「加地等といつかの僕」 2024年9月17日
数日日記を書かなかった筈が、もう気づいたら9月も半ばを過ぎていた。
中江くんはあれから毎日日記を書いている。いつの間にか、君の日記を読むのが僕の日課になっていた。いつもありがとう。そろそろ会いたいね
3日前から加地等の「君の笑顔は素敵さ」を弾いたりしている。ハーモニカも真似なんかして練習したりする。
今日 ひとり夕食を食べながらふと、彼のうたをちゃんと伝えなくてはいけないと思った。(誰に、かはわからないよ)
きっと僕もこの数日間で気分が随分と落ち込んできていたのだろう。数年間必要としていなかった彼の気持ちと向き合う。歌詞をよく読んでいると新しい発見がある。
厭世的でありながらとことん露悪的。孤独を懐かしがっては過去の女性を忘れることができない。僕が過去に加地等から受けていた印象だ。織田作之助が好きだった彼は、恐らく「夫婦善哉」に描かれるような男女の在り方を何処かで求めていたのだろう。僕も16歳の頃、夫婦善哉を読んでそんな夫婦の在り方を羨望したものだ。これこそが正しい男女の在り方だ!と。( まあ気分を悪くする前に是非読んでみてくれたまえ)
改めて「君の笑顔は素敵さ」を読む。(加地さんの数ある唄の中で、僕はこの唄が1番好きなんだ)
加地さんは自分が報われないと分かっていながら、時々誰かを憐れに思う気持ちを歌詞にしていた。話し相手は、貴方で良かったのだよ。加地さんは優しすぎた。そうして去っていった女性のことをいつまでも考える。自分の事のように捉える。唄にする事でいつまでも離さない。きっと僕も、それに近いことをしたいのかもしれないね。ギターを少しだけれど弾くようになって良かった。僕も「誰か」へのイメージを早く音楽にしたいものだ。
「大事なくだらないおしゃべりをする」
ずっと、僕にとって忘れられない大切な言葉だ。
もう僕は加地等を必要としない。数年前、何となくそう思ったことがあった。自分にとって大切な人が出来、その人との将来を考えられるようになったからだ。自らを孤独へ追いやったり卑しめたりする必要がなくなったからだ。
しかし現在、また彼の唄が僕の心へ確かに響くのはどうしてだろう。加地さんの音楽を聴いていると、過去の自分と対話しているようでならない。
そうか。恐らく僕はまだ過去の記憶(それは追憶のようなもの「大切な、大切な記憶」)からそう抜け出せていないのかもしれないな。
いや、それでも良いのかもしれない。今は自分の感覚に正直に、悲しんだり、懐かしんだりして自分の中に生まれてくる感情を大事にしたい。
そうすることで、何かひとつ掴めるものがあるのかもしれない。
加地さんの音楽は、これからもきっと、何かにつけ聴いたりするのだろう。
その度に彼が過ごした40年を想像したい。
彼が亡くなった2011年に想いを馳せる。
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