ニュージーランドの同性婚の歴史についてヘレン・クラークを知らねばならない
前回はニュージーランドの同性婚が認められるまでは長く辛い歴史があるということをかいた。
ウィリアムソン議員のインタビュー記事があり、この中で2つの重要なポイントが言及されている。
まず、ゲイは犯罪だったことがある、ということ。
次に土日は一切の店舗が閉店させられていた、ということだ。
ニュージーランドでは同性愛、特にゲイがどのように扱われていたのかは以下に記載がある。
ニュージーランド人がキリスト教を基盤にものを考えていたのかがよくわかる。このような状況が長きに渡っていたので、同性婚などというのはとても考えられない世代が2000年代初期にも多数いたということだろう。
その後法改正によっていわゆる「キリスト教において良いと認められない関係」が違法でなくなったことで同性婚を認めるかという議論が始まったということでもある。
ウィリアムソンのスピーチについては以下に和訳が掲載されている。
和訳の中でもウォール議員に言及がなく少々気に入らないが参考になると思う。
彼らが同性婚を認める道筋を立てた立役者に2005年のニュージーランド首相であるヘレン・クラークという人がいる。私は彼女がこの件においてはもっと注目されなくてはならないと考えている。
変な話だが彼女がいなければウィリアムソンがいくら頑張ろうがウォールが議案提出しようが「何いってんだお前ら?」としか思われず黙殺されていた可能性すらあるくらいの立役者だ。
ヘレン・クラークは第37代ニュージーランド首相だ。ジャシンダ・アーダーンがやたらに注目されたためにあまり目立っていないかもしれないがニュージーランドでは女性首相は度々誕生している。ジャシンダ・アーダーンは3人目だ。
彼女はマウント・アルバートという地区の議員でもありこの地区は2017年からジャシンダ・アーダーンが引き継いでいる。しくじったな。
ヘレン・クラークは首相を3期努めていることからも人気があったのかもしれない。2期目の終わりに退陣が待望されたジャシンダ・アーダーンとはやはり異なる。
話を戻すと彼女は実はゲイ・パレードにも参加していたことがある(ナショナルは参加しないことを表明していた)。
ニュージーランドではゲイ・パレードはヒーロー・パレードと言われており、歴史は1972年まで遡ることができるが、当時はかなりの迫害も受けた可能性があることは書いておくが調べない。
前回の記事でも書いたが、シビル・ユニオンというものが出来上がってニュージーランドでは同性の間で事実婚が認められ、これは法的には結婚と同等の扱いがされた。これが2005年くらいでヘレン・クラークの第二期の終わりか第三期のはじめくらいのことだ。
当時の記事があるので紹介する。
このタイトルは若干釣り気味ではあるが、ヘレン・クラークは以下のように言っている。
シビル・ユニオンの目的がここにある、結婚という制度自体は異性愛者のものではあるが、だからといって異性愛者以外のカップルが法的な不利益を被るべきでない、と。
そしてこの記事全体を見れば、当時のニュージーランド社会での反発も大きかったことが伺える。
ここで特筆すべきは彼女のバランス感覚であり、社会に突破口を開く上手さであり、社会の反発をはねのけた豪胆さだ。ジャシンダ・アーダーンよりも100倍は称賛されるべきだ。もしもジャシンダ・アーダーンがヘレン・クラークのような剛のものだったらこのブログは誕生していなかっただろう。
彼女は「結婚は異性愛者のものであるから一切手を付けない、結婚制度は変わらない、だけどそうでないカップルが受けている法的な不利益を是正したい」という話をしており、これは1990年代の差別を禁止する法改正がなければ話は成立しないし、1970年代からゲイ・パレードをやってきた人々の勇気によって認知が向上したから国民も「不利益を被った人々がこんなにいたのか」と認識できたからこそできた話かもしれない。
つまりニュージーランドの同性婚において0を1にしたのはヘレン・クラークなのだ、ということを認識しなくてはならないということだ。
日本でウィリアムソンの動画を盛んに紹介するならば、ヘレン・クラークにも注目すべきと考えたのでこの記事を調べて書くことにしたが、こんなことは本来記事を書いている本業が調べてやるべきだ、私のような呪いの塊のような人間が書くべきではない。
日本であまりに雑にウィリアムソンを紹介するため、二回に渡ってニュージーランドの良いことを書かねばならない屈辱を受けたので、ぜひとも岸田首相には早急に考えを改めていただきたい。
そういうわけでニュージーランドに来ることはおすすめしない。
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