「陰キャならロックをやれ」に思うこと

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を見ている。とっても面白い。
大まかなあらすじは、いわゆる「陰キャ」の主人公・ぼっちこと後藤ひとりが音楽を介した様々な出会いの中で少しずつだけど成長していく……というもので、青春成長物語としてみてよいだろうと思う。面白いのは、きららテイストにデフォルメされてはいるものの、根暗な主人公の思考や、バンド界隈の雰囲気などの描写に妙なリアリティがある点。特に、8話のライブシーンの下手くそな演奏や、それに一瞥もくれない観客の雰囲気とかはリアルすぎて吐きそうになった。このあたりも、作品の説得力を増しているポイントだろう。
きららアニメをちゃんと見るのは久々だったが、来週が最終回と聞いてそれなりの喪失感に打ちひしがれている。そのぐらい、個人的には感情移入してしまう作品だった。

ただ、一つだけどうしても気になってしまう点がある。「陰キャならロックをやれ!」というキャッチコピーだ。
これが意味するところは、なんとなくわかる。「普段は目立たない陰キャこそ、その鬱憤やコンプレックスをロックとして爆発させるべきだ」というようなことだろう。私は、これには主に2つ大きな違和感を覚えた。

ひとつは、ロックってこんなに卑屈に信奉されるものだったか、ということ。
いつ頃からかは知らないが、ロックファンの一部ではまさにこうした「陰キャ大逆転」的なナラティブが憧れの対象になっている気がする。普段は冴えないけど、ステージに上がると本当にアツい演奏をする(それで、陽キャ連中を見返す)、みたいな。

言われてみれば確かに、洋・邦問わず(オルタナ)ロックはいわゆる「陰キャ」的な人たちが担ってきた側面があった。ナンバーガールしかり、Weezerしかり。それを、キュウソネコカミとかが面白おかしく自嘲し始めたのがきっかけだったりするのかな。

正確に言うと、これは数年前に『ロッキンユー!』という漫画を読んだ時にも同じことを思った。「ロックなんかやってる奴 キモいに決まってるだろ‼︎‼︎」というのが決めゼリフになっている、ロックを卑屈に聴いている層にとにかく媚びるような卑屈で痛い漫画だった。めちゃくちゃ嫌いだった。

大嫌いなコマ

個人的に思うのは、これは「陰キャだったけどロックに救われました」というようなエピソード(音楽が孤独に寄り添う、みたいなのはよくある話だ)に憧れた人たちの中で、そのナラティブに自身を沿わせること自体が目的化し、「ロックは陰キャのためにあり、陰キャがやってこそ」みたいなところにまで発展してしまった結果なんじゃないか、ということ。普段「陽キャ」に強いコンプレックスを感じている人たちが、「ロック」のイメージを借りて自己を守ろうとする、一種の防衛反応なのかもしれない。

実際、気持ちはわかる。自分も中高時代、似たようなナイーブなモチベーションでバンドをやっていた節はあるし。
でも、一旦落ち着いて考えてみてほしい。われわれが憧れるロックバンドたちは、みんなそんなに卑屈に音楽をやっているだろうか?「陽キャ」という存在を仮想敵として、そいつらに一泡吹かせてやる、みたいな捻くれた願望は、少なくとも表に出してはいないと思う。むしろ、自分たちのやりたい音楽をやって、堂々とステージに立っているはずだ。キモいとか思ったことない。

ゆえに、私はロックがこうして卑屈に信奉されることを悲しく思う。卑屈で狭隘な想像力の中で、自己を慰めるための出来合いのストーリーでしか解釈されないのであれば、彼らの表現はいったい何だというのか。

そして、ふたつめの違和感は、こうした卑屈なキャッチコピーは『ぼっち・ざ・ろっく!』の中身に全くそぐわないのではないか、という点。先述の通り、この作品はいわゆる「陰キャ」の成長物語であり、基本的には前向きなストーリーだ。主人公のぼっち自身も、自らの社会不適合っぷりとそこからの脱却の必要性をずっと認識している。結束バンドの他のメンバーにしてみても、もっと素直な動機でバンドをやっている。ライブの観客は敵ではない、ということを伝える先輩バンドマンも登場する。ぼっちの陰キャイキリがギャグシーンとして描かれるあたり、制作側もその寒さには自覚的なはずだ。

そのため、あのようなキャッチコピーを与えることは、前向きで音楽に真剣な、この作品の本質を見誤らせることにならないか、と思うのだ。「自分のことを陰キャだと思っているなら、ロックをやり、その殻を破れ」ということなら分かるのだが、おそらくそういう前向きなメッセージではないだろう。「陰キャなら」という枕詞からは、むしろ当人を「陰キャ」の殻の内に押し込めるような印象を受ける。

こう考えるとどうしても、作品の背景ノイズとして、結束バンドのメンバーに出会わず卑屈さを拗らせた世界線のぼっちのような大人の存在を感じてしまい、辛くなってしまう。話自体は本当に良いのに、この点だけが気になって、素直にのめり込めないのである。

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以上、雑感おわり。繰り返すが、アニメの中身は本当に素晴らしい。ただそれだけに、キャッチコピーの卑屈さはもったいないと思う。おそらくこれは日本のロックファンダムに深く根ざす問題を反映した事象だと思うのだが、こんな前向きな作品ですら「主人公が陰キャ」というだけでかくも卑屈なキャッチコピーでラベリングされてしまうのは、いよいよ深刻だ。
「ロックは死んだ」というのはいつの時代も言われてきたことだ。それでも、こうして人のコンプレックスに付け込んで、その劣等感の拠り所としての存在意義を強めていくのであれば、そんなものに夢も希望も無いわけで、若者の音楽としてのロックはその時本当に死ぬのだと思う。
しかし、『ぼっち・ざ・ろっく!』で描かれているのは、まさにそうした夢や希望の部分である。いちロック愛好家として、本作がそれを改めて世界に提示したことが、どうか見過ごされないことを願うばかりだ。

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