三笠の山のサテライト通信
2024年になった。
元旦にNHKでお遍路特集のような番組をやっていた。何番目かのお寺で「こちらは夜のお参りも人気です」という紹介。夜、登った月が山にかかる感じが素晴らしいそうな。弘法大師もこの風景を見ていたのかなと思って、さらに思い出すのは「三笠の山にいでし月かも」、阿倍仲麻呂。以前にも少し書いているけど。
NZに住んでいる当時、自分も少し似たことを考えたことがある(自分の場合は、ちゃんと故郷に帰れたけど)。ちょうど、その時は何十年に一度のなんとかスーパームーン(最近は〇〇ムーンが多すぎて分からないし、ありがたみが無くなった)。結構世界的にフィーバーだったと記憶している。なにせNZでも騒いでたくらいだから。
因みにその時の月の写真はこちら。見え方違うのかな?
(撮影記録を見ると2011年11月10日だった)
月を仰ぎ見ながら、まず思ったのは、北半球と南半球とで、月の見え方って違うんだろうなー。でも、あまりにも途方もない距離だし、そうなると(惑星的、宇宙的規模だと)上下左右の概念てどうなるんだろう?と。
次に思ったのが、日本と9000km離れているけど今、この瞬間、同じ月を仰ぎ見ながら、同じ月に感じ入っている人が必ずいるんだよなと。それって、月をハブにして思いを共有できているんじゃない?何なら通信していると行ってもいいんじゃないか、それって衛星通信の一種じゃないか、なんて考えていた。
話戻って、阿倍仲麻呂。唐(中国)の地で、月を見上げて故郷に思いを馳せる。たぶん、その時見事な月だったのだろう。そんな見事な月の時期ならば、きっと故郷でも同じ時刻、同じ月を見て阿倍仲麻呂を思っていた人は確実にいるだろう。すると、唐の時代に既に衛星通信が開通してたんだ、なんていう妄想から始まった2024年元旦だった。
ご存知ない方は阿倍仲麻呂の歌や時代背景、ぜひ掘り下げてみてください。私の好きな歌の一つ。歌そのものはこちら。
天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも
過去ブログはこちら。
弘法大師、空海についてはポッドキャスト、コテンラジオの「最澄と空海」回が非常に面白いのでお勧め。ストーリーの立った同時代の二人の運命が非常に面白い。
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