日本史B 中世2 鎌倉幕府の成立
Ⅰ鎌倉幕府の成立
源頼朝(よりとも)が平氏打倒の挙兵した年に侍所(さむらいどころ)を設置(1180年)
御家人(ごけにん)を統制する機関
源頼朝が東国の支配権を認められる(1183年)
支配のために公文所(くもんじょ)(後の政所(まんどころ))と問注所(もんちゅうじょ)を設置
公文所:訴訟と裁判を行う機関
問注所:政務を行う機関
平氏を滅亡させる(1185年)
全国に守護と地頭を設置(国とは今でいう県みたいなもの)
守護:国内の御家人を統制
大犯三ヵ条:大番催促と謀反人・殺害人の逮捕
大番催促とは京都大番役に国内の御家人を向かわせること
地頭:荘園などの管理
源頼朝が東北の奥州藤原氏を滅亡させる
日本全体の支配権を確立する
後白河法皇の死をきっかけに征夷大将軍に就任(1192年)
Ⅱ北条氏の台頭
北条時政(ときまさ)の時代
源頼朝の死後、御家人間で勢力争いが起こる
北条時政が台頭する
比企能員(ひきよしかず)の乱をきっかけにより大きく勢力を伸ばす
北条時政が政所の別当(べっとう)になる(政務機関のトップになる)
政所別当のことを執権(しっけん)と呼ぶようになる
北条義時(よしとき)の時代
侍所の別当(御家人統制のトップ)だった和田義盛(わだよしもり)を倒す
政所と侍所の別当を独占し権力を握る
3代将軍源実朝(さねとも)が公暁(くぎょう)に暗殺される(源氏の滅亡)
公暁は2代将軍源頼家の遺児
Ⅲ承久の乱
北条義時が藤原頼経(よりつね)を将軍に迎え鎌倉幕府を存続させた
後鳥羽(ごとば)上皇が北条義時を倒す命令を出す
幕府と戦うために西面の武士を設置
承久(じょうきゅう)の乱が始まる(1221年)
幕府側の圧勝
後鳥羽上皇は隠岐(おき)に流された 地図で確認
京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置
六波羅探題:京都と朝廷を監視する機関
朝廷から莫大な荘園を手に入れる
荘園を管理するために地頭を置く
新補率法:地頭の取り分を規定した法律
新補率法に基づいて取り分をもらう地頭を新補地頭という
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