人を愛したことがない
僕は人を愛したことがないのかもしれない。
たとえば好きなミュージシャンを聞かれれば何人かすぐに浮かぶ。
しかし僕が好きなのは彼らが作り出す楽曲や歌声であり、彼ら自体を愛しているわけではない。
僕が好むミュージシャンの中には麻薬所持や素行不良で話題になった人が複数いるが、そうした事実が明るみに出ても一切ショックを受けないのだ。
つい先日、人気声優が不倫かなんかでバッシングされていた。
ファンからは怒りや悲しみの声が殺到しているという。
だがもし仮に僕の好きな声優(若本規夫)がなにかやらかして捕まったとしても、とくに何の感情もわかない。
ただ彼の声が好きなだけで、人間性などどうでもいいからだ。
中学生の頃、『世紀末リーダー伝たけし』の作者が女子高生とのエンコーで逮捕される事件があった。
だがやはり僕はエンコー自体には何のショックも受けず、ただ漫画の続きが見られなくなることだけがショックだった。
そこに愛はあるんか?
異性を好きになった経験はこれまでに多数ある。
しかしなぜ好きになったのかと聞かれれば、理由の9割以上がその容姿にあったように思える。
もし相手がその顔でなければ、おそらく好きになっていなかったのだ。
何年か前、バイト先の女性に告白された。
性格はいいし、相性もたぶん悪くない。
だが好みの顔ではなかったので好意には応えられなかった。
翌日、彼女は職場をバックれる。
それまで毎日のように会話していたので少し寂しさはあった。
だが彼女がいなくなったときよりも、あまり口を交わしたことのない別の女性が辞めたときのほうがはるかにショックが大きかった。
その人のほうが好みの容姿だったからだ。
なんて薄情な男だろう。
ほかの職場でも何度か女性に告白されたことがある。
だがいずれも先のケースと同じ理由により付き合うことはなかった。
極端な話、「顔98点・性格2点」の女性と「顔2点・性格98点」の女性がいたら僕はノータイムで前者を選ぶ。
それぐらい重度の面食いなのだ。
だがこれを果たして愛と呼べるだろうか。
いや、単なる情欲に過ぎないだろう。
好きな理由
告白してきた女性にその理由を尋ねてみた。
ある人はルックスが好みなのだと正直に告げてくれた。
それはそれで嬉しかったが、一方で中身が好きなわけではないのだな、とも感じた。
別の人は優しいところが好きなのだと言った。
だがそれは完全な誤解である。
僕のあらゆる親切は利己心から生まれたものだからだ。
すなわち、周囲から嫌われたくない、よく思われたい、という利己的な欲求を満たすための行動が優しさと勘違いされているのだ。
僕の中に存在しないものを好きだと言われても、なんだか騙しているようで
申し訳ない気持ちになってしまう。
手足が生えてきただけで愛情を失う人間が優しさなど持っているハズがない。
友情
では同性の友情関係はどうか?
小中学校までは完全なぼっちだったものの、高校・大学では一緒に授業を受けたり下校したりする程度の人間はいた。
しかしその人たちを好きだったかと言われるとかなり怪しい。
「ぼっち」と思われるのが恥ずかしいから「友達に見える存在」が欲しかっただけで、彼らに対する愛情はあまりなかった気がする。
実際卒業してから彼らに会いたいと思ったことは一度もない。
そして彼らも僕に会いたいと思ったことは一度もないだろう。
愛さない人間は愛されることもない
このブログを定期的に見てくれている人はありがたいことに一定数いるようだが、僕そのものが好きだという人間はおそらくゼロに違いない。
部分的に共感することはあっても、それは著者自体への好感ではないのだ。
他人を愛さない人間は他人から愛されることもない。