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日本史B 近世6 文治主義の開始と江戸時代の農業

Ⅰ文治政治の展開

時期は17世紀後半から18世紀初頭まで


4代将軍 徳川家綱(いえつな)

1651年:慶安(けいあん)の変=牢人(ろうにん)による反乱 由井正雪らが中心

牢人=改易により職を失った武士のこと


慶安の変により従来の改易を積極的に行う政治(武断(ぶだん)政治)を見直す

文治(ぶんち)政治の始まり


末期養子の禁止を緩和

末期養子=死の直前に養子を迎えることで跡継ぎがいないことによる家の断絶を防ぐこと

50歳未満であれば末期養子を認める


主人の後追い自殺である殉死を禁止

大名に人質を差し出す大名証人制を廃止


明暦(めいれき)の大火(たいか)が起こる

江戸最大の大火

その後の幕府の財政を大きく圧迫


5代将軍 徳川綱吉(つなよし)

学問の奨励

林鳳岡(はやしほうこう)を大学頭(だいがくのかみ)に任命し、湯島聖堂(ゆしませいどう)を造らせた

渋川春海(しぶかわはるみ)(安井算哲(さんてつ))を天文方に任命し、貞享暦(じょうきょうれき)という歴を作らせる

北村季吟(きたむらきぎん)を歌学方に任命する


生類憐み(しょうるいあわれみ)の令=犬や鳥獣を以上に愛護する性格

 綱吉の別名が犬公方と呼ばれる理由


元禄小判(げんろくこばん)の発行

勘定吟味役の荻原茂秀(おぎわらしげひで)が中心

金の含有量が少ない小判(価値の少ない小判)を発行

 明暦の大火による幕府の財政悪化が理由

 物価が上昇したため幕府の財政をますます圧迫した


新井白石(あらいはくせき)の政治

6代将軍徳川家宣と7代将軍家継の時代

正徳(しょうとく)の政治と呼ばれる


幕府の財再回復を目指す

朝鮮通信使の待遇の簡素化

元禄小判を廃止して質のいい小判を作る(正徳小判)

1715年:海舶互市新例(かいはくごししんれい)=長崎貿易を制限


Ⅱ江戸時代の農業

新田開発

江戸時代初期:代官による新田開発(代官見立新田)

江戸時代中期:禁止していた町人による新田開発を奨励する(町人請負新田)

 幕府の財政が苦しくなったことが理由


農業用水の確保

芦ノ湖の箱根用水・利根川の見沼代用水などが作られた


耕作面積

江戸時代初期には約150万町歩だったのが、江戸時代中期には300万町歩にまで拡大した


農具の改良 図で覚える

備中鍬(びっちゅうぐわ)=深く耕すことに適していた

千歯扱(せんばこき)=脱穀使用された

唐箕(とうみ)=選別道具に使われた

踏車(ふみぐるま)=灌漑につくられた


肥料の開発と農書・農政家

金肥(きんぴ)とよばれる購入肥料

 イワシを原料にした干鰯(ほしか)・菜種油の絞るかすである油粕(あぶらかす)など

宮崎安貞(みやざきやすさだ)「農業全書」

大倉永常(おおくらながつね)「広益国産考」「農具便利論」

江戸時代後期には二宮尊徳(にのみやそんとく)や大原幽学(おおはらゆうがく)らも現れる


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