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事務所設立17年が経ちました&50歳になりました。

2007年3月1日に設立した弊所は、おかげさまで17年を経過し、18年目を迎えました。

※以下、事務所設立10周年を迎えました。と被る部分はコピペをベースに加筆したものになります。

私は弁護士登録と同時にいきなり独立したわけではなく、独立前は2005年10月に弁護士登録をし、都内事務所で勤務弁護士をしていました。

その事務所は、平日は朝9時~夜10時くらいで時々終電。土日のどちらかは起案等で完全につぶれる感じで、結構忙しい事務所でしたが、大きな不満もありませんでした。

とはいえ、個人受任も多くなるにつれ、土日両方仕事でつぶれるのが常態化し、当時赤ちゃんだった長男がいるのに全く休みがとれなくなりそうな感じになってきてしまいました。

また、個人受任が相当増えて、これだけで事務所年俸の倍くらい売上げがありそうでしたし、事務所事件の進捗が遅れて迷惑かけるのもどうかという、うれしい悩み(?)も出てきていました。

そこで、当時の弁護士業界からすれば相当早いタイミングでしたが、弁護士登録から1年5か月で独立することにしました。

コネなし、顧問先なし、事務員もおらず、印刷は事務所向かいの印刷屋を使い、名刺を渡すと携帯電話番号しか記載がなくて怪しまれたりしたスタート期のドタバタ・・、また、勢いで独立しちゃったけれど、やっていけるのだろうかと心配になってきて、夜中に何度も目を覚ましたりしました。

あの頃の状況を考えると、今の、弁護士48名、事務所は新宿・池袋・立川・横浜・名古屋・福岡に進出・・そして、今年は大阪にも事務所設立予定、という現状は、十分及第点だと思っています。

少し写真と一緒に振り返ってみようと思います。

① 2007年。事務所独立した年の写真。私は33才。このころはトイレ台所エレベーターホールを含めて16坪でとても狭いテナントでした。ノートPCで仕事していました。

② 2009年、狭くなったので55坪の事務所に移転しました。下の写真は、移転して2年くらいしたときのものです。このころが一番忙しくて大変でした。妻子がいるのに事務所近所にワンルームマンションを借りて平日は寝泊まりしていました。平日別居というか、週末婚でした。妻はワンオペで育児をしており、大変だったと思います。

③ 忙しくて事務所に泊まる日々が続き、家になかなか帰れないのと、2011年3月11日の東日本大震災を経験して海辺で津波が届くかもしれず、自宅からも遠い虎ノ門より、海から離れた徒歩圏に事務所があるべきだと思い、事務所を虎ノ門から新宿に移転しました。広さは倉庫を入れると100坪くらいあります。ちなみにこのときに法人化しました。借りる際、家賃の連帯保証人をつけろと言われたのですが、年1000万以上の家賃債務を連帯保証してくれる人がいませんでした(当たり前ですが。)。「そんな連帯保証人を付けるのは無理だ」と言ったところ、「借主が個人というのが問題なのかもしれない。事務所を法人化したうえで代表者の大西さんが連帯保証人になればよいのでは?」ということになりました。でも、それって結局は私の責任になるわけだから、やっぱり私個人が借主の場合と同じじゃないか・・(笑)。まあ、審査が通るならいいかということで法人成りしました。

下の写真は内装工事前のテナントに家族で遊びに来たときのものです。当時小1の長男が、足を骨折していたので車いすに乗っています(どのくらいの高さから飛び降りても大丈夫かを試したら大丈夫じゃなくて骨折という話ですが、長男の話は本筋からそれるので割愛・笑)。それを妹が押しています。奥の窓際にいるのは次男です。当時はヨチヨチ歩きでしたが、今はもう中1で、マッチョ目指して自宅で筋トレをしている生意気小僧です。テナントの内装や敷金などでなんだかんだで2000万くらいかかりましたが、何とか無借金で移転できました(今も無借金経営です)。

デスクが入ったあとはこんな感じです。↓上の写真と似たような位置から撮っています。

④ 2015年、立川と横浜に支店事務所を作りました。弁護士法人になれば支店を作れるじゃん、ということに気が付き、いきなり遠方に作るよりは、荻窪在住の私が双方行きやすい東京都内(弁護士会を変えなくてよいので東京都内)に支店第1号を作ろうと思い、まず立川に作りました。横浜は私の出身地で知り合いも仕事も多く、新宿から横浜地裁や横須賀支部に行くのが大変だったので現地にも進出しちゃえということで作りました。需要とかもあんまり考えておらず、若さってすごいというか、ただの勢いですね(笑)。

↓立川事務所(内装工事中の写真ですが・・)

↓横浜事務所

⑤ 2016年、名古屋に支店事務所を作りました。初めての遠方の支店です。遠方に作る気もなかったのですが、顧問先の部長より、名古屋に大西総合の支店事務所を作って、関東と同じノリで仕事テキパキやってほしい、というオファーがあったので、需要が見込めるなら作るかということで作りました。

↓名古屋事務所の玄関

⑥ 2018年5月 福岡に支店事務所を作りました。名古屋が上手く行きすぎたので調子に乗って作りました。ここは立地がすごいです。天神駅の大丸デパートの隣のオフィス棟です。地域の感覚が全くなかったので、とりあえず福岡でいいビルはどこなんだろうかというざっくりした探し方をして、たまたまエルガーラの最上階が空いていたので、思い切って借りちゃいました。ここはすごいビルです。家賃ヤバい。ちなみに、事務所作って2年間は赤字でした。2年で1800万赤字だったので、もうこの先2年赤字だったら撤退するよと福岡事務所の所長に話した覚えがあります。

⑦ 2018年6月 池袋に支店事務所を作りました。新宿が手狭になったのですが、引っ越すとお金がかかるので、それなら、法人だから埼玉方面のアクセスな池袋に作っちゃえということで池袋進出です。いいビルがなかなか出てこなくてビル探しに苦労しました。

⑧ 2024年大阪に支店事務所開設を予定しています・・・。今、いい場所を探しています。駅前の便利なところがいいなと思っています。


ここまでの間にはいろいろなことがありました。

仕事断ったり、無茶を言いすぎる依頼者を辞任したりしないでいたら、無茶苦茶忙しくなってしまい、弁護士17人くらいだったとき、1年で5人の弁護士がやめてしまったこともありました。

コロナで依頼が減って大赤字になって困ったこともありました。月3000万くらいの赤字が3ヶ月続いていましたが、そういう側面を一切出さずに営業活動してなんとか赤字は3ヶ月で食い止めました。

コロナのときはキツかったですね。ダイエットしていたわけでもないのに体重も減りました(笑)。あのときは歴史を参考にしようと思ってパンデミックの歴史を調べたんです。天然痘、ペスト、スペイン風邪等のパンデミックでは、医学的な解決が全然見られなくても、世間は3年経てば元通りの生活に戻っているとわかりました。そっか、3年持てばいいんだな、と開き直って、ゴルフを始めました。正確にはその2年前に始めていますが、顧問先のお付き合いで年に1度ラウンド行くだけを2年やってただけなので、実質的にはコロナのときがゴルフ元年です。

ゴルフをちゃんとやりだした結果、何もしてないのに顧問先も増えました。友達も増えました。どんなことであれ、楽しそうに何かをするだけで勝手に人って集まってくるもんですね(笑)。
元々運動好きだったので、今はすっかりハマっています。ゴルフやる人、誘って下さい。

事務所内の人事としては、勤務弁護士第1号の村上さんが今は共同代表となっています。コロナを乗りきり終わった頃だったかな。年齢も私と2才しか違わないし、事務所がここまでになったのは彼の功績も大きかったので共同代表でいいじゃんと思い、そうオファーしました。彼は相変わらず鬼速のレスポンスのよさでバリバリ仕事してます。

まあ、17年続けていると、ほんと、色々ありましたね。

とにかく、潰れずここまで来れたのは、私の無鉄砲な行動力や謎の勢いもありましたが、それ以上に、家族、事務所のみんな、依頼者、顧問先に支えられたからだと思っています。

本当にありがとうございます。


私も、先週50歳になりまして、まあ、何というか、鏡を見ても我ながら老けたと思うわけです。40のときはオッサンだなと思いましたが、今は老人とまでは行かないけど、どう見ても若者ではないよなという感じです。そんな状況ですが、もう一度初心に返って、デビューしたてだった頃のギラギラ感を忘れずに頑張ろうと改めて思いました。

あと、ジュリナビの事務所ランキングで、年末か正月頃、弁護士人数が全国30位とされていましたが、気がつくとそんな規模になっていてビックリしました。私は拡大志向ではなかったのですけれど、仕事が多いから勤務弁護士に来てもらって、勤務弁護士も、今も残っている人も辞めた人も色々いるわけですが、辞める人の方が少ないので気がついたら人が増えていました。

今までは、うちの事務所は私の強い個性が出ている事務所だったと思います。
しかし、社長依存度が高い会社は社長に何かあるとあっさり潰れたり業績がガタ落ちになったりするからよくないという話を聞いたので改善しようと思いました。私は極力新規相談を受けるのをやめて共同代表の村上さんや事務所の所長弁護士達に事案を任せるようにしました。その結果、最近は私が出て行かなくても全然仕事が回るようになってきました。つまり、事務所の経営がますます安定したというか安泰になったというわけです。

本来の私は出しゃばりな性格なので、大西がいなくても事務所が回るというこの状況はちょっと寂しいと感じることもありますが、まあ、これでいいのだと思うようにしています。
事務所の永続性可能性は、これから事務所に入ろうか考えている人にとっては無視できない要素ですし、顧客にとっても同様でしょう。
成長のためには私は経営のウエイトを増やすべき局面に来ているのだろうなと思っております。とはいえ、初心も忘れず、今まで以上に頑張りたいと思います。

つらつら書きましたが、引き続き、よろしくお願い致します。

応援してくれる方、いいね押してくれるとうれしいです。

(おわり)


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