ニュージーランドの年収は高いが貧困問題が深刻な理由が彼にはわからないかもしれない

とある記事があったので読んでみたところ、そこかしこでニュージーランドに言及していた。どうやら、ニュージーランドの年収が高いこととジェンダーギャップがかなり解消されていることを紐づけているような話に見えた。正直よく読んでいないのでおそらく正しく理解していないだろう。

とこの手の記事に対する私の反応は「じゃぁなんでニュージーランドの生活には多くの人々にとって経済的余裕がないのか?」だ。

年収さえ上がれば生活に余裕ができるのかというと実は全くそんなことはなく、当然その国の物価などの生活費とのバランスで考えなくてはならない。

年間200万円が必要な国で年間300万円稼ぐことと、年間10万ドルが必要な国で年間10万ドル稼ぐのとではわけが違う。前者は100万円余り、後者は全部なくなる。その国の経済がインフレなのかデフレなのか、スタグフレーションなのかも考えなくてはならない。

単に給料の額面だけでニュージーランドを見れば、日本のそれよりもかなり多いことは否定しないが、生活ははっきり言うと日本と大差ない。むしろ夫婦共働きでやっと生活できるくらいにしか稼げない家庭が多い分ニュージーランドのほうが生活は難しいといったほうがいいだろう。

次に、労働のスタイルについても考えなくてはならない。

ニュージーランドでは日本に比べると、時給で働く人々、すなわちパートタイマーの比率も高い。彼らの時給は最低時給が$20超に設定されているため、見た目は非常に高いが、この高い時給はいくつかの問題を孕んでいる。

時給$16で週に40時間働けば、$640が手に入る。ニュージーランドではとてもではないが生活できる金額ではないが、ここで仮に時給$20に法改正によってせざるを得なくなれば、雇用主は、彼らのシフトを減らさざるを得ない。仮に週30時間に減らされてしまえば、毎週手に入る金は$600だ。そして、時給が上がることによって自動的に原価も上がるため物価も上がる。給料も減って物価も上がるダブルパンチを食らうことになる。

これがニュージーランドの貧困層を直撃している問題でもある。

次に平均年収の話だ。

ジニ係数という数字がある。

この数字は、「収入のばらつき具合」を指標化したもので、数字が大きいほどにもらっている人ともらっていない人の差がひろがる。そしてニュージーランドのジニ係数は日本のそれよりも大きい。つまり、もらえている人ともらえていない人の差が日本よりも激しいということだ。

ばらつきの大きさを見て見ぬふりして平均や中央値を見ることには意味を感じない。なぜなら、平均年収が500万円だが、多くの人の年収は250万円だ、一部の人が何億円も手に入れていて、そのおかげで平均年収が500万円、というような実態の場合、その平均年収は何を表すのか。

平均値と中央値、データの分散、そして人々の生活実態を見もしないでやれ平均年収が低いの時給が高いのといってみたところで何の意味もなさないと私は考えるので、ニュージーランドではもらう給料の数字が大きいんですよ!といわれても「ふーん、で?」としか思えない。

ニュージーランドでの大きな問題に子供の貧困、生理の貧困がある。要は貧困問題だ。最近ではホームレスも増えている。子供が貧困問題の被害にあうということは当然その家庭も貧困だ。だが政府はなぜか全体的な貧困問題に本格的に対応するようには見えない。

表向きは対応している。対応策は簡単で最低賃金を上げる、ということだ。

最低賃金を上げて貧困問題を解決する、というならば、その上がった最低賃金がそのまま余裕として家庭にインプットされねばならないのだから、同時に物価を上げる、雇用時間を減らす、というのを禁止するなどセットでやらねばならないが、そんな事すればビジネスが崩壊していくのでどうしようもないということかもしれないので、ならば最低時給も自然に起こる経済動向に従わせたほうがいいのではないだろうかと思わなくもないが、なぜか最低時給は上がり続ける。

インフレが起きてくれないと困る理由が政府にあるのだろう。例えば今回のコロナで作り出した6兆円相当の国債だ。インフレしてくれないと価値が減らないのは少し経済をかじればわかるだろうし、仮にデフレになってしまったら最悪だ。何が何でもインフレをキープしなくてはならない。

日本はおっさん社会なる社会のせいで生産性が低く、人々は低賃金にあえいでいるし、ジェンダーギャップもなかなか解消されない、というようなことを言っているのだが、ここについてもよくわからない。

ニュージーランドでなんでジェンダーギャップがここまで解消されているのか、というのは、悪く言えば統制国家だからだ。国がジェンダーギャップの解消に向かうというなら人々も言うことを聞くし、そもそもマルチカルチャであるがゆえに価値観の多様性に順応する素地も高い。

私は普段はどこまでも批判だけしたいレイバーをはじめとした左翼政権が誕生し、既存の価値観に戦いを挑むことをするからだし多くの国民がそれをよしとしている。これは産業革命当時のイギリスでのブラック労働に嫌気がさした人々がニュージーランドにこぞって来た、ということと無関係ではないかもしれない。

また、子どもたちの間でもダイバーシティ教育が進んでいるからでもあるし、政権交代があっても、これまでやってきたことの延長で政府が活動する、つまり、前の政権がやったことの否定がそもそもないからだ。6歳のころからセクシャルマイノリティの授業も受けるようだ。

国家の過去から未来への道筋があるとしたら、レイバー政権の時は左にカーブしていき、ナショナル政権の時は右にカーブしていく。大きくカーブしすぎる前に国民が政権交代を促す、というスタイルをとっているが、政権は絶対にバックしたりしない、ということでもある。とにかく軌道修正しながら前に進み続ける。

私がニュージーランドを憎んでいるような感想を持っている人が結構いるようだが、私は憎んでいない。私が嫌いなのは今のレイバー政権だ。この曲がり方が余りにも大きすぎて国内に大変なひずみを生んでいるし、その結果移民がひどい目にあっているからだ。曲がりすぎてさすがに後退し始めているのではないかとすら思い始めているからだ。

あの記事内で紹介された同性婚をめぐる政治家の演説についても、あの時点で事実婚もシビルユニオンも確かすでに出来上がっており、残された結婚制度も画一的なルールのもとにしてしまおうということでやっていたに過ぎない。

日本では一足飛びに同性婚に行こうとしているようだが、ニュージーランドでは、同性でも結婚と同等の扱いになるシビルユニオンという制度を設けたり、事実婚も結婚と同等とみなすように、夫婦関係の在り方を柔軟にしていった、というステップが存在している。あの動画を紹介する人々はなぜこのステップに言及しないのかが不思議で仕方がない。

要は、結婚制度なんて言うのをどこまでも空虚な張りぼてに仕上げ切って、もうこだわるポイントなどなくなったうえでの同性婚を認める、という流れでもある。なぜならニュージーランドにおける結婚制度が最も面倒くさい制度だからだ。同等に扱われるものがあるならみなそっちを選ぶ。

ニュージーランドはジェンダー問題に前向きだが、当然抵抗する人も多い。男尊女卑な思想を持った人も相当にいる。だが、そんな人々をしてもジェンダーギャップで世界的に相当高い位置をキープしているのは、急に変えたりしないからだ。

移民が絡むことについてはびっくりするくらいに急に変えるが。

日本人はニュージーランドを参考にしたいのであれば、もっといろいろな起きている出来事の経緯も併せて学ぶことをお勧めする。いかにこの国が時間をかけて着々と文化を破壊し続けているかがわかることだろう。

そういうわけでニュージーランドに来ることはお勧めしない。



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