温かさの宿り方

どうもこんにちは!
ちょっと前回別ジャンルの記事を上げてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
で、今回ですが………今回はこちらです。

みづらくてごめんね

N響です。
NHK交響楽団です。
はい。現在の推し楽団です。
現在97歳現役指揮者、生ける伝説
ヘルベルト・ブロムシュテットが来日中です。
昨年残念ながらキャンセルになってしまいましたが、今年は無事に日本に舞い降りられました…
か、歓喜………………泣

実は先にBプログラムの公演があり、今度はAプログラムということでNHKホールですね!
さて、もう頭抱えすぎてXでは一体いくつツリー作るつもりなのかとなってしまったので、今回はこちらにて。たぶんnoteで書くのは2021年ぶりかもしれない…………ずっと定期会員ではあるのですが………
いや毎公演ちゃんと長文吐き散らかしてはいます……よ…………(ブレない女)

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ブロムシュテット公演10月2プロ目
ブラームス4番はブロムシュテット指揮で見たかった公演の一つで、プログラム発表されてからすごく楽しみにしていた。
そして、オネゲルは曲を聴くのも初めてで、ありがたかった…フランス物をありがとう…

オネゲル 交響曲第3番。
本当に今まで曲を聴くタイミングがなくて、予習で初めて聴き、とてつもなくかっこよくて楽しみにしていた。
これはVn.横島さんもポストされていたけれど、ロシアみが……そんなん好物に決まっている…
N響がロシアものを演奏する時も、正直無条件でチケット取りたいと思うくらい好きなので、期待しかなかった。
1楽章怒りの日。正直に言えば、ちょっと意外な出だしだった。
いくつか音源を聴いていたけれど、どれもまさに荒れ狂う神の怒りという感じで、テンポも結構速い演奏が多かったけれど、ブロムシュテットはそこまで急がず、しっかり重いけれど、どこか艶があるといえばいいか…あれはどういう解釈なんだろうか。
音を飲み込ませるというか、イメージとしては納得させる諭すみたいな感じなのだけれど、上手く伝わらない………(いつものこと)
しかし、出だしからN響の集中の様子おかしい…
和やかにみんな笑顔で入ってきた君たちはどこへ………?最高です…
そして2楽章。これが本当にすごくて、フランス音楽が好きな身としては1番好きな楽章。フランス音楽の音感…
この2楽章、実は始まってからすぐ泣き始めた。
あまりにも美しかったから。
美しくて悲しい。
確か2楽章は、「神に見捨てられた人々の悲しみ」が書かれていたと思うけれど、すべてを失い、焼け野原になった場所にポツリと取り残されたような気分になる。
その雰囲気がフランス音楽の音感を使うと本当に見事な…
そこに奏でられるフルートの鳥の歌が、ほんの少しの希望のように天を翔ける。
か、神田先生のフルート………なんて伸びやかなんだ…
そして弦セクションのこの壮絶な合奏が本当に鳥肌で、N響の弦セクがあまりにも好きすぎて、たまに他の楽団の公演に行っても、どうしても物足りない。これは私の好みの問題で、他の楽団が悪いわけではないのだけれど。
なんといえばいいか、特に最近よく感じるけれど、N響の弦セクションというのは、本当に「束」なのだ。
寄り集まって、綺麗に結われていく織物のような、それが強固で遠巻きから見ると一本の太い糸のように映る。
ここで……それを遺憾なく発揮してきますか……(絶句)
やっぱりフランス音楽が好きだし、それを好きなN響で聴ける幸せよ……………………(噛みしめ)
しかもブロムシュテット指揮。感情が詰め詰めなのにどこかまろやかで包まれるように構築されるのが本当にすごい。これはやはり人生経験のなせる技なのでしょうか…
3楽章。ここはもうHr.が文句なしかっこよかった…!
この辺りになると全てのセクションの集中力は、もはやほぼゾーン入っているようだった。たしか3楽章の出だしは体勢批判(具体的なものでなく、社会全体の)的なニュアンスだったと思うけれど、軍隊感というか、ロシア音楽に見られる冷笑さというか、これはN響お手の物感が…それにしても今日のブラスの音の良さはいったいどこからきているのか…
しかし、それだけではなく、絶望の色の出し方、この出し方はたぶん今のN響だからできる音作りだと思う。良すぎる……
この日1番音に痺れたのは間違いなくこの3楽章でした。
どこを切り取っても濃厚すぎた…
そして、その場を抜けた焼け野原。何も残らなかった大地のように悲しく、しかし湖面のように広がる音の広大さ。こんなにも触れたら壊れてしまいそうな繊細さを持って目の前に広がる。そこに響く再びの鳥の歌。Fl.・Picc.・Vc.ソロ。さらにコンマスソロ。もう…はい………この美しいソロの全てがまるですべての人の祈りのようで、あまりにも切ない。
ブロムシュテットからもらった、人の世は絶望だけなんかじゃないよという希望のようでもあり、そうであってほしいという願いのようでもあり、本当に美しかった……もしかすると、これはブロムシュテットがすべてに捧ぐ祈りの詩なのかもしれない。
ラスト1音が最後の最後消えるまで、ずっとその場の時が止まっていた。
誰も動かないし、誰もがじっと耳を澄まして。2年前のマーラー9番の最後と同じように。あの無言の、誰もが静かにその時間を喜びとして享受する時間が幸せだった。拍手を皮切りに涙が出て、前半の時点ですでにボロ雑巾のようだった。

さて休憩を挟み、体制を整え直し(?)ブラームス交響曲第4番。
N響の集中力は全く衰えず、むしろさらに極まった状態でのブラ4の開始……………やばい…すごいどうしよう(語彙)
頭から多幸感……短調の曲であるので、多幸感という表現が合っているかといえば違うと思うが、しかし、こんな合奏を目の当たりにして、幸福であると言わずにおられるだろうか。ブラームスが最高傑作と言った4番。私も4曲ある交響曲の中でどれと言われたらやっぱり4番かなぁ…2番も好きですが。
先のオネゲルで、弦セクションが「束」だと評したけれど、それが、今度はオケ全体が「束」になる。そういえばいいだろうか。あるべき場所にあるべき楽器と音がまるでパズルのピースのように自然に噛み合う。最高の形で。そして、演奏する本人たちそのものが幸福であるを体現していた気がした。
専門的な解説じみたことはこの際、皆様の方が熟知しておられるだろうから、省かせていただくけれど(いつものことだね)、
この日コンマスである川崎さんはほぼ立奏と言っていいほど、よく椅子から立ち上がっていた。熱の入り方が凄まじい。しかし、それはコンマスだけではなかった。
Va.首席村上さん、Vc.首席辻本さん、2nd.Vn.首席大宮さん、Cb.首席𠮷田さん、弦セクションの各首席が異様な存在感を放っていた。(1階席前方なので、管楽器勢がよく見えないのでご了承)
あっという間に1楽章を抜けていく、もはやこの時点で拍手が起こってもおかしくないそんな状況で2楽章、この2楽章のブロムシュテットとの蜜月感をどう表したらいいだろう。ただただ会話だった。オケと指揮者の会話が成立していた。優しく、暖かく、それは目の前で音楽になって聞こえてくる。幸せな風みたいに。聴く側の頬を撫でていく。それがあんまりにも優しくて、広大に響くから、涙が出てしかたなくて、この場にいることが幸福だった。いつだってN響を聴いているときは幸福だけれど、2年前の公演もこれてよかったと心底思った。でも、それを越えてしまえる。
ブロムシュテットの音楽はどうしてこんなにも広大で、暖かく、衰えるどころか、曲が進むにつれてむしろ蘇っていくように響くのだろうか。
公演を見るたびに、この人はきっと音楽を食べて生きているのだと思う。
そして、それは1人で食べるのではなく、奏者、そして聴衆にも分け隔てなく食べさせているのだと思わされる。
そうこうしているうちに3楽章。
1番派手な楽章だけれど、その始まりにあって、みずみずしく、弾けるように音楽が踊り始める。
ブロムシュテットの指揮も大きくなる。一体どこにこんなパワーが秘められているのか?と目の前で弾ける音楽に圧倒される。そして、その弾ける音楽は、奏者すらも笑顔にしてくれる。
誰もが楽しい顔をしていた。
誰もが奏でることの楽しさを噛み締めているみたいに見えた。
ここでもずっと会話は続く。時折見えるブロムシュテットの顔も笑顔だ。
戯れるように展開する3楽章。指揮に呼応して動くオーケストラ、まるで無邪気にはしゃぐ少年や少女のようで、みているこっちも自ずと笑顔になる。楽しくて仕方ないよ…………
そして、羨ましくもある。私は楽器はとうの昔に弾かなくなってしまったし、集団行動が苦手だからきっとこんな風に上手くは混ざれないけれど、
でもだからこそ、目の前でそうして演奏してくれることはとても幸運だと思う。不思議なものだけれど、演奏会を聴いていて、置いて行かれている、という感覚はないのだ。
どうしてだろう。本当に不思議だ。
瞬く間に4楽章。個人的に好きな楽章だ。出だしの重々しさを抜けた先に始まる、弦楽器を中心とする舞曲。ここが何よりも好物で、ブラ4を聴く時はついリピートしてしまう。
そんなことを考えている間に、その場所に到達する。そして目の前にいる、視認できる奏者の顔を見た。全員がただ音楽に没頭していた。集中していた、熱に浮かされたみたいに。
異様な雰囲気を放っていた首席勢は依然としてその雰囲気を失わないまま、でも首席勢だけではない。普段そこまで体の動かない団員までパフォーマンスが大ぶりで、これほど全員が没頭していながら、その全体の統率は失われていない。ここまで凄まじく全員が没頭しているところを見たことがあったかと思案する。これはもしかすると今のN響だからこうなったと言ってもいいのかもしれないとふと思う。
なぜか新しい面を見た気がした。N響の団員同士は互いに尊敬し、仲がいい。もちろんそれは各他のオーケストラだって同じかもしれないけれど、いつも見ていて、目で見ただけだけれど、そこに嘘はなく、目の当たりにした事実が真実だと信じられる。
でも、だから誰もが疑っていないのかもしれないと思う。どれだけ没頭していても作り上げられる音楽はある意味の「いつも通り」だと。
そうしてこちらまでその放たれる熱に浮かされていく。目の前に提供される音楽の素晴らしさを痛感する。
それは言葉なんかではなく、肌に刻印のように刻まれていく。
最終コーナーに差し掛かるころには、意識するものはなくて、目の前の出来事、耳を覆う音楽だけしかなくなった。
差し掛かる終わりに、無意識が終わらないでほしいと肩を叩く。
最後の最後、全ての時間が最終音楽とともに時を止める、誰も彼もが終わりを惜しむ。
そんな数秒なのか、数分なのか、タクトが降り切ってもなお、つかの間の静寂。それを破る万雷の拍手。
そうして、音楽は、あの時間は、終わったのだと意識した。
終止符とともに、やっぱり泣いてしまって、私の今年最後のブロムシュテット公演は終わりを告げた。

川崎さんに手を引かれて、下がるブロムシュテットが、すぐに一般参賀に来てくれた。満面の笑みをたたえて。
この人は本当に音楽の神様なのかもしれない。
そんなことを思いながら、終わった公演の温かみをこのままずっと自分の中に残しておけるだろうかと思う。きっと記憶が忘れても肌に刻まれた音楽が今日を思い出してくれる。そう信じられるそんな公演だった。

一般参賀だよ

これは余談だけれど、帰りによくしてもらっているフォロワーさんにご挨拶をしたのだけれど、人のいなくなったNHKホール前で寒風吹きすさぶのに話し込んでしまった。
もしかしたら、あの時間で受け取った温かさが、守ってくれたのかもしれないね。
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はい。結局胸やけ文を今回も錬成しましたね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
N響…どんどん好きになる……(限界)
残念なのはCプロのチケットを取り損ねる痛恨のミス!!!!!!!!!!
完全に油断していました……
1公演でいいから聞きたかったですが…
というわけで今年のブロムシュテットお祖父様公演はおしまいです。
来年…一応年間予定の中には入っておりましたが、お元気でいてくれるといいなと祈るばかりです。
奇跡の10月。とうとう定期公演は今週末で最後ですね。

ですが、10/30はこちらも奇跡の復活デュトワ公演ですね!!!
座席は残念ながら微妙なところですが、なんとなんとクラシック聴くの初めての方が、しかも地方からわざわざ来てくれるのです!!
歓喜ーーーーーーーー!!!新規だー!!囲え囲えーーーーーーーー!!!(おやめなさい)

さて、暑くなったり、急に冷えたりしますが10月最後まで皆さま健康にN響を楽しみましょう☝