魔法のことば「今日はいい日」と梅雨どきの晴れ : 柔ちゃん物語
梅雨どきの気まぐれな晴れの日は、淡く柔らかで生暖かい。霞んだ青い空に和紙をちりばめたような雲が遠く夕陽に透かされ漂っている。和紙の雲はじっくり時間をかけて黄金から紺へと染まり、短い夜の始まりを告げる。
用事先でちょっとしたトラブルがあって、アクセルを踏み込む足がいつになく乱暴に上下していた。感情がたかぶるとどうしても運転が荒くなってしまう。優しい光に温まるボンネットを眺めながら、もやもやした心をなんとか鎮めようと、私は空に助けを求めてみた。
すると不思議なことに、肌で振動を感じるほどだった感情の波に静かけさが広がっていくのがわかった。
平穏そのものだった。
ぬるい風に香る梅雨の匂い。木々のそよぐ音がどこからともなく聴こえてくる。
車に流れるラジオは仕事帰りのサラリーマンを労い、最新ヒットの洋楽が過去を一気に吹き飛ばす。
「あぁ、今日はいい日だ」
ふと、口をついて出た言葉に、さっきまでのもやもやは完全に成仏した。成仏というと、妙な心地がするけれど、実際、嫌なことは忘れようとすると、未練がましく心に残り続けて、何度だって現れてくる。上手に忘れられる時はいいけれど、そうもいかないほど感情が動いている時は、宥めるか、何かで発散するかして、対処しなくちゃならない。
そんな折に、このことばが魔法の力を発揮した。
怒りや不安、悲しみや無力感…そんな行き場のない気持ちを受け入れ、その気持ちも全部ひっくるめて、「今日はいい日」に昇華させてしまった。
捉え方次第ともいえるけど、この言葉の効用はかなりすごい。
生きてたら、どんなに心穏やかな人だって憤慨したくなるときもあるだろう。相手を許し、受け入れるところから、安らぎは生まれる、というのを聞いたことがあるけど、そんなん言ってられるか!ってときだってある。
けれど、どんなに相手が許せなくても、同じ時間を過ごすなら、少しでもいい気分でいたいのがほんとのところで、それを叶えてくれる力をこの言葉は持っていた。
「今日はいい日」が醸し出す穏やかな余韻に浸って落ち着きを取り戻すころ、起こること全ては自分にとって必要だから起こっているのであって、感情的に処理してしまっては、物事の本質は見えてこないのだろう、ということを思っていた。
この時間は、空が、与えてくれたのかもしれない。
御礼に今年の夏は花火をあげに行こうかな。
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