自分を見失いそうになったら… : 柔ちゃん物語
どんなに迷っても挫けそうになっても、自分の信じてること(大切にしていること)が、自分を支え、自分という人を創っていく、ということを信じてみて!
これから何かをしようというのなら、特に‼︎
恥ずかしがりませんよ、こんなこと言ってても(汗)
だって、ほんとに大切なことだから。
ところで、あなたは毎日どんなことを大切にして過ごしてる、もしくは過ごしたいですか?
これまた急に、だけど。
ふとね、物事を選んだり、行動を起こしたり、考えたりしてるときの、根底にあるものはなんだろうって思って、ちょっと考えてて。
つまり、何か自分がするときの源になってるものってなんだろうってね。
普段無意識でやってることだろうけど、これからもなんやかや生きてくわけだから、今一度そこのところ振り返ろうと思って。。
たぶん、そこのところが、自分がこれからを生きてくのに、結構大切な予感がするのよ。
ってことで。
信じる、っていうと、どうもピンとこないと思うけど、
例えば、高校3年生まで私は
精力善用 自他共栄
って言葉を信じてた笑
というか、何をするにしてもその考えが自分の行動の元だったって、後できづいたんだけどね。
なんで信じてたか、とか、意味とかは後々。
部活動とか習い事とか好きなことに没頭してたときは特に、何か信じてるもの(崇拝的な強さで、とも言えるかな)があって、そのために動き続けてた気がする。
当時は自分が感化されたものが、自分にとっての日々頑張るモチベーションだったな。
アニメの主人公の生き様だったり、教えてくれた先生だったり
これだ!
私もそうなりたい、やりたい!
みたいに思ったことから、自分なりのルールを考えたり、誰にも触れることのできない自分だけの秘密の約束をつくったり
そうやって、それがあることで自分が前に進める何か、があったと思う。
それが以前の私の場合、「精力善用自他共栄 」だったわけ、10歳くらいでそんなよ、どうしてそうなったんだか笑
まぁ、、それはさておき
私の信じたこの言葉は、柔道を習いはじめたときに、道場の先生に教わった
柔道創始者の嘉納治五郎先生が大切にしていた言葉なんだけどね。
「精力善用」
自分の持ってる力を最大限に生かして、社会でも善いことに使おう
「自他共栄」
自分だけでなく、みんなと一緒に栄えよう
って意味。ざっくりだけど。
今それなりの知識がついて、この言葉みると、いろいろ思うところあるけど、子供の頃の私は意味の背景どうこうぬきにして
これが、柔道人として大切なことなんだ!
これを私の目標にする!
って超真面目に考えてた笑
一歩外れると完全に危ないやつだけど、この思い込みの強さが、痛いときも、苦しいときも原動力となって、支えてくれていた。
(そういうことを悪用する時代もあったけど、今はそういう話はおいといて)
柔道をやってて、人としても心を強く持ててたって思えたのは、そんな原動力があったから。
ある意味、信仰に近いのかな。
宗教とかじゃなく、自分が大切に信じててこういう人になりたいって想いのたけというか。
誰にも支配されることのない自分だけの信仰、とも言えるのかな。
それって誰しもがそれぞれ心に持ってるんじゃないかな(私はそう考えてる)
でもね、実のところ、“信仰”だからって、私はそれを信じて行い続けてきたかっていうと、違った。
かつてじゃありえない話だったけど。
だって、初めの頃は、自分が信じてるものが全てだ!それ以外は受け入れない!て感じだったものね
それが、畳から離れて、大学に行ったり、セミナーに行ったり、海外に行ったり、いろんな人に会って
決定的だったのが、ある人に、そういう考えによって柔道は利用されたことがある、君はその言葉に囚われてる、的なニュアンスを言われて。
ガーーーーン
よ
それで何度も改宗、改宗して、回り回って、みんなのいいところ頂こう!みたいになって。
子どもの頃、あれだけ信じてたことを捨てたのよね。
そうやって生きてくうちに、知識や考えはさまざまに得ていった。
そのときどきでそれらはどれも真実のようだったな。
けど、それは誰かにとっては正しくて、誰かにとっては間違ってて。
この世界には本当にいろんな考えを持った、たくさんの人が生きてるのよね。
でも、私っていう人は、1人だけで。
それは間違いなく自分なわけだから、自分の中の何かを信じて、それをもとに動いていかないと露頭に迷う。
それで、私は案の定、迷った笑
結局のところ、自分が一番大切にしたいのは何なんだってなってね。
そこで思い出したのが、一度捨てた「精力善用 自他共栄」だった(みんなは子供のとき、どんなこと信じてたのかな、今でもやっぱり、それを生かしてるのかしら…ちょっと気になる笑)
それがやっぱり根底には浮かぶ
けど、それは私の言葉じゃない
でも、そこで気がついたのよね
たしかに、その言葉は誰かのものだけど、その言葉を信じて、動いてきた自分の行動、考え、繋がり、学び…
それらを重ね続けることで、自分なりの「精力善用 自他共栄」を創っているのではないか?
つまり「精力善用 自他共栄 理玖版」
もはや、言葉に囚われる必要もないんだけど
自分の中で大切にしてきたことは、忘れたり、消したり、見失ったりしても、自分の中で静かに育ってるものなんだ
なんか苦しかったり、しんどい日が続くのは、一生懸命、芽を出そうとしてる自分の大切なことにコンクリートで蓋してるからなのかもしれない。
そういうことを思ったんだ。
だから、私にとっての源は、その大切に思っていることを育て続けることなんだろうなって
今はそう考えている。
私はそう考えることで今のところ生きてるけど、他の人はどうなんだろう…。
きっと星ほどのいろんな考えでみんな日々過ごしてるんだろうなぁ…。
ぽつ、ぽつ、つつつつ。屋根を弾く音がしてきた。梅雨だものね。
夜の雨は溢れた星たちだったりしてね。
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