『日記は屁みたいなもの』2024年8月26日
今日も一日現場仕事。週末が明けて久々の仕事だったのもあって身体がいつもより重かった。少し腰の痛みも感じたな。
今日は殆ど茅の整理や掃除の作業だった。
明日の動きを予想しながら、養生の仕方など無駄の無いように動けたのは良かった。
仕事が終わり夕食を食べ風呂に入る。
さて日記を書こうと思い、ふと、日記を書くモチベーションの低さに気付く。
数分思考を巡らせ何となく分かったのは、そろそろ「テーマ」を持ってその制約の中で言葉を遊ばせてみたいという気持ちが出てきたからかもしれない。
日記を特定の「誰か」に読ませるのは難しい。自分だってよっぽど興味のある人のものでさえ、2024年◯月◯日 というタイトルで出されてたら毎日読むか疑問に思う。誰かに読んでもらう為には、わかりやすい「テーマ」が必要なのかもしれないね。
まあもっとも、日記を不特定多数に向けて書いているつもりはないけれど。
「あなた」に向けて書く文章と「ちょっとあの辺り」へ書く文章は全然違う。
おっとここまできて、どうやら僕は「あなた」への文章にしか、自分が書く意味を見出せないことに気付いてしまった。
うーん、なるほど、恐らく僕は「あなた」へ僕の具体的な思考を共有したくなったのかもしれない。あまりにも抽象的で、自分ですらままならないこの脳内を、自意識を。
約ひと月、20歳の頃振りに日記を書いてみたけれど、毎日約1000文字書いても自分のことをどれだけ書けたかわからない。ほんの少し普段の自分の気分について書いただけで、自分の中の20%くらいをようやっと言葉に出来たくらい。それも何の脈絡も無くダラシなく。
だから少しだけ、ある程度自意識と向き合いながら文章を書いてみる時間を作ってみようと思う。いや別に文章で無くったっていいや。詩でも音楽でも、何だっていい。
深沢七郎風に言うと、何だか毎日書くものが自分の屁みたいなものにしか感じられなくてね。
『生まれることは屁と同じ』そう思ったら、屁を屁で無くすにはどうしたらいいだろうかと考えたくなった。まあつまり、もっと愉快な風に言葉を使ってみたくなったのだ。
というか日記にも、今日という「制約」がちゃんとあった事に今更気付く。
という事で今日もお疲れ様でした。おやすみなさいませ〜
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