生きることは灯台を探すのに似ている
さて、8月も終わりに近づいてきました。
天気がずいぶん大荒れですね…
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
とうとう日本でのツアーが終了してしまいましたね。
私はにこちらに。
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務川慧悟 ピアノリサイタル2024
全国5都市…
全て回りたかったのですが、現在もろもろの事情で自粛中につき、
東京公演のみ参加です。
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プログラム
J. S. バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV 825
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」Op. 31, No. 2
ショパン:ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」Op. 61
フォーレ:ノクターン第8番 変ニ長調 Op. 84-8
フォーレ:ノクターン第13番 ロ短調 Op. 119
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第2番 ニ短調 Op. 14
En1)ラヴェル:マ・メール・ロワより第5曲「妖精の園」
En2)ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調 「英雄」Op.53
公演が発表になり、その後公開されたインタビュー記事。
それにおそらくファンの誰もがある程度動揺したのではないだろうか。
後半のテーマは「死」であると。
このなんとも哲学的テーマを持ってくるあたり、「らしさ」を感じてしまうのは、私だけだろうか。
個人的には、大学で心理学を学び、哲学に近い分野に身を置いていた人間としては、嬉々として取り組んでしまうテーマだ(嬉々とするな)
前半の王道2作品、後半の「死」をテーマにしたこの幾分巨大なプログラムをどう提示してくるのか、これを考えるのはそう易くはない。
だが、それと同時に、ある意味で彼の中で、それほど大きいものを扱ってもいいのではないかという自信というか、裏付けが取れたということでもあるのかもしれない。
最近の御仁は実に余裕に満ちている。
この御仁の演奏を聴き始めて4年ほどになるが、おそらく最近の演奏を終えた彼の表情は4年間の中で1番安定して見える。
安定しているというのは、時折どこか緊張というか警戒心のある雰囲気を何度か感じ取ったことがあるからだ。もちろん、私はかのピアニストの友人でもましてや知り合いでもないわけなので、緊張や警戒といったものがあってしかるべき立場である。というかこんな危ないやつの前ではどうか警戒しててくれ頼むから…(何を言っている)
そんな中で取り組むプログラムであるわけなので、受けるこちらもそれ相応の覚悟というか事前準備は必要である。
油断すると第1音から会場の外まで吹っ飛ばされる威力をかのピアニストは持っている。これは何度経験しても慣れない。
凝縮された思考が音になって急にぶつかってくるのだから、本当に容赦がない。もちろん容赦されては困るのだが。
1曲目 J. S. バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV 825
言わずと知れた務川慧悟のバッハ。
バッハ好きを公言する御仁である。
いつだって我々のバッハイメージを打ち崩してくる御仁であるが、今回はどうくるのかと思案を巡らせる。
プログラムノートにも書かれているけれど、務川慧悟の描くバッハには、"崇高な"イメージよりも"人間"バッハを感じる。
不思議な"近さ"が魅力だろう。
バッハという作曲家の持つ"崇高さ"とは、教会オルガニストを務め、宗教音楽を多く書いてきたからこそ定着するイメージであり、「大部分真実である」というのはその通りだと私も思う。
実際、長くそう思ってきたし、どちらかといえば、「神聖な宇宙を感じる作曲家」そう自分の中で定義され、どこか数学的世界を感じている作曲家でさえあった。それを打ち崩したのも御仁である。
扉が開き、御仁が登場する。
さて、そのときから少々拍子抜けしたのはここだけの話である。
今回のサントリーホールというホール。
おそらく日本国内で、クラシックの殿堂として名を馳せ続けるホールだ。
御仁が演奏するのはおそらく2回目。
そう、2回目である。
いつもある程度、少々澄ました(おい怒られるぞ)表情で涼やかに登場するのが御仁であるが、なんと軽やかでにこやかに登場したことだろう。
いつもはじまりには身構えてしまう私である。
それが、いつもより幾分軽い足取りで登場し、全方位に頭を下げる御仁を見て、少しばかり肩の力が抜けてしまったのだ。
そこから始まるパルティータ。
そのはじまりの温かさをいまだに引きずっている。
今回抽選で当たった席はなんと最前列だった。
普段であればご遠慮仕る最前列…(毎回号泣して顔がべしゃべしゃかつそもそもそんな近距離でいたら霧になる恐れあり)
ピアニストの座る後方から遮るものがない状態で凝視できるのは大変よろしいが、ちょっと心臓に悪い。
そんなことはどうでもいい話。
こんなにも背中ですべてを語る男がいるのだろうか。
ピアニストという職業は、当然のことながら言葉を用いない。
ピアノという幾分大きな楽器を奏でることですべての伝えたいことを伝える。
これだけでも脅威だが、どうだろう。
この男の背中は、こんなにも如実に語っている。
「音楽は楽しい。バッハを弾くのは楽しい」
そんな背中を眺めながら、ふと予習時に目にした1文を思い出す。
バッハの書いたパルティータは全6曲。
(そういえばバッハは6曲を1セットにしてさまざまな組曲を作った。これは明確な意図があると思われるが、宗教的な意味合いだろうか…知ってる方もしくはなにか文献をご存じの方教えてください…)
クラヴィーア練習曲集の楽譜扉に記載されているらしい1文
「クラヴィーア練習曲集。プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、メヌエット、その他の典雅な楽曲を含む。愛好人士の心の憂いを晴らし、喜びをもたらさんことを願って、ザクセン=ヴァイセンフェルス公宮廷現任楽長ならびにライプツィヒ市音楽監督ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲。作品I。自家蔵版。1731年」(ヴェルナー・フェーリクス著、杉山好訳「バッハ」講談社学術文庫らしいです。Wikiより参照)
"喜びをもたらさんことを願って"これが真実であるならば、これほど喜びに満ちた演奏をする人間がいると知ればきっとバッハは喜ぶだろう。
そして、今この奏でられる空間にいるすべての人にこの喜びは伝わっていたに違いない。
静かに、柔らかく、暖かに進んでいくパルティータ。
和やかになっている会場。
そして我々はすっかり忘れている。
この次に奏されることになっている曲のことを。
2曲目 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」Op. 31, No. 2
しっかり腑抜けている中で、静かに始まる。
実は、私はテンペストをそこまで熱心に聴いてこなかった。
なので急場しのぎになるけれど、音源を聴けるだけ聴いてきたつもりだ。
そんな中で、霧の中から始まるような出だしの和音を抜けた瞬間。
目の前に提示されたテンペストが聴いてきたどの音源とも違うものが出てくるのだからまったくもって唖然である。
こんなテンペストは聴いたことがない。
しかし、ベートーヴェンという男は、ダイナミクスレンジなど、音楽表現において、実験的な人物であったと記憶している。一番わかりやすいのは交響曲5番「運命」の出だしなどがそうだろう。
この時代にffというのはそこまで頻繁に使われる音楽記号ではなかったはず。
ピアノの前身であるフォルテピアノでベートーヴェンは作曲をしていたはずで、フォルテピアノの最大の発明は、強弱をつけられるようになったことにあったと。
その意味で言えば、このテンペストの表現はまさにその発明の妙をしっかり表していると言えるかもしれない。
そんな小手先のことはどうでもいい話。
まるで、肩に急に重しが乗ったかのような圧力。
そうこれはまぎれもない務川慧悟最大の恐ろしさ。
凝縮された思考、洗練されたコントロール、掴んだものをそのまま振り回す強引な引力、そして、そこに見いだされる音楽に、強烈に印象付けられる解釈の正当性。
聴いたことがない表現のはずなのに、正解はこれしかないとすら思わされてしまう。
それは聴きなれていないからですよ、まだまだ曲の解釈が甘いですよとどこからともなくささやかれそうなものだが、そんなことは知ったことか。と吐き捨ててしまいたくなるほどの力がある。少なくとも、私にとっては。
1楽章。霧に沈んだり、振りほどくように急いたりを繰り返し、突き進んでいく。あっけにとられる我々を置いて進んでいくのだ。
そして再び、霧の中へ消えていく。
2楽章、霧を抜けて、一歩つづ確かめるように進む。それは優しく、しかし何かを思案するように。
この曲が作られた時期は、プログラムノートにも記載があるが、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた時期と近い。難聴を患い、徐々に音が聞こえなくなっていく。ある意味ベートーヴェンが作曲家、音楽家としての「死」を意識したと言える時期かもしれない。実際には遺書と言われているが、決して絶望の手紙などではないところが、ベートーヴェンだなぁと個人的に思う。
逆境に立ち向かう姿。私からするとベートーヴェンという男はどんな状態だったとしても己の信念にしたがい突き進み続けるある種の武人のように見える。
耳が聞こえなくなっていく中、作曲を続けるとはどんな気分だろうかと想像したことがある。
徐々に、しかし確実に聞こえなくなっていく音、明確に自分のやりたいものが目の前にありながら、それを行使する術がなくなっていく恐怖と焦り、自分にはそこまでしてやりたいことなどないけれど、もしも自分がそうであるならば、それはどれほど絶望的なものなのだろうか。
絶望というものは、受け入れてしまうと突然楽になる。抗い続ける方が実に難しく、体力を使うものだ。沈む作業というのは、本当に簡単で、何もしなくても勝手に沈んでいく。けれど、沈みながら、強烈に光に憧れる。きっと背中から襲ってくる闇にも似た絶望と恐怖を振りほどくために音楽を作り続けたのだろう。それは、言葉ではなかなか書き表せない、理屈では説明できない何かだ。
そんなことを思案する2楽章を耳にしながら、頭の中でこちらも思考する。
そういえば、演奏会終了後の話だが、とあるフォロワーさんとまるで「受け取る音楽が自分に浸透してくるような」演奏会だったと話した。
これは本当にいい表現だなと心から思う。
演奏会通しての話ではあるが、一番"浸透する"の表現がしっくりきたのがこのテンペストの2楽章を聴いているときだった。
踏みしめるように進む音楽の端に、どことなく迷うように戸惑うように。
それにしても、この御仁が奏でる弱音の悪魔的なまでの魅力はなんだろう。
時折放たれる、薄く、しかし決して掻き消えることのない弱音。そうやってじわじわと染み込んでいく。
3楽章。意を決したように踊り出す。それは足を踏み鳴らす舞踏のようだ。苦しさすら楽しんで見せようとでも語られているみたいに。
そこには、明確な決意の音があった。
踊り続ける覚悟を。
3曲目 ショパン:ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」Op. 61
さて、休憩を挟み後半である。
ショパン晩年の傑作。
ショパンが確実に「死」を意識していたと御仁は語る。
座るや否や始まる幻想ポロネーズ。
その出だしの破壊力に似つかわしくない、旋律から繋がっていく弱音のなんと儚いことか。
ここでも悪魔の弱音が我々を引っ掻き回すのである。始まって1分も経たないうちにこれなのだからたまったものではない。
これだからこの人が弾くショパンというのは、えげつないのだ。
あまりポロネーズらしくないと表されることもあるこの曲ではあるが、儚げな出だしを抜けた先は明らかにポロネーズである。
この輪郭の作り方。この曲はちゃんとポロネーズですよ。とでも言われている気分である。
しかし、その雰囲気はどこか常に儚げで、ぼんやりとしている気がした。圧倒的な色彩ではなく、少し霞んだどこか思い出のフィルムを眺めているような気になるのは気のせいだろうか。
このころのショパンといえば、ショルジュ・サンドとの蜜月の終焉の時期。
互いに疲弊し、ショパン自身の体調も下降線をたどる。
ポロネーズのリズムに乗せて、時折「死」の足音をほのかに背中に感じながらも、どこかやはりまだ遠ざけておきたいとでも言わんばかりに、そこにはほのかな明かりが見える気がした。
リサイタルののち、私はショパンの伝記本を引っ張り出した。
どうやら近い時期に、ショパンの近しい存在が次々と消えてしまった時期でもあるようだ。そして、どこか生き急ぐようにショパン自身苛立っていたという表現が散見されるようになる。
だからだろうか。
そのあまりにも「幻」のような音が散見されるのは。
演奏を耳にしながら、あまりにも儚いその音色に、吸い込まれてしまいそうになる。何度も。何度も。
だからこの人がショパンを弾く時、聴いている側はとてつもなく怖いのだ。
あまりにも儚い。残酷なまでの幻想が、現実のものになりそうで。
よく御仁はショパンと似ていると言う。
それは確かに似ているように感じてしまうことがこちら側とて多々ある。
けれど、似ていては困る。
そのまま消えてもらっては困るのだ。
けれど、そこから打ち放たれる音色の美しさは形容しようがない。
さて曲が終盤に近付いていく。
不思議と希望があふれていく。
きっと、このころのショパンはまだまだやりたいことがあったのだろう。
だから、それを1つの導として進んでいくのだ。
だからこそ、最後の1音はあれほど高らかに力強く打ち鳴らされるのだろう。
4曲目 フォーレ:ノクターン第8番 変ニ長調 Op. 84-8
5曲目 フォーレ:ノクターン第13番 ロ短調 Op. 119
この2曲調性は異なるのだが、出だしが恐ろしく似ている。
これは私の耳が捉えた所感で、実際の楽譜的にどうなのかはわからない。
8番はフォーレ中期最後の作品といえる。
そして、13番は最晩年の作品。
果たしてこれが何を意味するのか、調べてみたものの答えは出なかった。
はてさて、これが御仁の意図的なものなのか、そうではないのか知る由もないが、フォーレの作品を取り上げてもらえる喜びは個人的にひとしおである。
この似ている2曲。
これをどう弾きわけてくれるか楽しみだった。
「気だるさと楽観の間にあるような」と評した8番。
これを幻想ポロネーズとノクターン13番の間に挟んで「希望」とは本当にこの人のセンスには舌を巻く。
そしてこれが本当に温かく、オアシスのように響くから、少し力が抜けた。
この間に挟まるクッション材のような一呼吸がこの後に控える13番に効いてくるのだから恐れ入る。
2分ほどの短い曲、本当にふわりと頬をなでるそよ風のように通り過ぎていく。
そして、予想通りに続け様に13番へ。
その変わりようにやっぱり驚かされるのだ。
先ほどまで春のそよ風のように頬をなでた旋律は、いつの間にかどこか冬の気配を感じる秋風へと変わる。
このノクターンの13番は本当に最晩年にかかれた曲だ。
難聴や体調悪化に苦しめられながらも曲を書き続けたフォーレ。
この後の作品は2作品しかない。どこか彷徨うように展開するこの曲だが、時折差し挟まる旋律はなぜか輝かしい。
そうして差し挟まるこの光るような旋律をこんなにも綺麗に描き出すのだ。
個人的に、この作品の後に書かれる作品の中に弦楽四重奏があるのだが、これをこの最晩年にやっと取り組み始めるところに「死」を意識していながらも、これは取り組まねばならないとフォーレが考えたのではないかと想像すると、私はこの光るような旋律に意味を見つけられる気がする。
フォーレはラヴェルから弦楽四重奏を献呈され、ラヴェルからあなたも書くべきだと勧められているのだ。けれどもずっと取り組まずにこの最晩年のラスト3年ほどで取り組んでいるのだ。
生きることを諦めていない。
難聴に苦しめられていても、体調が悪化していってもまだ、諦めてはいないのだ。
それが、こんなにも美しい形で描かれる。
そして、また1つこの曲の輪郭が見えるようになる。
もともと好きな13番だけれど、これほど灯るように奏されることが嬉しくないわけはない。
本当に、こんなふうに身体の隅々まで音が染み入ってくることはそうそうないかもしれない。
そして聴き入っているうちに曲が終わる。
このとき、ふと気がついた。
この日、驚くほど自然に時が流れていた。
演奏が始まって、曲が終わり、拍手が起きる。
単純なことだけれど、ここは2,000人キャパのコンサートホール。そして、今日のチケットは完売である。
通常のコンサートにおいて、曲の終わりというのは人それぞれである。これは音が鳴り終えた後の話、つまり、拍手が始まるタイミングというのは、基本的には奏者に合わせるのが通例だけれど、とはいえ人それぞれ感じ方が違う以上全くもって"揃う"ということはない。
それがどうだろう。このフォーレの曲なんて、終わりが明確なようで明確でない、人によっては終わったのかわからない人もいるかもしれない。
にも関わらず、自然と目の前の御仁と連動するように、まるで自然に曲が始まれば静かに、曲が終われば、同じものを見るように音の終わりを共に追いかけ、去ったタイミングで拍手が起きる。
これだけのことが、千差万別いる人の世で起きたという事実。
少しキャパの抑えられた場所でのコントロールはもちろん見事なものだったけれど、さらに大きな場所で、それが叶う。そんな驚異的なことが起きるなどとは思っていなかった。これに気がついた時の私の鳥肌を誰かわかってくれる人はいるだろうか。
とうとう、この人はここまでの波及力を身につけたのかと。あまりにも自然で、後半の後半まで気が付かなかった。
これは大変個人的なところでいえば、実は両隣のご婦人方の反応が、自分と同じところで高揚し、ため息をつきな肌感を感じていた。
なかなかないことなので、さすが最前列……とか思っていたのだがそれどころではなかった。
本当に敵わないなぁ……
6曲目 プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第2番 ニ短調 Op. 14
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ2番、初めて聞いたのは4年前である。
ちょうどピアノ協奏曲第2番の代役公演の何週間か前だったか。
パデレフスキ フェスティバルで演奏したこの曲が私のプロコフィエフとの出会いであり、初めて御仁の弾くプロコフィエフを聴いた日だった。
この時の衝撃を忘れられない。
コロナ大流行真っ只中ということもあり、配信によって聴くことのできた演奏会だった。
確か美術館だったと思うが、そこで演奏された同曲、決して音響のいい場所というわけではない、よく響く場所でこの曲を演奏していながら、アクセントもスタッカートもしっかりわかる演奏技術に戦慄していた。その数週間後にさらなる衝撃をもってnoteを書き始めることになる。
それほどに印象深いこの曲を、実演で聴ける日を楽しみにしていた。
プログラムにこの曲を見つけたとき、本当にうれしかったのだ。
フォーレから打って変わって緊張感のある出だし。
そこを抜けると、あまりにも冷たく、あまりにも戦慄する美しさ。
まったくもって、先ほどフォーレを弾いた人物とは思えないほどの緊迫感。
冷静に計算された音が並んでいく。
しかし、ぞわぞわと少しずつそれはやってくる。
プログラムノートに書かれてもいる通り、若かりし頃のプロコフィエフの曲は実に破壊的だ。
強烈なアクセントにスタッカート。並ぶ音数の多さ。
その中に時折現れる冷たく鋭い色香。
ピアノ・ソナタ1番と聞き比べても、あまりの変わりように驚かされる。
本当に同じ作曲家の作なのかと。
2楽章に突入する。
この短いスケルツォ楽章、その演奏にまたこちらも戦慄する。
凶暴さを隠そうとしない表現の応酬。
ビリビリと肌を這いまわる強烈なアクセント。
まったくこのお方は…
こちらを金縛りにして突き進んでいく。
このころのプロコフィエフの狂気性をよく汲んだ演奏などと偉そうなことは言えないが、4年前響きでぼやけていた輪郭があらわになって、さらにこちらを縛り付ける。
この時期のプロコフィエフの自伝を読んでいると、本当に痛々しいほどに攻撃的だ。教授陣から認められず、同級生たちとも少々距離があるように書かれているが、その距離を破壊するかのように暴言にも似た言葉がつづられている。その痛々しいほどの野心をこれほど圧倒的に感じられるのだから、あの細い体のどこから出ているのかと本当に怖くなる。
普段の穏やかな彼からは想像もつかない鋭さをもって進んでいくのだ。
この異様に立ち上るオーラ。
乱暴に見えるようでいて、確実に計算され、的確に配置されるアクセントとスタッカートをここまで恐ろしいと思うこともなかなかない。
そのどこまでも鋭く痛々しい表現を保ったまま2楽章を走り抜ける。
果たして、この御仁が戦争ソナタ群などを弾いたら一体どうなるのだろうかとさらに怖くなる。
そんなことを考えているうちに、一呼吸を終えて3楽章がスタートする。
この日のこの3楽章の音を私は数日たっても忘れられずにいる。
その出だしから、聞こえてきたのは圧倒的な孤独だった。
少なくとも私にはそう聴こえた。
たしか、パデレフスキフェスのころ、御仁は3楽章をプロコフィエフの本音であると書いていたと思う。ずっと"本音"とはなんだろうかと考えながら、結局答え合わせはもちろんしないまま4年も時間が過ぎていた。
でも、この日いきなり答えを提示された気がした。
この時期のプロコフィエフは先ほどの通り、かなり破壊的な性格をしている。同時期に在籍していたミヤスコフスキーとかなり親密な関係を築いているとはいえ、評価してくれる存在がわずかというのは、どのような気分だろう。そしてこの時期にプロコフィエフは、マクシミリアン・シュミットホフという唯一無二とも言える親友を失くしている。
実際に亡くなったのは、このソナタ2番を書いた翌年のことで、作曲中の話ではなかったのだろう。ただ、この曲の献呈先がこのシュミットホフである以上、プロコフィエフを認めてくれていた一人ではあるのだろう。
であるにもかかわらず、自伝の中に彼の名前は出てきていない。
これが何を意味するのか、正直私はあまり想像したくない。
少し先の話をしてしまったが、何が言いたいかといえば、少なからずよりどころのあったプロコフィエフだが、心のどこかでそれでも癒しきれない何かを抱えたまま、内で膨張を続ける野心と外界とのギャップに苦しんでいたのではないかということだ。
そう思えてならなかった。そのくらい、悲しい孤独だった。
曲を書いてはなかなか認められない。それでもプロコフィエフはやりたい道を決して曲げなかった。
痛々しいほどに強くふるまっていても、自分の進む道を疑っていないとしても、それでも内に広がる、それこそ"死"にも似た闇にこのまま引きずり込まれることを恐れていたのかもしれないと。
そんな風に感じられて、私には息が詰まるくらい悲しかった。
そしてまた、そんな闇を打ち砕くがごとく走り始める。
4楽章、出だしからトップスピードですべてをなぎ倒しながら疾走する。
ここでも冴えるアクセントとスタッカート。
打ちぬかれる低音の杭。
その硬質さがありながら、きれいに貫通するように響いていく音色。
まったく、悪魔の弱音が過ぎたかと思えば、強烈な打鍵でこちらを滅多打ちにしてくる。
本当に気を抜いたら外まで吹っ飛ばされてしまうよ旦那ァ…(黙れ)
まるで本当にすべてを破壊し尽くすかのように疾走する。
鋼鉄の鎧を身にまとうように進み続ける姿に狂気とさらに別の色すら見える気がする。
ラストに向かって進んでいく。
半音階を下り、打ち付けるように終幕する。
そのラストの音は、まるで、何かを決意するかのように確固たる何かが宿っていた。
気が付けば終わった…というよりも、噛みしめるように終わりを告げた。
この日1日のプログラムすべてが、凝縮した意味の塊のようだった。
どこをとっても、すべてに記譜された思考があった。
6曲のプログラムであるにもかかわらず(6曲!)、なんとも1曲2時間の曲を聴いたような錯覚さえあった。それほど自然だった。
何より、会場全体が同じものをしっかり見ていた気がした。
ピアニストを起点に、高揚も、絶望もすべてが連動するように。
そして耳に残っている最後の決意の音に、泣きそうになる。
私にしては大変珍しいことだが、泣きそうにはなったが、泣かなかった。
けれど、そのあとのアンコールでそれは見事になかったことになるのだが…
En1)ラヴェル:マ・メール・ロワより第5曲「妖精の園」
En2)ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調 「英雄」Op.53
さてアンコールである。
今回はMCなし!
それは少々寂しいのだが、正直、なくて助かった。
何せ、アンコールに登場した御仁が一番最初に弾いたのは妖精の園である。
1音で妖精の園であることを理解した。
理解した瞬間には、もう泣いていた。
ずっと聴きたかった。
一度行こうかどうしようか迷っていくのをやめた大阪公演のアンコールで、妖精の園が演奏されたと聞いた時、実は知り合いの店にいたのだが、
そのまま泣き崩れて、それはそれは親友その他常連たちを驚かせた。
そのくらいには聴きたかった。
けれど、なかなか機会に恵まれなかった。
そんな中での妖精の園。
泣かずにいられる方がおかしい(おかしくない)
あまりにもびっくりして、英ポロが演奏されている間もずっと泣き通しだったし、周りがスタオベを次々していく中、1人腰が抜けて動けなかった。
最後まで締まらない私である。
今回"死"がテーマというよりも"死"を意識することで明確に浮かび上がる、"生"こそが注目すべき点であることは、事前のインタビューでも演奏を聴いても明らかだっただろう。
闇があるからこそ光がより一層際立つ…などというありきたりな言葉はあまり使いたくないけれど、真実だ。
自分の人生で"死"というものに、今回の作曲家たちのようにではないもっとネガティブな形で何度も向き合ってきた。
けれど、不思議なもので、結論は近いものになった。
だからこそ、今私はここにいる。
きっと音楽を好きでなかったならば、とっくの昔に自分を片付けていただろう。今でも時々思う。もしも、自分の岐路に音楽がなかったなら、どうなっていたのだろう。もしも、自分の岐路に核となる人物たちがいなかったらどうなっていたのだろうかと。
それはあまり語れるものではないし、もう何度か書いているけれど、私は人間という生き物が自分も含めて好きにはなれないし、世の中にそれほど希望も持っていない。生に執着があるかといえば、そんなこともない。
けれど、強烈に引き付けられてしまった。そのおかげで一旦はこの世に留まっている。ほぼ余生みたいなものだ。
あまたの作曲家たちが曲を作ることで"生"を明確に生きたみたいに、
強烈な光を放つ目の前のピアニストが、この世界に希望を見出せるなら、
もう少しだけ、この世界にいてもいいかもしれないと思える。
そこには自分自身に明確な"生"がある。
灯台のように道しるべにして行ける気がする。
世の中を生きていて、ままならないことばかりだ。
私にとっては世間とは、ほぼほぼ毒のようなものだ。
耳を覆っていなければ、言葉という言葉につぶされそうになる。
頭の中に入ってくる言葉がすべてテキストのように埋め尽くしていく。
こちらの意図とは関係なく、身体の中を駆け巡り、麻痺していく、自分の言葉も存在もかき消えていく。
昔はそれによって、よく疲弊し、時には立ち上がれないほど具合を悪くしたし、時には目の前のすべてのものを壊してしまいたい衝動に駆られて、自分を押さえつけるために、その場から動けなくなったこともある。どんなに人間が嫌いでも、だからといって誰かを排除したいわけじゃない。ただ、その場に立っていたかっただけだ。紛れていたかっただけだ。
今でこそそんなことにはならないけれど、たまに今でも不調になることはある。でもその程度でどうにかはできる。
それもこれも、こういう音楽空間が寄る辺になっているからだろう。
この日のような体験があるから、ほんの少しだけ、まだこの世のすべてを諦めなくてもいいのかもしれないとも思える。
こういう場所を作れる人がまだ世の中にはいるのだと。
こんなにも多くの人がいながら、誰もがこの空間を守ることに神経を使う。
それは、世を歩いていていつでも巡り合えるものではない。
けれど、奇跡などじゃなく、1人の男が作った功績といえる。
きっと灯台は、もっと先まで照らしていくのだ。
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はーーーーーい。もしかしたら今回最長かもしれませんね!
毎度のことながら最後まで読んでくれた人いるのかどうかわかりませんが、お読みいただきありがとうございました。
皆さんご無事ですか?
胃もたれしてたらもし、私を発見された方、胃薬要求してください。速攻薬局に走りますので…
言うなら書くなよというのは…その通りなのになぜか毎回書いてしまう…
いいんだ…これは自分のためだから…(こら)
今回5公演中1公演しか行けなかったのが悔やまれ過ぎるプログラムでした…
良すぎる…………
そろそろライブ録音とか出してくれてもいいですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
とりあえず欲、置いときます(やめろ)
今回ほんとにフォロワーさんがおっしゃっていた"浸透してくる"は的確過ぎて全私がスタオベしてました。そしてそんな話をしながら、私が毎回長文を吐き出すのは、すぐに薄くなっていってしまうこういう公演の肌感を忘れないようにしたいからなのかもしれないなとちょっと思いました。
そんな綺麗なものじゃないかもしれないけど。
さて、お次のリサイタルは11月ですね~
ちょっと先だ…
でも楽しみですね!!!
さていったい次はどれほど書くのか…
ほんとに台風やら豪雨やらすごいですが、皆さまご安全に過ごされますように。
また、お会い……できればお会いしましょう(笑)