お皿にありがとう【ほっこり暮らし人のメモ帳 001】
こんばんは。
今日は本当にお皿洗いが辛くなったときに、舞い降りてきた、お皿洗いが尊くて、有り難くなったお話。
私、つい先日まで、あるところで修行生活をしていたんです、職人見習い的な。そこでは生活も全て修行なわけで。
なにか、自然とやんなきゃいけない雰囲気ってあるじゃないですか、下のものは。
特に新人さんは。
やらなくていいよ、とか言われると、逆にあ、自分やります!って、(その実、こうやって徳を重ねて(徳かどうかも怪しいけど)いけば、評価上がるかもしれないって心があったのかもしれないけど)なんでも、やらせてもらいます精神でやってたんですよ、家事全般、掃除、洗濯、炊事などなど。
でも、ある時、自分で選んでやっているにも関わらず、やらされているように思えてきて、辛くなりました。全てが。
やらないことも、正直食わせてもらってる身で申し訳ないし、やることも自分に無理を言ってやってるし。
何が何だかわからなくなったときにしてた洗い物。
最悪でした。なんで、自分がみんなの分も洗うんだ?私も疲れた、やすみたい!洗い物はみんなが使ったんだから、みんな自分のものは自分で洗うのがいいじゃないか!あーいやだなぁ…。
って考えてた日の夜は本当にしんどくて泣いてました。
けど、ある時、ふつんと。
もうそんなふうに考えるの、やめよう。自分が幸せにならないって思いました。
どうやったら、楽しくなる?少しでも幸せだと思うか?
そうだ、お皿にまず、ありがとうと言おう。
みんなの代わりに今日活躍してくれたお皿たちにありがとうと伝えよう。
そう思って洗おうと決めました。
その日は超大量の洗い物、お皿が次から次にやってきます。
けれど、その日はありがとうをお皿に伝える日だったので、くる皿くる皿にお礼を言いました。
わさびのっけててくれてありがとう、辛子のせてたの、辛かった?
お醤油しょっぱかったでしょ、あなたのおかげでみんな美味しくご飯が食べれたよ!ありがとう!
(もはや何食べたかわかりますね笑)
本当に心の中でそうやって話しかけてみたんです。一枚、一枚の活躍を激励して、感謝して。
そしたらあら不思議。
なんだか、嬉しくなってくるんです。
しかも、なんとも言えない高揚感、優越感さえも感じました。
あぁ、私はみんなに代わって感謝を伝えられた。
いつもはあまりめもくれてもらえないお皿たちだけど、今日は一枚一枚心を込めてありがとうと言うことができた。
するとね、はっと気づくと、乾燥機にビシーと綺麗にお皿たちが並んでいるんですよ。いつものごちゃごちゃした、ふかれまちのお皿の山ではないんです。
美しく並んでいて、自分でもびっくりするくらい。あぁ、しっかり心を込めて洗ってあげることができた。
そう思った瞬間に、もう私は洗い物が辛いと感じる必要はないのだと思いました。
感謝を伝える時間なのだと。
これはお片づけ全般に言えることだと思います。
何かものを使ったのなら、そのものにありがとう、と話しかけてみる。そうやってそのもののおうち(かたし場所)に戻してあげる。
ゴミが落ちていたら、こんなところで遊んでいて、って話しかけてみる。
なんだか、少しほっこりしません?
私はそうやって生きるのが好きです。
いつも心を込めて生きたい。
それが私の小さく楽しく暮らしてみるための一歩、毎日学びと実践です。
(けど…洗い物がしんどすぎる時は休むことだって、大切。だって、あーつらいなー、いやだなーって思われながら洗われるお皿たち、可哀想ですから。そんな時はゆっくり休んで、しっかりありがとうと言いながら洗えるときに洗ってあげたいものです)
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