いわゆるおまけというには豪華すぎる

というわけで、5日連続演奏会が終了してしまいましたね。
3本目はもちろん5日目について記載していきたいと思います!
務川さん曰く、本編はAプロ・Bプロの4日間だったみたいで、
5日目は実験的おまけだった。とのこと。
とはいえですよねぇ・・・・・みなさん(笑)
最終日はたくさんお話ししてくれたので、その辺が中心になると思われまするが、残念ながら筆者記憶力ほんとポンコツなので、正確ではなくニュアンスになるかもしれないのはご容赦を……
さて、いってみましょうかー!

◆最終夜 スペシャルプログラム
J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903
フランク:プレリュード、コラールとフーガ ロ短調
クロード・ドビュッシー:
前奏曲集より
 第1巻 第8曲 亜麻色の髪の乙女
 第2巻 第3曲 酒の門
 第2巻 第5曲 ヒース
 第2巻 第10曲 カノープ
フレデリック・ショパン:バラード第4番へ短調 Op.52
フレデリック・ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」Op.53
ヨハネス・ブラームス:6つの小品 Op.118より 第5曲 ロマンス
J.S.バッハ=ブゾーニ:シャコンヌ ニ短調 BWV1004

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さて5日目である。
最終日。
とうとう祭りの終わりだ。
今回は休憩なし90分のプログラムだ。
いつもより薄暗い中奏でられるJ.Sバッハ。
「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903」
演奏後、マイクにて早速トークが!!!
フランスにいる間にご友人に連れられ、ジャズのライブに行ったようだ。
通常クラシックの演奏会というものはステージを煌々と明かりが照らし、
客席が暗転するのが普通だ。
規模が大きければそれだけ点灯するライトの数は増える。
なので自然とステージ上は明るいものだ。
ピアノソロリサイタルでも、通常はステージが明るい。
しかし、ライブハウス、ジャズに限らず、ステージ上のライトは割と少ない。
どちらかといえばスポットライトが多い。
客席もステージも暗くなり、演者だけがスポットライトに照らされる。
そして休憩はなく、途中でMCを挟みつつ曲が進行する。
大体はアンコールを含めてこれも2時間程度。アーティストによっては3時間4時間平気で演奏する人たちもいる。
つまりは、そういうことをやってみたかったようである。
御仁曰く、赴いたジャズのコンサートは40~50分程度休憩なしで演奏され、そこに演者と観客の一体感のようなものを感じたようだ。
休憩を挟むことで消えてしまう何かがあるのではないかと。(正確な表記じゃない気がします…)
そして、普段より会場を暗く、トークを挟みながら、お客様に2時間程度の時間を強制的に共有することで途切れることなく生まれる何かがあるのではないかと。
確かに間に休憩を挟むという文化はクラシック業界ならではなのかもしれない。
1曲が短いポップスとは違うところもあるだろうが、ライブといものは即興的に長くなることもある。
昔とあるバンドのライブに行った時、永遠にノイズを繋いで何十分も行うみたいなものも経験したことがあるし、ある程度曲の長さが確定しているクラシック音楽とはやはり少し別物感があるのは確かだ。
しかし、作曲者ないし、プレイヤーがそこに込めるものや精神性に違いはないと思っている。
これは個人的な見解の話。
そして曲について、というかパッセージについての話もあった。
最初の2曲とも「半音階」を基調としたパッセージが見られる。
バッハの方で使われているのは上昇の半音階。
フランクは下降する半音階であると。
バッハの音楽において、この上昇ないし、下降する半音階には意味があるらしい。
上昇はキリストが、復活、昇天するつまりは神からの祝福を表し、
下降はキリストが十字架に張り付けにされるつまり処刑の情景を表しているらしい。(正確じゃない気がしますが、ニュアンス的にこんな感じ)
ピアノで1節を演奏しながらの解説。
なんとも贅沢が過ぎるが・・・・・・・・・過ぎる・・・(噛みしめ)
そこからのフランク「プレリュード、コラールとフーガ ロ短調」である。
簡単な解説であっても、やはり知識を与えてもらうとまた違った聴こえ方をするものだ。
本編で聴いたフランクにさらに意味が足されていく。
確かにあれほど痛切に奏でられる音の意味はそういうことなのかもしれない。
フランク自身がどれほど、宗教的に信心深かったかは、定かでないが、
バッハを研究するならば、その部分は避けて通れないのは間違いなく、
西洋におけるキリスト教とはそれほどまでに血に根差しているというのは、肌感として理解しているつもりだ。
それでも、やはり個人的には根本的な理解は難しい。
なぜなら私は無宗教だし、いわゆる神は信じていない。
しかし、それを知識として理解し、自分に落とし込んでいるであろうピアニストはどうなのだろう。
フランスに長く留学し、生活をしている御仁の中でどう消化されているのか気になるところだ。

そして続くドビュッシーである。
こちらも解説を先にしてくれた。
前奏曲集は第1巻と第2巻があり、第1巻は色彩豊かな曲集だが、第2巻は白黒で全体的に彩度の落ちた作品だと御仁は言う。
そしてこの日取り上げた曲は、第1巻より1曲、そして残り3曲は第2巻からである。
Bプログラムの時とは少し変更されている。
そして「暗い曲だけ弾きたかったわけじゃないんですよ(笑)」
と少しはにかみがちに言ってくれるわけですよ。
あーーーーこんちくしょーーーー!(うるせぇ)
失礼。
今回取り上げた、第1巻:第8曲亜麻色の髪の乙女は第1巻の中のオアシスのような曲であると。
そして、第2巻におけるオアシスは第5曲ヒースであるとも。
この2曲は、印象派の曲から少し抜け出て、比較的わかりやすい旋律で作られていると御仁は語る。
これは曲を聴けば一目瞭然だろう。
そして、さらに御仁は言う。この第2巻を通して聴くと、靄のかかった世界に光がさすように感じると。
そして、演奏に移っていく。
オアシスという表現はまさにその通りだと思う。
5日目を含めて3日間聴いたドビュッシー。
ヒースにたどり着いた時の得も言われぬ解放感と心静かに過ぎる時間は
何物にも代えがたいオアシスだった。
そして、亜麻色の髪の乙女も。
遠くに放物線を描くように放たれる第1音。
遠くに放たれた1音をやさしく受け止めるような第2音。
この1音の長さのセンス。
次に奏でられる2音目。何度聴いても、いつまでも聴いていたい。
何の不安も恐れもない、静かで優しい世界。
そういえば、この前奏曲集第1巻・第2巻の全曲録音をいつか録ってみたい。
とこれまた少し照れたように語る御仁。
いつか本当に録ってほしい。
それはきっと、ラヴェルの録音を録った時のように、皆の宝物になるだろう。

ショパン。
Bプロからバラード第4番へ短調 Op.52はそのまま、ノクターンが変更になりポロネーズ第6番変イ長調「英雄」Op.53に変更。
そしてこちらについて、以下曲は同時期に作曲されたものらしい。
・3つのマズルカ Op.50
・即興曲第3番ト長調 Op.51
・バラード第4番ヘ短調 Op.52
・ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」Op.53
・スケルツォ第4番ホ長調 Op.54
この時期のショパンはポーランドで師事していた先生と親友を亡くし、失意の中作曲していた。そして、ショパン自身身体を悪くしていたと語った。
そして、この曲の中にはそういった悲しみを乗り越えた強さのようなものを感じるとも。
確かにその通りかもしれない。特にバラード4番と英雄ポロネーズにはそういった「強さ」を感じる気がする。
悲しみを乗り越え、それでも歩みを止めない強さ。
この解説を聴いたからだろうか。
御仁の演奏もそういった力強さを感じる気がする。
これはさすがに単純すぎるな(笑)

さて、ラスト2曲である。
このプログラミングについて、組曲のようないくつかの曲が含まれる作品において、ラストから数えて2曲目には美しい作品が多い印象があると語る。
ラヴェル・クープランの墓などとも。
そして、このプログラムにあるブラームスの作品6つの小品のラスト2曲目。
第5曲ロマンスもその位置にある。
ブラームス晩年の作品に当たる本曲。
生きていてよかったとそう感じるような曲だと御仁は言う。
そして、プログラムのラスト、J.S.バッハ=フェルッチョ・ブゾーニのシャコンヌ。
こちらはAプログラムの記事にも書かれているが、1つの宇宙を表現したような崇高なものだと。
この曲の構成として、4か所山場があり、短調ー短調ー長調ー短調になっている。
長調の部分にも生きる喜びのような表現がなされていると。
そして、こうした曲を聴いて、みんなに元気になって帰ってもらいたい。
と語っていた。
今回の公演に当たり、日を進めるごとに音へのセンサーが浄化されていくように感じたという。普段、ほかの演奏会の譜読みなどに追われているが、音楽のことだけ考えられたとも。
確かにこの5日間は不思議なものだった。
そして、この日もまた、不思議な日だった。
5日間通して通うことのできた人はわずかかもしれない。
それでも本当に不思議なことに、やはり無音は無音として成立していた。
まるで、目の前のピアニストと呼吸を合わせるように。
ごく自然に。
緊張感とは無縁の、勝手知ったる我が家のように。
前方の席だったからかもしれない。
それでも不思議だった。あの感覚はきっと心のよりどころになるだろう。
それにしても、元気になるのにシャコンヌのような宇宙的な作品を持ってくるとは、なんともとてつもないものだ。
そして、この日も壮大な空間を作り上げ、幕を閉じた。

さてアンコールである。
この日のアンコールも2曲
en1) シューマン:子供のためのアルバム Op.68より第30番『無題』
en2)ドビュッシー:前奏曲集第2巻より 第12曲 花火
なんと!
この日は!
アンコール撮影OKーーーーーーーーーーーーーーーー!!ということで

↓シューマン:無題

↓ドビュッシー:花火


こんなことがあろうとは!
合法的に動画が取れてしまうとは!!!!
演奏をお持ち帰りですよ!!!!
手土産付き演奏会・・・・・・(やめろ)
うれしすぎました・・・・
そしてなんとなんと、この日もサイン会付きだったわけですね!!
大盤振る舞い過ぎる・・・・
これが、おまけだというのだから何言ってるんですか!!!!????
状態である。
まったく困ったものだ。
↓おまけ(笑)

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はい。というわけで5日間連続演奏会終幕です!!!!!!!!
終わっちゃった!!!!!!!!!!!!
いやはやここまで全部読んでくれた人いるんですか????
お付き合いいただきありがとうございました!
うぅ・・・終わってしまいました・・・・
正直抜け殻です
この記事を書き終わるまで、ずっと予習用に作ったA/Bプログラムプレイリスト聴いてました・・・
だって、終わってしまったが、あんなもの聴かされてそうそう帰ってこれるわけありません・・・・
でも、2年連続でこんな演奏会開いてもらって、今年は手土産付きですよ・・・
バーゲンセールですもう(何を言っている)
正直、すでに演奏会が終わって2週間経ってしまうかどうかってところなのですが、個人的には演奏会が終わってしまったロスが含まれているのかちょっと沈んでいます。
でも、なんとか毎日プレイリストを聴いて凌ぐ日々・・・
皆さまはいかがでしょうか。
この演奏会中、いろんなことをペンディングして、集中できたのは、幸せなことでした。
そして、この場をお借りする形で申し訳ないのですが、帰りに今年最後だからとプレゼントをくださったフォロワー様。ありがとうございました。
帰ってからうれしすぎて泣きました・・・
いろんなことがありすぎて、正直かなり参っていたので、支えになる5日間でした。
この5日間のあと、いろいろ片付けましたが、まだ、一つ覚悟が決まっていないことがあって、ちょっとうだうだしています。
でも、こんな風に支えてくれるものがあるから、ちゃんとしないといけないですね。
一度手にしたものを失くすのは、悲しいけど仕方がないです。
何を言ってるか不明だと思いますが、もう少し王様がくれたものを噛みしめて、まだちょっと勇気が出ないけど、乗り越えたいですね。

さて、年末も近づいてきました!皆様演奏会納めはお済でしょうか。
私は、先日N響定期公演にて演奏会納めでした。
初聴きのマーラー8番。すげかった・・・
さて、ちょっと年末演奏会振り返りができなさそうなので、
ここで必要ないってわかってるけどお知らせしておきます。
来年は演奏会自粛期間につき、おそらく記事の更新は今まで以上に少なくなります。
もちろん全く行かないは無理なので、多少は存在しますが!
会場でお会いする方は数名しかいらっしゃいませんが、遭遇した方はまた仲良くしてください。
この記事を毎回お読みいただいている人・・・・・・いるかわかりませんが、公開されてたらまた見てやってください(笑)
わかってくれなくていい・・・聞いてくれ!!!!

では皆様。ちょっと早いけどよいお年を!!