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友人の少ない人間は魅力がないのか

前回の話で、記事の質と「スキ」の多さは必ずしも比例しないことを説明した。

NoteではChatGPTに書かせたような平々凡々の投稿に大量のスキが集まる。

その一方で、心を揺さぶられるエッセイや洗練された考察にスキが1つ2つしかつかないことがザラにある。


いったいなぜこのような現象が起こるのか?

それは自分からスキやフォローをどれだけしているかがスキの数に大きく影響するからだ。

言い換えれば、スキの多寡は記事の質よりも執筆者の積極性に左右されやすい。


そしてこれは現実世界の人間関係にも当てはまるのではないだろうか?


1.友人が多いほど魅力的な人間なのか?


SNS等ではネットの誹謗中傷が話題になると

「どうせ友人もいない人間が書き込んでいるんだろ」

というコメントが必ずと言っていいほど出てくる。


「友人がいない=人間性に欠陥がある」

「友人が多い=人間性に魅力がある」

という固定観念が世の中には広く浸透しているのだろう。

Facebookで友達の数を競うのも、TwitterやInstagramでフォロワーの数を多く見せようとするのも、根底で同じ価値観が共有されているからだ。


だがこの広く信じられた社会通念は現実に即していない。

たとえば、粗暴で反社会的なDQNにはたいてい同族の友人が多数いる。

図々しく身勝手な人間は嫌われることも多いが友人も多い。

イジメの被害者に友達がいないことはよくあるが、イジメの加害者に友達がいないことはほとんどない。

モラルの欠落したインフルエンサーはつねに大勢の支持者や友人に囲まれている。


その一方で、性格が良くて交友関係が狭い人間というのは決して珍しくない。

今じゃ売れっ子の芸能人が学生時代には一人も友人がいなかったという話はたびたび目にする。

クリエイティブな才能を持つ者に孤独な人間が多いというのもよく聞く話だ。


2.なにが友人の多寡を決めるのか?


僕が思うに、友人の数をもっとも左右するのは人間的魅力ではなく積極性だ。

スキの数が自分から積極的にスキを押した回数に左右されるように、友人の多さも自分から積極的にアクションした回数に左右される。

そのため内向的な人間はどうしても友人が少なくなりやすく、逆に外向的な人間ほど友人が多くなりやすい。


だが記事の質がスキの数に比例しないように、人間の質も友人の数に比例しない。

友人の数はその人の積極性を表しているかもしれないが、人間的な魅力を表しているわけではないのだ。


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