるのだとしたら…
僕は今の、この距離感に慣れてしまっていると思っていたけれど、考えてみれば月に1、2回会うその日を僕自身どれ程楽しみにしていたことか。耐え難い孤独の中でその楽しみがどれ程自分を救ってくれていたか。
僕が仕事をやってこれているのも、結局は彼女の為。彼女と暮らす将来の全体像の為。毎月会うのは、僕らの意思の確認作業だったりする。
そんなことが最早日常になっていた。
けれども、彼女が近くにいる生活(少なくともそれは3.4年後のことだと決めていたから)を想像したその時の心の軽さったら!

気づいたら僕は彼女の気持ちなんてそっちのけ、彼女に一人暮らしをめちゃくちゃ薦めていた笑「うん、とにかく実家は出たほうがいいよ」「自立ってどういうことかわかると思う」
「皆んな疲れて帰ってきてちゃんとご飯作ってるんだよ」
無茶苦茶適当に煽りながら可笑しくて自分でも笑ってしまう。彼女もそれに気付いたのか、少しずつ笑い声が聞こえて来る。
その時ふと、あー誰かの気持ちに寄り添うとかまじでどーでもいいなーと気付いてしまった。
10代の頃かな、コーチングとかやっていたから傾聴とか、受容とかそう言ったものを意識しながら会話をすることは今でもある。
ただそれは相手を気持ち良くさせるのが「目的」になってしまうことも多々あるし、自分を殺して相手の話を聞くということに違和感を覚えることが何度かあった。

そして今、大事なのは「ワクワク」だなと気付く。自分の性質的にネガティブな思考回路が発達してしまっているところはある。
だからこそ、時々馬鹿みたいにこれでもかと「ユーモア」を持って誰かに語りかけたい。
「人生ってむっちゃ面白くない?」って。

とりあえず彼女には湯船に浸かってきてと伝える。鏡を見て、自分の表情をよく確認して。やるべきことがわからないのは当然さ。とりあえずさっぱりして、自分の表情を確認したら色々分かることがあると思うよ。
そう伝えて電話を終える。
大丈夫。元気出して。気づいたらまた明日はやって来る。仕事なんていつだって辞めていい。そんなことよりもっと大切なことは幾らでもある。

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