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【のほほんオーストラリア滞在日誌】ブリスベン釣り特訓の巻①

オーストラリアに来てみたのはいいけれど・・・

 日本社会に生きているのが億劫になって、オーストラリアワーホリに来た日本人たちの一人だと思い込んでいたわけだけど、どうやら生きること自体にそれほど積極的になれないことが分かってきた。
 もうオーストラリアに来て、五ヶ月になる。

 最初はケアンズでだらだらして、気が向いたら仕事を探そうかな?って感じだったのだけど、パンツの中に手を突っ込みながらでも仕事を見つけられるだろうと思っていた自分は大甘だった。そんな感じでまあ、だらだら生きていけたらという甘ったれた自覚とオーストラリアでのワーホリ生活の現実(大した現実でもないんだけど・・・)との間に折り合いをつけて、自分なりの流儀で生きていこうと思っているのだけど、夏目漱石の草枕の冒頭がよく思い出させられる心境にもなってきた。

『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』
だってさ。良いこと言うよね。
自分の中でどんな詩が生まれてんのか、画ができてんのか知らんし、表現する場みたいなのができないと、まず、そもそものところで頭の中便秘になるよね。そもそも表現の世界で生きていけたとしても、現実がだるいことは何も変わりがないから、解決もしていないわけで。
オーストラリアは日本よりも賃金も高いし、治安も悪くないし、人も親切だしで、住みやすさという点では日本よりも上だなと、俺はそう思うのだけど、根本的な問題は実際のところ何も解決していない。
 生きるのが面倒臭いのだ。

じゃあ、もう将来どうするとか、このメンタルの落ち込みみたいなものとか俺の狂気の中に眠る猛獣をどう扱うかとか、理屈で考えても解決しようのない複雑なプロブレムを解決することをいっそのこと放棄して、オーストラリアで遊んでやろうと思うに至ったわけです。

じゃあ、釣りするしかねえよなぁ・・・?

 東京湾でも釣りできるじゃないか。君はそう言うかも知れない。
 確かに日本の魚は美味しい。日本列島は四つの海流がぶつかる、世界的な漁場でもあるし、東京湾のアジだって黄金アジと呼ばれて、ちゃんとブランド価値もある。食ってみると、時に産業的放屁としか思えない匂いを漂わせる黒ずんだヘドロのような東京湾を泳いでいた魚とは思えない食味だ。クソみたいに煩雑とした首都高を走らせれば、黄金アジだって岸からでも釣れないこともない。
 釣りはできる。スーパーでは買えないような美味い魚も食える。
 でも純粋に釣りを楽しめるかどうかというと、そういうことではないのだ。
 考えてみて欲しい。関東首都圏の土日祝日を。あの地獄のような横並びのゴールデンウィークを。釣り座なんて確保できようもない。釣り座を確保できたところで、隣のファミリー連れの釣り糸がこちらのと絡まって、解くのに時間がかかる。憂鬱に黒ずんだ東京湾の前で。平日に行ったところで、リタイア世代の面倒臭そうな辛気臭いおっさんたちがずらっと並んで、陰気に竿先を睨みながらタバコをふかしてる。毎日でも釣りに通える、おっさんたちは毎日釣りに通えるからノウハウが分かっているのかも知れないけれど、あんなに人が釣り座に殺到したら、魚だってバカじゃない。自分たちが釣られかねないことを学習する。学習しているのだと思う。釣れたとしても、イワシか東京湾奥のケミカル臭を漂わせたボラだとかクロダイ。良型の黄金アジなんて、そう簡単には釣れやしない。小魚が釣れたら御の字ってところだ。大抵は憂鬱に似たグジュグジュとした海藻を釣り上げるだけだ。

 この前なんて、隣で釣りをしていたファミリーが子アジ釣って、子供がアジダンスたるものを踊っていたのだけど、釣竿を落として、お母さんが悲鳴をあげてた。ハゼ釣りに行った時は子供が根掛かりしちゃっただけで、お父さん、河口の向こう岸でドチャクソ怒ってて、密漁を家業にしているヤクザなのかと思った。
まあ要するに、釣りが楽しくないってことだ。

 その点、オーストラリアは違う。都市からほんのちょっと離れると、カンガルーやらワラビーはそこら中で見かけるし、野生の王国すぎて、虫もたくさんいる。蟻さえ人を平気で毒針で刺してきて、蜂に刺されるくらい痛い。毒蜘蛛もいれば、毒蛇もいる。ワニだって海のビーチに出没する。サメの事故件数は世界有数だし、この前だってイルカを追いかけて泳いでた女の子がサメに喰われて死んでしまった。まずこんなのは日本では考えられない。まるで夢の残骸だ。

飛び出して来ないでね…


 それならば、当然海の中は・・・?
もう巨大魚だらけのはずである。
そうに違いない。
 というか、そうであって然るべきである。そうでなきゃ、詐欺だ。

うんちっち釣りスキル(レベル1)

 んで、俺の釣り歴を言えば、まあお察しである。俺も小さい頃は東京は晴海の海釣り公園でよく釣り針を地球に引っ掛けて、たいそうな釣りをしていたものだ。俺の父親も釣具屋では少し意気込んでそれなりのスペックのタックルを揃えていたものだったが、いざ仕掛けを投げてみても、十センチにも満たないハゼと地球を引っ掛けるだけで、結局のところ呆れ返って、いつしかやめてしまった。
 東京湾での釣りを風光明媚なものだと思うなら、あなたはきっと変態に違いない。東京は人を諦めさせる。毒魚の群れ。暴力的な夢から目覚めた後の果てしない空漠だ。

 それで俺もまたファミリーフィッシングから足を洗い、中学生になり高校生になり大学生になった。そして社会人になり、私はついに神経を病み、こうして中途半端な風来坊になってしまった。精神を病んだ頃にありがちな記憶の遡行によって、空虚な記憶の中から空虚な東京湾の記憶が蘇ってきた。  
 臭くとも、魚が釣れなくとも楽しかった、純なあの頃・・・・・・。カタクチイワシでも大量に釣れると、億万長者にでもなったかのような気分だった・・・・・・。
 憂鬱から脱却を図るべく俺はAmazonでリール、釣竿合わせても八千円にも満たないタックルを揃えて、首都高の毛細血管のような分岐を間違い続けるペーパードライバーっぷりを発揮しながら、横浜の海釣り公園で釣り糸を垂らしながら何かがやってくるのを待った。とにかく年齢上は大人にはなったのだから、何か別の感慨がやってくるに違いない。釣り糸に何かかかりさえすれば・・・・・・。

 結論から言えば、何も釣れなかった。釣り糸の結び方を遠い昔に忘れてしまっていたので、魚がかかった途端、糸が引きちぎれてしまったのだ。それもこれも遠い昔の出来事。嗚呼。

大きい魚釣れてくれ・・・

 まあとにかくこれ以上、海は汚しちゃいけない。海を守れということで、釣り糸の結び方を復習し、東京湾でもちっちゃなアジだとか鯖を持って帰るくらいのことはできるようになった。


 楽しいわけじゃない。それに釣れたとしても、たかだか小さな鯖だ。いくらなんでもファミリーフィッシングから脱却することもなく、小鯖が釣れて、感動するなんてことがあり得るだろうか?そういうことでもないのだ。もちろん、そうだ。

 ここで話を大きく戻すけれど、俺は今オーストラリアに来ていて、生きることにうんざりしている。どうせオーストラリアに来ているのならば、巨大魚を狙ってみるべきなのではないか?東京湾奥のファミリーフィッシングから脱却し、今こそ私自身の手で何かしらを掴み取ってみるべきなのではないか?オーストラリアで仕事をしていてもなお、日本人コミュニティのような煩わしい関わり合いに、うんざりしきってしまったのならば。

ここはゴールドコースト。大物が釣れないわけがない!


 とりあえず俺は日本から持ってきた振り出し式の投げ竿と、そこそこ大型の魚をかけても対応できるリールと釣り糸で、スーパーで買ったエビをくっつけて海にぶん投げてみることにした。オーストラリア式のワイルドな釣りだ。日本のようなややこしい凝った釣りではないということ、そのことが大雑把な仕掛けでも巨大魚は食ってくることの証明に他ならない。


 私は待った。

ブリスベンはショーンクリフ


 私は待った。

海は広いな…

 私は待った。

ここならのびのび釣りできるが…
……

 
ちーーん。


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